きよこの日記

2002年11月21日(木) go Dutch or be treated

私にとって「おごってもらう」ということは、どちらかというと居心地の悪いものです。
もちろん、お財布から出ていくお金は一円だって少ないほうがいいわけで、「ラッキー!」」という気持ちがないといったらうそなんだけど、でも、なんともびみょーな感じ。
なんでだろう?

自分の分は自分で。
だから、私は人におごる喜びはわからない。

ある時、男の先生3人と焼き肉に行きました。
支払いの段になって、もちろん私も払う気でしたが、
「頼むからここはおごらせて!お願いだから。
女に金を出させるのが耐えられないから、払わんで」
と、懇願されて、お言葉に甘えさせてもらったことがあります。
ただで焼き肉、おいしい話ですが、なんとなく、落ち着かない。

いっぽう、スカッとおごられたこともあります。
サークルの先輩がパチンコに勝ったときとか。
「わーい」って、もろ手を挙げてついていきます。
おじいちゃん達とご飯を食べに行っても、「ごちそうさまー」っておごってもらいます。

「女だから」というのに引っかかっているのかもしれない。
前の話の先生は、女に金を出させるのがとにかく嫌なんですって。性分として。
女のほうとしても、頑としてお金を払いたいって言うわけじゃなく、払わせては申し訳ないってことなんだから、お互いに利害は一致しているはずですが、でも、何か引っかかるのは私だけでしょうか。

女だからおごってもらえるというのは、やっぱりずるいように思います。
お勤めしていなかった時代だったら仕方がないかもしれないけれど、今の時代、働かない女のほうがまれなんですから。

そして、おごられると、恩義を受けたような気がして、借りができたような感じもします。
自分の一部を所有されているような、といったら少し言い過ぎでしょうが、でも、フェアーではなくなってしまうような気になります。
「ご飯たべに行こう!」
と言うのも、おごってもらえることを期待しているみたいで、言いにくくなってしまいます。

年長者が年下の人におごるのを受け入れられるのは、いずれは自分が年長者になって、おごる立場になるから「今はおごってもらっちゃおう」と気楽なんでしょう。

では女だから、と、おごられた場合、
「お金のかわりに、何を求められているんだろう」
と、考えると、陰うつな気分になります。

そもそもこんなことを考えたきっかけはある出来事でした。
私は男友達と、女友達をひきあわせるコンパを催そうと企てたんです。
で、調整していたら、女友達が
「ほかにもコンパの話が合って、そっちはおごりなんだよねー。で、他のメンバーがそっちにひかれているんだよ。やっぱ、おごりは強いでしょ」
という感じで、コンパの話は座礁しちゃったんです。

なんだか、さもしいなーと思ってねえ。
「おごられたい」っていう本心は、せめて胸に秘めておくべきものじゃないかなあ、って思うんですよねえ。


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