| 2007年11月24日(土) |
ダウンロード文化と、無用の用 |
「 背表紙や表紙のほうが ( 内容よりも )、ずっと良い本がある 」
チャールズ・ディケンズ ( イギリスの小説家 )
There are books of which the backs and covers are by far the best parts.
Charles Dickens
最近は、彼女の都合に合わせて、世間並みの休日をとることが多い。
したがって、この三連休は、のんびりと オフ を満喫した。
初日、彼女には、流行の チュニック と ジーンズ を、私には ネルシャツ を買い、車に荷物を置いたまま、夕食を挟んで二本の映画を観る。
二日目、午前中は ダラダラ と過ごし、電化製品やら CD を買いに出かけ、私がつくる パスタ を食べた後に、また レイトショー で映画を観に行く。
三日目、夕方まで自堕落に過ごした後、「 そろそろ、帰ってくれないかな 」 と願う気持ちを悟られないよう、残念そうに車で送っていく。
まったく平凡で、何の生産性もないけれど、こういうのが 「 幸せ 」 なのかもしれないなと考えたりしつつ、明日からの仕事の準備に取り掛かる。
日記は、彼女が掃除したり、入浴中だったり、私が仕事を小休止する時に、とりとめなく書いているので、内容が クダラナイ のはご容赦を願いたい。
冒頭の名言が示す通り、内容が グダグダ なのに装丁だけ立派な本とか、芸術的とも思える ジャケット に反して、中身の イケテナイ CD がある。
あくまでも 「 中身が重要 」 と考えるか、「 外装まで含めて一つの作品 」 と評価するかは、人によって判断が分かれるところかもしれない。
買い物の途中で立ち寄った CD の ショップ で、彼女の探している楽曲が見つからず、店員さんに在庫の有無を尋ねる場面があった。
すると、その曲は CD で発売されておらず、「 ダウンロード のみの リリース になっております 」 と返答された。
最近は、そういう例が多いらしく、私より若いが 「 超アナログ人間 」 である彼女には、いまひとつ納得できない様子で、なにやら不満そうにしていた。
音楽 や 小説 を 「 出版 」 せず、ネット で 「 配信 」 することにより、様々な コスト が省けることは、誰の目にも明らかである。
音楽 の場合、CD の 「 原盤 」 が不要だし、活字媒体も 「 紙 」 に印刷する必要がなく、まさに 「 内容だけを購入者に届ける 」 ことが可能となる。
個包装 ( パッケージ ) や、流通用外装 ( ダンボールケースなど ) などの副資材も不要で、店頭販売用の値札、チラシ、ポスターの類も要らない。
さらに大きい変化は、「 流通経路 」 の単純化によって、従来、メーカーから問屋、問屋から小売店へと流れていた仕組みが、簡素化できることだ。
過去、流通の各段階で必要とされた 「 マージン 」 が省かれ、メーカーから消費者に直販されることで、大幅な コスト の低減が可能となった。
このような消費者への直接販売は 「 ダイレクト・セルイン 」 と呼ばれ、たとえば、カタログ販売や、TV ショッピング などの 「 通販 」 がそれにあたる。
しかも、衣料品や電化製品などと違って、音楽、小説などの ダウンロード は、販売する側が、商品の 「 在庫 」 を持っておく必要がない。
売れ行きの悪い不良在庫を抱え、その処分に悩むこともなく、売れ過ぎたとしても、品切れの心配が一切ないのである。
そういった 「 販売上の ロス ( 損失 ) 」 を見込まなくても良いので、従来の 「 店頭で売る商売 」 より、はるかに安全で、堅実な商売が可能となる。
憤る彼女に、ここまでの説明をしたのだが、それでも彼女は ダウンロード について、その 「 システム 」 には不満を感じると、真っ向から否定的だ。
彼女の弁によると、CD には 「 収集的価値 」 というものがあって、市場における蒐集家の割合は高く、それを無視できないだろうとの意見だ。
また、かつて我々の世代が ビートルズ の 『 アビーロード 』 を、その斬新な ジャケット の デザイン と共に覚えていることも、彼女は指摘する。
およそ 「 名盤 」 と呼ばれるものは、中身の楽曲だけでなく、ジャケット の芸術性など 「 視覚的要素 」 が、強烈に記憶を印象付けている。
そう言われてみれば、しばらく ジャケット を眺めてから、ワクワク、ドキドキ して レコード を取り出す瞬間にこそ、至福の時があったようにも思う。
合理性を追求した結果、簡単に音源が入手できる反面、その作品に寄せる 「 憧れ 」 などの付加価値が損なわれるという意見には、説得力がある。
一見、役に立たないと思われているものが、かえって大用を成すという意味の言葉に、「 無用の用 」 というものがある。
具体的に説明するのは難しいが、たとえば、文章の 「 余白 」 とか、コース料理で次の料理を出すまでの 「 間 」 の タイミング などが、それにあたる。
ピアノ の コンテスト では、最終選考の メンバー に技術力の格差は少なく、優勝するのは、音と音の間の僅かな 「 沈黙 」 を利用できる者だという。
今後、ダウンロード という商業形態をはじめ、従来、「 無駄 」 や 「 無用 」 だと思われていた要素が、次々と排除される傾向が出てくるだろう。
それは、とても合理的で便利な反面、情緒や感性などにおける 「 欠落 」 につながる危険もあり、後で、その無駄が良かったことに気付くかもしれない。
|