冬晴れ。

独り言。
2005年08月14日(日)

ライブビートでさいごにかかったのは、好きなバンドの曲でした。
あたしのCDラックの一番上は、彼らの最後のアルバムが入ってる。


久しぶりに歌声を聴いて、やっぱり泣きたくなったし少し泣いた。
多分彼らにリクエストのメールなんかを送った人たちも、
あたしみたいに泣いたんだろうなぁ。
彼の歌声はどうしてか、目を瞑って聴かないとって思ってしまうのよ。


泣きながら何となく、この歌声がもう聴けないというのは、
やっぱり酷く死を強く、感じさせるもんだなあと思った。
敬愛する漫画家さんのときだって、別のかたちで死を感じさせたけれど、
生身を感じたことは余り無かったから。
偶に今でも、彼女が生きてるか死んでるか、判りたくない気持ちの上で、
判らないなあと思うけれど。
この声の持ち主はもう、骨になってしまったのかって。
今日は曲を聴きながらそう思ってしまった。
凄くその考えは生々しいけど、声は生身だから、しょうがないのかな。

亡くなった、と聞いてからもう三年も経ったなんて、凄く凄く不思議な心地です。
雑誌で初めて見たときの、明るい線路に立つ三人の一人が欠けたとか、不思議。


聞き間違いで無ければ、訃報の後でかかった曲は、
今日の最後の曲と同じものだったと思う。

あなたの曲や声で涙が浮かんできてしまうのは、
あなたの書いた詞が切ないからというだけじゃあ、ないはずだ。
何でこんな風になるんだろう。


今でも、ご冥福をお祈りしています。



撫子。