2008年06月27日(金) |
半泣きで髪を切る “ 旬 ” の人 |
「 人は、見ようと思うものしか見ない 」
ラルフ・ウォルドー・エマーソン ( アメリカの作家、思想家 )
People only see what they are prepared to see.
Ralph Waldo Emerson
なぜか昔から 「 髪型 」 にだけは、こだわらない性質である。
特定の理髪店や美容院を決めず、暇なとき、テキトーに切ってもらう。
店に入ると、大抵 「 今日は、どんな感じにしましょうか 」 と尋ねられるが、大体の長さを指定するぐらいで、後は “ おまかせ ” にしている。
切る人の熟練度にもよるだろうが、素人である私が細かく指示するよりも、プロに任せておいたほうが、顔立ちや輪郭に合う髪型を仕上げてくれる。
大半は、店に入ってきたときと同じような髪型で、全体的に短くされる程度だから、特に望まなければ、それほど大きな変化は生じない。
そう信じているので、あれこれ注文はつけないが、「 これは失敗だなぁ 」 と感じる “ ハズレ ” の店もあり、そんな時は間を空けずに別の店で切る。
水曜日、仕事の合間に暇が出来たので、“ 土日は予約で埋まるらしい ” と、オフィスの近くで評判の美容室へ、ふらりと訪ねることにした。
清潔で明るい今風の店内に入ると、愛想の良い受付係が手際よく対応し、待ち時間もなく座席に案内され、すぐに、担当の美容師さんが現れた。
こちらは素人なので、技術的な背景はわからないが、テレビや雑誌で目にするような 「 カリスマ美容師 」 の風格を備えた、30代の女性である。
どのあたりが “ カリスマ っぽい ” のかというと、まず、服装が オシャレ で、背が高くてスタイルが良く、セクシーだが品のある顔立ちが、そう思わせる。
簡単な挨拶の後、いつものように主旨を伝えると、早速、作業が開始され、鏡越しに眺めると “ なかなかの美人 ” なので、少し得した気分になった。
しかし、印象が良かったのは最初だけで、髪を切ってもらったり、お互いの会話が進む中で、徐々に、「 なんか変だぞ 」 という印象が深まっていく。
初めのうちは気にもならなかったのだが、「 5分に一回 」 ぐらいの間隔で、私の左頬から顎のあたりに、彼女は、手の平を ペタペタ と当てる。
理髪店と違って、美容院の場合は髭を剃らないから、顔を触られる理由は無いはずなのに、何度も、何度も、ペタペタ が繰り返されるのだ。
撫でる程度の強さだから痛くはないし、中年男を相手に 「 セクハラ 」 というわけでもないだろうが、理由がわからないだけに、どうも不気味である。
気になって観察してみると、どうやら、左の後頭部、右後頭部、左頭頂部、右頭頂部といった具合に、部分毎の調髪が終わる度、ペタペタ とやる。
お正月の 「 餅つき 」 じゃないんだから、やめて欲しいのだが、「 触るな 」 とも言い難く、結局、ずっと最後まで ペタペタ は続いた。
また、ある程度の分量を切る度に、髪全体を クシャクシャ と 「 久しぶりに親戚の小学生に遭った叔父さん 」 のように、いきなり撫で回す。
アテレコを入れるなら、「 ヨッ! 坊主、大きくなったなぁ 」 といった具合で、この動作も、あまり 「 大人の客にする態度ではない 」 ように感じる。
その上、『 ペタペタ 』 やら 『 クシャクシャ 』 と同時に、小声で 「 よしよし 」 とか、「 スッキリしたねー 」 などと、独り言のように呟くのである。
馬鹿にされているとか、不愉快といった感じでもないけれど、見ず知らずのセクシーな美女にされると、なんだか不気味で居心地が悪い。
あるいは、一部の男性客から 「 マザコン心を刺激される 」 と好評なのかもしれないが、普通は 「 気持ち悪がられる 」 のではないかと思う。
会話の中で、 “ 変 ” に感じたのは、「 お客さん、誰かに似ていると言われませんか 」 という質問をされたときである。
質問自体は “ 変 ” でもないし、昔から 「 世の中には、自分に似ている人が三人いる 」 と言われるように、世間には、よく似た人物が存在する。
私の場合、30代前半 ( 痩せていた ) は 永瀬 正敏 に、後半以降 ( 恰幅がよくなってきた ) は 赤井 秀和 に似ていると、よく言われる。
だから、似ている対象が 赤井 秀和 ということなら、この質問も “ 変 ” ではないのだが、彼女の口から出た名前は、「 オグリ シュン 」 である。
思わず 「 おっ、おっ、オグリ シュン て ?! 」 と奇声を上げ、椅子から転げ落ちそうになったが、彼女のほうは、冗談を言っている様子でもなかった。
冷静さを取り戻したところで、やんわり 「 貴女の言う “ オグリ シュン ” と、私の知る “ 小栗 旬 ” が同一人物なら、似ても似つかない 」 と答えた。
それでも 「 赤井 秀和 のほうが似ていない 」 と主張して、譲らないのだが、冒頭の名言が示す通り、そう思い込んだら、そうしか見えないようである。
何事も 「 思い込み 」 というのは恐ろしいもので、鏡の真横に彼の写真でも並べれば一目瞭然だが、曖昧な記憶を断片的に繋ぐと異様な結論になる。
彼女が、「 絶対、似てるって、他のスタッフにも聞いてみようか 」 と動くのを必死で止め、「 お願いですから、勘弁してください 」 と、半泣きになった。
料金を支払うとき、儀礼上 『 ポイントカード 』 を受け取ったが、記憶喪失にでもならないかぎり、二度と来店することはないだろう。
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