2005年01月11日(火) |
大槻ケンヂ『グミ・チョコレート・パイン チョコ編』 |
私はこの物語のような熱い青春時代というものを過ごしていないので、 「こういうリビドー全開の青春の形ってあるんだね」 って青春映画を見るようです。
でも、「自分の中にはほかの人とは違う何かがあるにちがいない。それを試してみたい」という気持ちはきっとどんな青春にもつきものなんだろうなあと思い出しました。 自分の中の可能性にドキドキする気持ちと、もしかして、自分は馬鹿にする低俗なその他大勢なんじゃないのか、という不安。 かつて、私のささやかでこじんまりとした青春にもそういう気持ちがあったことを思い出します。 広い世界を求め、漕ぎ出していくほど、自分のちっぽけさを知る日々は甘酸っぱく、かけがえのないものです。
建造はクラッシックの古典を聴きながら、自分に問うてみる。 『人と違った何か・・・・・・それは必ず・・・・・・・絶対オレの中にある。その発露の手始めとして、オレは同志たちとバンドを組んだ。そうだ、UFOを追いかけて太陽の彼方まで飛んでいった男の名を冠した「キャプテン・マンテル・ノーリターン」は、間違いなくオレの初めて手に入れた表現の場なのだ。山口美甘子に追いつくため、追いこすため、ぶっちぎって差をつけるための場を得たのだ・・・・・・でも』 カワボンが言った。 「賢三は、何ができる?」 「うん、オレは・・・・・・・」 ―――では、オレは一体その場所で何ができるというのだ!? 美しいピアノの調べの中で、賢三は途方に暮れた。
|