| 2008年03月11日(火) |
企業の 侍 ( さむらい ) |
「 どんな人生であれ唯一の義務は、自分自身に忠実であることだ 」
リチャード・バック ( アメリカの飛行士、作家 )
Your only obligation in any lifetime is to be true to yourself.
Richard Bach
卒業、就職のシーズンになり、街には、溌剌とした若者が闊歩する。
この季節を迎えると、自分が社会人になった頃のことを思い出す。
私が学校を出た1982年当時は、いまと違って日本経済が好調だったから、各企業の人事部は有望な新人を確保するために、しのぎをけずっていた。
入社した直後、我々も人事部の要請を受け、同じ出身校で出来の良さそうな後輩を勧誘したり、人材集めに協力したことを憶えている。
それから二年後の1984年2月29日、アメリカ製ゴルフクラブなどのブランド商品を主力に取り扱っていた 『 大沢商会 』 という会社が倒産した。
原因については、時流に乗り遅れたとか、同族経営の破綻だとか囁かれたが、会社更生法の申請が認められ、現在も同社は事業を継続している。
この事件について、倒産劇そのものへの関心は薄かったが、当時、同社の人事部長をされていた 平田 裕 氏 の奮闘ぶりが、強く印象に残った。
従業員が困るのは必定だが、2月29日に倒産した同社は、ほぼ1ヵ月後に入社を控えた50名の 「 就職内定者 」 を路頭に迷わす悩みも抱えていた。
平田 氏 は、翌日の3月1日から二週間、人事部員を総動員して学生の家や下宿先に頭を下げに行く一方、彼らの就職先の確保に走り回った。
いくらその当時が 「 売り手市場 」 だったとはいえ、4月の入社式まで一ヶ月というところだったから、大変に困難な作業だったはずである。
結果、平田 氏 をはじめとする人事部員の努力で、15日までに43名の学生が “ 再就職先 ” を得たのだが、これは驚異的な成果と呼べるだろう。
せっかく自分たちの会社を志望してくれたのに、前途ある学生をスタートでつまづかせてはならないという執念が、平田 氏 らの原動力だった。
43名の就職が決まり、5名は留年して翌年の就職を期すことになったが、「 50−43−5=2 」 残る2名は、意外な反応を示した。
保全管理人は裁判所と打ち合わせて 「 新規採用はしない 」 と決めていたが、なんとこの2名は、「 それでも大沢商会に入りたい 」 と言ったのだ。
二人とも法政大学経営学部の学生だったが、この会社で、一流ブランドのスポーツ用品を売るのが夢だったから、簡単には諦めきれないという。
少しでも再建の可能性があるなら、夢の実現に賭けたいという彼らの熱意にほだされ、平田 氏 は、保全管理人に頭を下げることを決意した。
保全管理人も裁判所も提案を受け入れたが、沈みかかった企業に、あえて乗り込む新人が現れたことは、既存の社員にも大きな励ましになった。
この一件をよく憶えているのは、当時の上司が、酔えば必ずこの話を持ち出し、平田 氏 と、この2名の学生を 「 侍 ( さむらい ) 」 と評したからだ。
平田 氏 は、就職内定者だけでなく、15名いた身体障害者の雇用も他社に頼んで回り、12名の職場を確保 ( 2名は既に縁故で就職 ) している。
その功績と人徳は、広くマスコミにも紹介されたが、平田 氏 の辞意は固く、4月20日に辞表を提出し、潔く退職した。
保全管理人は慰留を説得したが、平田 氏 は、多くの人の 「 肩たたき 」 もしたし、“ 自分が残るわけにはいかない ” と思ったのだろう。
就職シーズンを迎える度、この美談と、酔った上司に 「 貴様は 侍 か? 」 と尋ねられ、「 拙者は町人でござる 」 と答えて殴られた記憶が蘇る。
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