| 2007年11月08日(木) |
飛び降り自殺で巻き添えになる不幸 |
「 心配をまぎらわすには、ウイスキーより仕事のほうが役に立つ 」
トーマス・アルヴァ・エジソン ( アメリカの発明家 )
As a cure for worrying, work is better than whisky.
Thomas Alva Edison
気分転換も大事だが、仕事の悩みは仕事でしか、解決しないものだ。
酒や薬に頼っても、頭の回転が鈍くなるだけで、役に立つものではない。
日本の病院には現在、約 140万人 の入院患者がいるけれど、そのうち 約 34万人、つまり 4人 に 1人 は 「 精神障害者 」 である。
この驚くべき数字が、あまり知られていない背景は、精神病院という施設の仕組みや、目的というものに対し、理解が浸透していない実態による。
医療法特例により、精神病院では従事するスタッフが少なくてよいとされ、また診療報酬の仕組みも、精神医療のみが不当に低く抑えられている。
人里離れた地価の安い場所に大病院を建て、スタッフを減らして人件費を切り詰め、患者を詰め込むことで、精神病院の経営は 「 儲かる 」 のだ。
通常、病院では患者数16人にひとりの医師が必要なのに、精神病院では患者48人にひとりで許され、「 ある理由 」 により、患者数は減少しない。
実際、最も急増した昭和20〜30年代の間、新設された民間の精神病院のうち、精神科医による経営は全体の4分の1に満たなかった。
他は、建設業者やら、ほとんど医学的には何の知識もない人々だったが、とにかく 「 精神病院は儲かる 」 という理由だけで、投資の対象とされた。
ちなみに、患者本人の意思で入院できるようになったのは、昭和62年の 「 精神衛生法 」 成立以後のことで、その歴史は意外と新しい。
それまでは、家族や行政、警察の判断と依頼のみによって、精神障害者は強制的に、精神病院へと収容されていたのである。
いまでも、法律を犯した 「 触法精神障害者 」 の多くは、その処置が執られており、前述の、入院需要が減らない 「 ある理由 」 とは、それにあたる。
近代の刑事裁判は、少年と精神障害者を 「 理性ある成人 」 とみなさず、たとえ凶悪犯罪に及んでも、保護されるべきと考えられている。
少年は 年齢 によって、精神障害者は 狂気 によって、刑罰は軽減されるか、そもそも科せられるべきではないとされるのだ。
こうした扱いは、人道主義の観点から生まれたものだが、普通は、人権に含まれるはずの 「 裁判を受ける権利 」 が、彼らには与えられていない。
彼らは、無罪放免になる反面、「 法の外側にいる存在 」 として、実質上、社会から排除され、裁判を受ける権利さえ与えられていないのだ。
実際、26歳で軽微な罪により逮捕され、服役せず措置入院を命ぜられた精神障害者が、死ぬまでの40年間を、精神病院で過ごした例もある。
そもそも、日本に精神病院を設立した目的は、「 治療 」 でなく、一般社会からの 「 隔離 」 であり、「 排除 」 であったことが、史実に記されている。
精神病院の設立までは、家族の中から 「 監督責任者 」 を決定し、警察に届け出た上で、座敷牢など、自宅に監禁しなければならなかった。
ところが、経済的理由などで困難だったり、浮浪、徘徊をする身寄りのない精神障害者は、公的に監禁せざるを得ない実情がある。
江戸時代までは、精神障害者 ( 当時は乱心者と呼ばれた ) が市内を徘徊していたが、明治以降、文明開化と共に対策が必要となった。
明治初期まで、日本では、精神障害者による犯罪も、他の犯罪者と同等に処罰していたのだが、外国からの要人往来により、「 野蛮 」 とされたのだ。
その後、精神障害者を 「 監獄から救出する 」 という人道主義は、時折、「 目立つ 触法精神障害者 」 の出現によって、新たな局面を迎える。
昭和39年、アメリカの ライシャワー駐日大使が、精神病歴のある19歳の少年に刺される事件が起こり、当時、国家公安委員長は引責辞任した。
その後も、「 池田小学校連続殺傷事件 」 など、犯罪者の精神病歴が浮上するたび、世論は 「 精神障害者を野放しにしている 」 と大騒ぎになった。
そんな、人々の 「 精神障害者を憐れむ精神 」 と、「 社会の治安 」 に寄せる期待を、どちらも叶える理想的な施設として、精神病院の存在がある。
言葉は悪いが、病院側の経済的な要請と、地域社会や家族の厄介払いという二つの利害が、一致したところに精神病院は成り立ってきたのだ。
池袋の百貨店 「 パルコ 」 屋上から、精神科に通院していた26歳の女性が飛び降り自殺を図り、通行中の男性が巻き添えになる事件があった。
この男性は、たまたま付近の路上を歩行中、落下してきた女性が直撃し、顔面を複雑骨折するなどして、現在も意識不明の重態に陥っている。
気の毒な話だが、このような事件が起きるたび、日本の精神医療が、社会との隔絶に主眼を置き、本来の 「 治療 」 が進歩していない実情に憤る。
警察と医療機関は、健常者と精神障害者の中間にある、変質者、精神病性人格、精神失墜者などの情報までを、ある程度、把握しているという。
しかしながら精神科医は、それら自傷他害の危険を秘めた人格障害者に対し、治療不可能という理由から、ほとんど満足な治療を施していない。
特に問題なのは、治療を 「 向精神薬の投与 」 に頼りきり、患者を薬漬けにしてしまう精神科医や、やたら入院を勧める医師が多いことだろう。
また、最近では、職場や学校に行かない状態が長期化した者を、その家族が持て余し、わずかな症状を理由に入院させ、かえって悪くなる例もある。
もちろん、そうは言っても精神科医の診療を必要とする方はいるわけだが、なるべくなら、休養をとるなどして、医師、薬に頼らないほうが望ましい。
そして、どうしても精神病や、人格障害に陥った場合には、たとえ遠方でも、評判の良い医師にかかり、心の平静を保ち、物事を考え込まないことだ。
間違っても自殺になど及ばず、他人も自分も傷つけないでいると、必ずや運気は巡ってくるものだから、あきらめず、根気よく暮らしていただきたい。
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