| 2007年12月11日(火) |
年金問題に関する三つの疑問 |
「 疑問を呈しなくなるまでは、人は本当の愚か者にはならない 」
チャールズ・P・スタインメッツ ( アメリカの電気工学者 )
No man really becomes a fool until he stops asking questions.
Charles P. Steinmetz
逆に言うと、「 何も疑問を持たなくなったら、本当のバカ 」 となる。
世の中は不確かなことで満ち溢れ、常に疑問が渦巻いているものだ。
自分の思考を持たず、出来合いの思想に凝り固まる者や、あるいは、その集団のことを 「 原理主義者 」 という。
私のような “ へそ曲がり ” は原理主義に向かず、純粋で、何をやらせても応用の利かない “ 退屈な人々 ” が、原理主義の餌食になりやすい。
常に、尊師が言ったから、アラーの神の教えだから、聖書に書かれているから、日本国憲法に反するから … などの 「 原理 」 が、彼らを支配する。
目の前に、原理では解決できない問題や、原理との矛盾が並んでいても、知りたくない情報に対しては、自主的に情報を遮断してしまう。
こういった 「 知りたくないことには耳を貸さない 」 タイプには、話が通じないわけで、宗教や民族問題などの紛争、あるいは戦争の火種になっている。
今年の政局において、最も関心を集めたのが 「 消えた年金 」 問題だが、なんと 「 流行語大賞 」 にも輝いた (?) らしい。
なんにせよ、問題意識を持つのは良いことだが、「 問題だ 」 という割には、政府与党への口撃ばかりで、深く考えている人が少ないように思う。
年金問題について、私が疑問に感じることは3点あるのだが、そのいづれについても、あまり議論されている様子がないことを不思議に感じる。
まず第一には、「 そもそも年金制度は必要なのか 」 という点で、年老いて働けなくなったからといって、生活に困窮するとはかぎらないはずだ。
子供に養ってもらう方法もあれば、老後までに十分な蓄財を貯める方法もあるし、定年のない仕事に就き、ずっと死ぬまで収入を得る方法もある。
実際、年金受給後に 「 平均 2000万円 」 の貯蓄ができているとの報告もあり、もちろん個人差はあるが、それほど悲惨な状況ではない。
また、「 もしも年金を受給できない場合、生活ができなくなる 」 という人は、全体の 「 二割未満 」 だとする統計資料もある。
これは、年金制度がある前提での調査結果であって、もし、本当に年金がもらえないとしたら、おそらく、その大部分もなんとかして生き抜くだろう。
当然、それでも数パーセントの 「 サバイバル能力に劣る人 」 が取り残されるだろうが、あくまでも 「 わずか数パーセント 」 である。
そこで、二番目の疑問だが、「 年金を加入者全員に支払うべきか 」 という点に、話を移していきたいと思う。
消えた年金問題を、銀行預金にたとえて、「 銀行に預けたお金が、窓口で不明だと言われたら、腹が立つでしょう 」 などと仰る御仁がいる。
年金の支払いを、老後の生活に困る年寄りのためだと考えるなら、これは 「 生活保障 」 であって、「 投資 」 や 「 保険 」 の類ではない。
お金を銀行に預けるのは、「 堅実に運用して利息を還元する 」 という契約に基づいた 「 商行為 」 であり、まるで年金とは性質が異なる。
銀行の商売と、国民の生活保障を同一視するような、頓珍漢な兄ちゃんが現れるのも、年金が 「 もれなく支給される 」 という悪法のせいではないか。
80歳、90歳でも、企業の役員や理事をして高収入を得る者、莫大な資産を持つ者、その他、生活に困らない者にまで、年金を支払う必要はない。
年金制度を廃止するまでいかなくても、全員が、老後に困る人を救済する福祉費用として掛け金を支払い、本当に困っている老人にだけ支給する。
そのような 「 合理的手段 」 を用いれば、現在の財源でも十分に運用可能だし、いまのように支払った金額を帳尻合わせする必要もない。
年金制度があるために、「 まだまだ働けるのに働かない 」 という人もいるはずだから、むしろ、健康な年寄りにとっては、年金などないほうがよい。
近頃、「 うつ病に対する理解 」 が向上した結果、うつ病に陥る人が増えたのと同じで、深刻に苦しむ人以外は、甘やかさないほうが本人のためだ。
年金の管理ばかりに焦点を当てず、「 年金制度の在り方 」 から考え直してはどうか、という意見が誰からも出ないのは、なんとも不思議である。
最後に、第三の疑問は 「 なぜ、年金問題で自民党は責められ、民主党に期待する人が増えたのか 」 という点を挙げておきたい。
たとえば、民主党の 長妻 という議員が、社保庁の失態やら醜聞を指摘し、それを 「 英雄 」 のように扱う御仁がいるのは、なんとも不可解である。
社保庁の職員などが属する 「 自治労 」 は、もともと民主党サイドの有力な支持母体であり、彼らと民主党のつながりは深い。
組織に不満のある職員を誘って、同僚の悪口や、職場の悪習などを聞きだすのは、いとも簡単な作業であり、たいした労力も要らない。
長妻 議員 の功績は、それ以上でもなければ、それ以下でもなく、たしかに問題を 「 表沙汰 」 にはしたけれど、何の問題解決も果たしていない。
それどころか、安倍内閣が 「 社保庁の解体 」 を試みようとした際、民主党は自治労への手前から、それに猛反発して解決を遅らせている。
ちなみに、民主党は 「 ネクスト ○○大臣 ( この表現は、ウザくて嫌いだが ) 」 という、政権交代後の各大臣要員を用意しているらしい。
そこで、次期厚生大臣候補は 長妻 議員 でなく、別の人物をあてがう姿勢であることも、物事の道理からみて、まったく釈然としないところである。
つまり、「 悪口を並べて叩く係 」 と、「 一応の改善を目指す係 」 は分けて考えているらしく、長妻 議員 は前者の役どころだという。
もっとも、彼を 「 英雄 」 だと信じて疑わない御仁には、そんな情報は耳に入っても遮断されるのだろうが、それが事実なのだから仕方がない。
以上の三点が、私なりの 「 年金問題に関する疑問 」 というか、いわゆる 「 腑に落ちない点 」 なのだが、皆様は、どう思われているのだろうか。
そもそも年金制度の始まりは、中世の封建諸侯や貴族が、引退後も忠誠を誓う家臣に、毎年、一定額を下賜したことがルーツだと言われている。
それを思うと、できれば 「 国からの施し 」 など辞退して、なんとか自分の力で老後も暮らせるように、頑張りたいと思う。
ましてや、僅かな施しを巡って、国と争うようなことは、なるべくなら避けたいと思うのが、「 普通の感覚 」 ではないだろうか。
反対意見もあるだろうが、個人的には、国からの施しが多いとか、少ないとか、管理が曖昧だとか不満を並べるのは、少し 「 みっともない 」 と思う。
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