楓蔦黄屋
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映画「あん」を観た。
お菓子の映画かと思ってたら、もう何歩も踏み込んだ内容になっていて 泣くまいとしても何度も涙がこぼれた。 千太郎と一緒に何度も泣いた。
徳江さんが住んでいるところで、徳江さんがしゃべるシーン。 映画だということを忘れて見入る。聞き入る。
樹木希林はいつも映画の中でそこに生きている。
最近になって制度が改善されたからといって 長く続いてきた歴史は、日常は変わらないということを思い知る。
市原悦子ももういない。 年寄りを一人失うのは、図書館をひとつ失うのと一緒だという言葉を思い出す。
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つまんない映画を観た。
でもそのつまんない映画のおかげで、自分の気持ちをあらためてじっくり知った。
ストーリーという枠組みの中で(外でもか?) 母という立場を対立させるのが好きな人がたくさんいる。 生みの母と育ての母とか。 嫁と姑とか。 ママ友とか。 対立するものだと頭から思っている人がいるのだなと。
母に限らず、女性は対立するものだと ハナから信じて疑わない人がけっこういるのだと知った。
なぜ力を合わせることを嫌うのだろうか。
べつに女性同士だって仲いいよ!と主張したい感じでもなくて (むしろ私は女性の友だちを失いがちだ) (そしてすごく仲のいい女性同士も何人も知っているのでとくに主張する気が起きない)、 なんというか、
別に女性同士に限らず、 「仲がいい」も「対立」も「協力」も共存し得るのに なんでいっこだけしか描かないのかなと思った。 いっこだけしか描かないのは今時もうつまんないでしょと。
古くさいのはつまんないです。
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その古くささを払拭してもらいたくて 映画「朝が来る」を観たい。
その前に「おらおらでひとりいぐも」も観る。
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私は映画「南極料理人」とかドラマ「バイプレイヤーズ」が好きで、 それは 「男性だけのコミュニティで、いつかその立場が変われば自然消滅するであろう関係性」 に憧れがあるからだと思う。 南極観測隊の任務が終われば、ドラマが終わって同居期間が終了すれば、 きっと彼らはもう積極的には会わないんだろうなと思うのが、 それでも成立する関係性が、とても羨ましいなと思う。
南極料理人のクレジットで、ビーチバレーをやっているシーン。 あれはあくまで妄想で、実際にはみんなやんなかったんだろうな、と 解釈するのが好きだ。
楓蔦きなり
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