中学生から高校生のとき、一番好きな教科はダントツに英語でした。 高校時代は英語オタクというほどののめり込みようで、常に英和辞典を持ち歩くほどでした。
新しい世界と知識を手に入れることが楽しくて楽しくてしょうがなかったのです。 私が英語にのめりこんだのはただ、それだけだったように思います。 英語を話せるようになりたい!という望みは不思議とあまりなく、むしろ新しい構文をマスターしたり、長文を読んだり、日本語との相違点を見出したり、そういうことに興味がありました。
一瞬、英語の先生になろうかな、と思ったこともあるのです。それが実際には国語の教師になっているのは、こういうわけです。
あるときふっと思いました。 結局、英語の理解は辞書的な理解を超えない、と。 経験の中から身についたものじゃないから、母語である日本語を超えることはできないんだ、と。
足の小指をたんすの角にぶつけたときに「Ouch!」では感じはでないし、「It〜that」の構文は訳せても、どんなシチュエーションでそれを使えばしっくりくるのかはわからないのです。
私が本当に知りたかったのは、言葉という複雑で繊細で高機能な道具の世界についてで、それを知るためには、母語である日本語について深く知ることよりほかはないと思ったのです。
まあ、私が英語の先生を目指さなかったのは、当時の私は自意識過剰な思春期まっさかりだったので、「r」や「th」の発音を公衆の面前で披露することを生業とすることなど思いもよらなかった、というのが本当のところですが・・・。
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