楓蔦黄屋
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2021年04月17日(土) 乙未・春の夜風

花冷えが続く。
でも冬のアウターだと昼間かならず暑くなる。

いつもマスクをしているので、外出してもうっかり空気の匂いを嗅がずに毎日を過ごしている。
まわりに誰もいないときにマスクをはずしてその日の外気の匂いを嗅ぐ。

でも鼻がじゃっかん利かなくなったように思う。
というよりも毎日ちゃんと嗅いでないから変化の積み重ねができてないんだろう。

春は花粉症だけど、それも四半世紀もそうだともうさすがにどうでもよくなって
憂鬱も感じなくなってくる。
ふだんの症状が軽くなってきたからかもしれない。
でも今年はうっかり油断してしまい、それがもとで寝込んだ。
夜お風呂に入ったときにものすごく鼻がかゆかったのに何も処置しないで寝てしまったのだ。
あのときこそ出来うるべきすべてをするべきだった。
疲れてもいた。

春の夜風が好きだ。
ぬるいのと冷たいのが完全に混ざらないで吹き抜ける感じが。

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めずらしく夫の話でもしようと思う。

付き合いはじめてから21年。
結婚して14年。

長い付き合いだが未だに彼のことがよくわからない。
言語の意思疎通はもちろんできる。性格についてある程度の把握はしているし、
行動の予測もつくし言動についての理解もできるんだが
それでもなぜか「よくわからん人だ」という想いが拭えない。

私は、男性というものを構成する要素に
「真っ黒で熱くてもやがかかった太陽のようなもの」を昔から見る。
多かれ少なかれたいていの人に見る。
それが大きかったり濃かったりする人ほど苦手だ。

夫にはそれがまったく見えなかった。
そういう男性もいるんだと知って驚いた。だから付き合ったし結婚した。

だから「ダンナさんてどんな人?」という質問にうまく答えることができない。
そもそもがよくわかんない人だと思っているし
「真っ黒で熱くてもやがかかった太陽のようなもの」が構成要素にないとかって
自分の口にしたらたぶん自分が一番言っててよくわからんくなるからだ。

「自分にとって不快な要素を持っていない」というのが一番近いかもしれない。
または「不快だと伝えても受け止めてもらえる安心感がある」なのかな。

私と彼との会話は昔から、「無意味」と「不毛」だけで構成されていた。
要するにその場だけで笑えるだけのものだ。
大橋ツヨシの「エレキング」の中で繰り広げられているようなものに非常に近い。
実生活の連絡事項をのぞき、真面目な話はあまりしたことがない。

昔はそれが当たり前だと思って、夫以外の人ともそういう会話を求めていたが
どうやらそういう会話をしたがらない人もいると気づいた。
そういうんじゃない会話をしたい人と話をするとたいてい自分は聞き役になる。
自分から話すことは特にないからだ。

うちの夫婦間は基本的に、相手のパーソナルな部分とそこに紐づく情報を含む会話はお互い、
あまり重要視していない。どうでもいいわけではないがどうであろうとたいして気にしない。
仕事の話だとか友人の話だとか、そういう話は私たち二人とも、
まあしないことはないし相手のはききもするけどその後の会話の発展は特にない。話して聞いて終わる。
しかしたとえば街ですれちがった知らん人がちょっと面白かったとかいうような話だとその後の会話が数珠つなぎに発展していく。
発展したところでその会話はどこまでいってもビックリするぐらい生産性がないが。面白いだけで。

この会話の仕方を夫以外の人に応用するとたいてい失礼にあたるということを、今はさすがに弁えている。
他人には致命的なことを当たり前のように許し合う。夫婦というのは特殊な関係だな。

しかし夫は、私以外の人のならパーソナルな情報をよく覚えていたりする。
たとえば友人の食べ物アレルギーを覚えていて、会食のときに一人だけメニューを変えてあげて感謝されたりしているのだ。対人関係において非常に要領がいい。
その点私は要領が悪いので、そういうところが羨ましい。

さらに言えば、そのパーソナル情報にもとづく気遣いは
私に関してのみまったく発揮されない。
向こうに言わせると私の情報は非常に把握しづらいんだそうだが私にしちゃ納得がいかない。

そういえば趣味や好きなものもあまりカブらない。
嫌いなものも、昔はカブっていたように思うが年を経るごとにこれもカブらなくなってきた。
同じアイドルが好きなのにも関わらず、私は現場が好きで夫はメディアが好きなので、
お互い完全に別行動なため同じものが好きだという実感はほぼない。ライブに一緒に行ったこともない。

書けば書くほどなんだかあんまり夫婦関係がよくないような感じになっているがそんなことはない。
家事だの育児だのに関しての不満もおかげさまでない。

何より、昔からやりたいようにやらせてもらっている。
やりたいようにやっている私の姿を「面白い」と言ってくれている。
20年以上も続いているのはたぶんそれが一番の要因だと思う。




楓蔦きなり

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