Tonight 今夜の気分
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2008年06月14日(土) 秋葉原事件から一週間 : 仕事が嫌、世間が嫌 「加藤 智大 」 と同類の人々



「 徳ある人を見たら、その人に並ぶことを目指せ。

  徳なき人を見たら、我が身を振り返り、自省せよ 」

                               孔子 ( 中国の哲学者 )

When we see men of worth, we should think of equaling them ;
when we see men of a contrary character,
we should turn inward and examine ourselves.

                                      Confucius



人間の寿命は、“ すべての失敗を、自分で体験する ” には短すぎる。

だから、他人の行動を観察し、良いこと、悪いことから学ぶ姿勢が大切だ。


先週の日曜、未曾有の連続殺傷事件が秋葉原で発生し、この一週間は、大手メディアも、個人のブログも、その話題に明け暮れていた。

大都市の繁華街で起きた事件は、死傷者の周辺もさることながら、普段、その場所を行き来する多くの人々に、他人事ではない恐怖を植え付ける。

事実、ほんの僅かな時間差で、事件に巻き込まれた可能性のある人々や、犠牲となる明暗が分かれた人々の数は、数百人、数千人にのぼるだろう。

なんとも痛ましく、良識ある人々にとっては 「 二度と起きないでほしい 」 と願う事件であったが、ネット上で、犯行予告を真似る書き込みが現れた。

携帯の掲示板に、「 俺も “ 加藤 ” と同じだ 」、「 犯人に共感した 」 と書き込んだ上で、似たような凶行の再現を匂わす予告が、発見されている。


世間を騒がせた大事件の後に、それを真似る 「 模倣犯 」 が現れることは珍しくないが、その大部分は、犯行の “ やり口 ” を真似たものだ。

たとえば、1984年に発生した 『 グリコ森永事件 』 の直後は、食品会社を標的とした 「 企業脅迫事件 」 が数多く発生し、当時、社会問題となった。

関わった一連の模倣犯は、犯行の “ やり口 ” を評価し、それを真似れば成果が挙がると信じただけで、犯人に “ 共感 ” したわけではない。

ところが、秋葉原の連続殺傷事件に感化され、犯行予告を行った連中は、犯行の “ やり口 ” ではなく、犯人への “ 共感 ” に、興味を示している。

まだ 「 予告 」 だけで、実行されていないが、いつ、どこで、誰を、どのような方法で殺害するのか、まるで見当がつかない状況にある。


つまりは、一口に模倣犯といっても、「 犯罪の方法論を模倣する場合 」 と、「 心情に共感し、同種の犯罪に及ぶ場合 」 があり、今回は後者である。

では、秋葉原で凶行に及んだ 加藤 智大 が 「 どのような心情にあったか 」 という心理を分析しないと、その 「 共感者 」 も割り出せない。

犯行の動機について、加藤 は 「 仕事が嫌だった 」、「 世間が嫌だった 」 と語り、現在、自分の置かれた状況を 「 社会のせい 」 だと話していた。

もちろん、仕事が嫌な人や、世間に恨みを抱えた人は無数にいるわけで、そのすべてが 「 犯罪予備軍 」 だとは言えないだろう。

しかし、ご自身で気付かれていないだけで、周囲からみれば 「 加藤 と同じ発言 」 をしている人は多く、そうでない人々よりは 「 共感者像 」 に近い。


仕事が嫌な人に、「 では、どんな仕事が望みか 」 と尋ねても答えられず、世間が嫌な人に、「 どんな社会が望みか 」 と訊いても答えられない。

それが実態であり、自分の仕事や、自分の暮らす社会に不満ばかりを口にする人は、たとえ周囲がどのように変わろうとも、満足することはない。

彼らも内心では、「 仕事が嫌なのは、職場でなく “ 自分のせい ” だ 」 とか、日本は外国に比べて 「 そんなに酷い環境ではない 」 と知っている。

そして 加藤 と同じく、俗世間と隔絶されて初めて、世間は不満があっても、「 自分の努力で乗り越える人間 」 が圧倒的に多いことに改めて気付く。

秋葉原事件を他人事のように語りながら、加藤 と同類の発言を繰り返してきた人々は、それを恥じ、周囲への悪影響を、この機会に反省すべきだ。






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