| 2008年01月20日(日) |
受験生に伝えたいこと |
「 教育は、学んだことがすべて忘れ去られた後に残る “ 何か ” である 」
B・F・スキナー ( アメリカの心理学者 )
Education is what survives when what has been learnt has been forgotten.
B.F.Skinner
ずいぶん寒いと思ったら、窓の外には 「 みぞれ 」 が降っている。
受験生の中にも、文字通り 「 風雪に耐えている 」 人がいるだろう。
最近の日本人は、自分の長所を明確に答えられないけれども、なんとなく 「 自分は “ 並み以上 ” である 」 という意識を持つ人が増えたしい。
ある調査では、それぞれの大学生が、どの水準の大学に自分が属するかという質問に、過半数の学生が “ 並み以上 ” と答えたらしい。
自分の学校に誇りを持つのは良いことだが、そうではなくて 「 人間の価値は、共通のモノサシで計れない 」 という、偏差値への否定が大きいようだ。
周囲に理解され難いかもしれないが、自分は、なんらかの個性的な部分で他人より優れているのだという意識を、持っている人も多いという。
それが、本当にその通りなら何の問題もないが、独りよがりの願望に過ぎなかったり、世間じゃ通用しない屁理屈では、ちょっと困ったものである。
現状を “ 並み以下 ” と感じる人の中には、世間の不条理や、政治の腐敗や、己にだけ不幸が降り注ぐ悲運を、その原因だと感じている人も多い。
そうした人々は、自分に劣等感を抱きながらも、一方では、「 本来の自分は “ やればできる ” のだ 」 という、曖昧な自己肯定感を持っているらしい。
この “ やればできる ” という言葉が、多くは 「 やらないことの言い訳 」 に使われ、それで切磋琢磨を怠る学生、社会人の姿も、よく目にする。
100% とは言わないが、たとえ多少の偶然が重なったとしても、努力して頑張った人は成功し、それを怠った人たちは成功に見放される。
世の中の大部分は、そんな 「 シンプルな構造 」 で出来ているのに、物事を複雑に語ったり、出来の悪さを 「 個性 」 と誤魔化す風潮が増えてきた。
受験勉強も、すべては 「 質 × 量 」 の問題であり、高い目標意識を持ち、豊富な時間を費やしたかどうかで、その成否が決まるものである。
ただ、私は持論として 「 “ 学歴 ” は大事だが、“ 学校暦 ” には拘らない 」 と思っているので、闇雲に偏差値の高い学校を薦めはしない。
むしろ、受験に傾注するあまり、スポーツで心身を鍛えることなどを怠ると、ロクな大人にはならないので、その点は肝に命じていてもらいたい。
ちなみに、冒頭の名言が示した通り、「 学びつつも、考える力を失わない 」 ことこそが大事であり、学ぶことと、考えることは別物である。
知識と思考は、似て非なる頭の使い方であって、どれだけ知識が豊富でも、ハッピーに生活へ応用できない人は、単なるおバカさんで終わる。
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