拝啓
北東では深々と降り積もる雪達が、音を吸収して静寂だと思っておりました。
けれど、霜月にも入ると東海でも静かに夜が暮れていきます。
葉月の田のように、立ち込める水蒸気も、稲穂が揺れる音も、
蟲のざわめきがなくなっているのですから。
深々と包み込まれるような寒さに、中旬を過ぎた月は数日で満ちようと白銀のように駆けております。
白銀の輝きを享けて、紺色の瓦屋根は海の波に反射する波紋のように揺れながら、
テラテラと溟さを掻き乱されて、純白が散っています。
天空に隔絶した月のまわりに、完全な円形となったオイスターホワイトの霧が5倍もの同心円を広げ、
その縁に、微かに緋色や空色の薄化粧をしています。
けっして月よりも明度も輝度も密度も、半分も求めずに、いじらしいオイスターホワイト。
満月でなくとも、完全な円形を広げて栄枯満欠を包み込んでいる。
曇天や雨天という障害には何も役には立たないけれど、時を経たならば、優しく包み込む乳白色。
万事順調な晴天が続く時には、影も踏まないように現れないでいる。
そんな白がみえています。
敬具
読み等;「静寂(せいじゃく)」、「霜月(しもつき)」、「享(う)けて」、「溟(くら)さ」、「掻(か)き」、「隔絶(かくぜつ)」、「微(かす)かに」、「緋色(ひいろ)」
注;「霜月(しもつき)」は旧暦の11月の別称。なので、その後の「中旬」は旧暦(月を基準にして出来た陰暦)の意味であり、月の満ち欠けを暗示している。「駆け」は「欠け」も。
「溟(くら)い」は、大海の深く暗いの意味。色で言えばミッドナイトブルーか。文中の「海」を享けて。
「栄枯満欠(えいこばんけつ)」は、「栄枯盛衰」に引っ掛けた造語
「みえています」は、普通の意味での「見える」の他に「観える」と「看える」を入れて多義的にしたかったから。そうして間接的な表現にしたかったかったから。「観える」、農耕儀礼に由来するこの文字は、呪的にその対象を支配するの意味があり、女性的な束縛を意味する。「看える」には、手を目の上にかざして望み見るの意味があり、月に象徴される相手を取り巻くようにしたい作者の望みと、実際上の月を仰(あお)ぎみるような心理の2つを含む。
執筆者:藤崎 道雪