Tonight 今夜の気分
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2008年06月11日(水) 何度も頭を下げる父、泣き崩れる母、両親に感謝できない息子の狂気



「 両親にできるのは、子に良き助言を与え、正しい道につかせて

  やることだけである。

  最終的に子の性格形成を左右するのは、その子自身なのだ 」

         アンネ・フランク ( ユダヤ人 = “ アンネの日記 ” の著者 )

Parents can only give good advice or put them on the right paths,
but the final forming of a person's character lies in their own hands.

                                    Anne Frank



アンネ・フランク は、ドイツ の裕福な家庭に生まれた。

しかし、「 ユダヤ人 」 であるという理由だけで、運命の歯車が狂う。


第二次大戦中、ナチスの手で行われた 「 ユダヤ人狩り 」 を逃れ、2年間、アムステルダムに隠れ住むも、密告により、強制収容所へ移送される。

これ以上、考えられぬほど不幸な運命だが、彼女の遺した日記が世界中でベストセラーになったのは、同情や、哀れみを誘ったからではない。

耐え切れぬほどの恐怖と、絶望の淵にあっても、この日記には、最後まで 「 生きる希望 」 を忘れず、成長する彼女の実体験が綴られていたからだ。

いわれなき差別や、虐待、密告など、「 恨み言 」 の種は数かぎりなくあったはずなのに、己の宿命を呪うような記述は、どの頁にも見当たらない。

人それぞれと言ってしまえば、それまでの話だが、ほんの些細な挫折感で 「 性格を歪める者 」 と、アンネ・フランク の違いは、どこにあるのだろう。


この 『 エンピツ日記 』 を書き始めて7年目になるが、仕事が面白くないだとか、人生が嫌だなどと書いたことは、ただの一度も無い。

なぜかというと、「 そんな風に思うことが、実際にない 」 からであり、別に、やせ我慢をしたり、気取っているわけではないのである。

ただ、誤解の無いように補足すると、それは 「 私の人生に、悲しいことなど何もない 」 とか、「 苦しんだり、失敗したことがない 」 という意味ではない。

もちろん、アンネ・フランク のように悲惨な境遇と直面した経験はないが、現代の日本で暮らす大部分の人にとっても、それは同じだろう。

なのに、なぜか不満や愚痴ばかりを並べ、挙句の果てには社会を逆恨みし、無差別殺傷に走ったり、無意味な自殺を図る人間が後を絶たない。


常に社会が公平とは思わないし、幸運に恵まれやすい人、そうでない人がいるけれど、同じような境遇でも、人生を 「 どう感じるか 」 は異なる。

一般的に、「 世の中が嫌だ 」 とか、「 仕事が面白くない 」 と愚痴る人と、「 人生は楽しい 」 と感じる人の差は、性格の違いだと捉えられている。

心理学者、精神科医などに言わせると、「 ストレスを処理する能力 」 や、「 自分の感情をコントロールできる能力 」 の違いだとする意見が多い。

私の主観によると、人生が楽しいと感じる人の多くは、周囲への 「 感謝 」、「 有難み 」 を知る人であり、不幸ばかりを感じる人は、その逆である。

たとえば、自分を生んでくれた両親への 「 感謝 」、「 有難み 」 を知る人間なら、自殺などしないし、人生の喜び、楽しさを感じた記憶が強く残る。


自分を生んだ両親に 「 感謝 」 せず、周囲の気配りに 「 有難み 」 を感じることができない人は、何かにつけ、周囲の 「 おかげ 」 という感覚が薄い。

感謝する人が 「 親のおかげ 」、「 周囲のおかげ 」 と思うのに対し、感謝をしない人は、「 親のせい 」、「 周囲のせい 」 という不満ばかりがつのる。

楽しかった経験を、「 誰かのおかげ 」 と感じながら暮らす人は楽しくなり、不遇な経験を 「 誰かのせい 」 と恨んで暮らす人は、人生が嫌になる。

上手くいった経験、良いことは 「 誰かのおかげ 」 と感謝し、失敗した経験、悪いことは 「 自分の努力不足 」 と思えば、精神を病むこともない。

病気の人を悪く言うようだが、「 うつ病 」 になる人の大半は、自己愛が強すぎて、親や、周囲や、他人への 「 感謝 」 を忘れやすいのも特徴である。


秋葉原で起きた無差別殺傷事件で、加藤 智大 容疑者 のご両親が、青森市内の自宅前で取材に応じ、息子の犯した罪について謝罪した。

何度も頭を下げ、「 謝っても謝っても償い切れるものではない 」 と謝罪の言葉を語る父親、母親は立ち続ける気力も失い、その場に泣き崩れた。

気の毒ではあるし、息子の年齢を考えれば 「 親の責任 」 とも言い難いが、犠牲者、遺族の無念を思うと、彼らを 「 被害者 」 とは認められない。

おそらく死刑は免れないだろうが、自分のために泣き崩れた哀れな母親の姿を犯人に見せ、「 何を勘違いしていたのか 」 を、最後に知らしめたい。

私のように、両親を早く亡くした者からみると、なおさら 「 親の有難み 」 を感じる謝罪会見であったが、そう感じない人間も、世間には多いのだろう。






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