赤い爪の人がいた。
「赤い」や「爪」という物質面を思い出すのは、なにもあの人が即物的なちんけな人だったからではない。
精神的に躍動(やくどう)していて素直でそれが魅力的ではあったのだけれど、他の異性へと躍動したのだった。
けれど、決して自分から連絡を断絶したいと申し出はしなかった。
あの人は本当は、怒って止めて欲しかったのかもしれない。
あの人の心の底では、止めるか突き進むかわかっていなかったのかもしれない。
そういう道筋を通らないと心の底に判断が定着しないのかもしれない。
私もそうだったから。
「いいよ。それがあなただもの」、「それが与えられた性(さが)そのものだもの」と心の中で呟(つぶや)いて、
私はあの人との距離を開かなかった。
けれども、いつかくるだろう物理的な距離が強欲に割り込んでくるのも観えてはいる。
私の中にある「美的な倫理観」が真っ青な小さな棘(とげ)となって胸に残っているからだ。
洗い流せない青い棘から目を背(そむ)けるように、
真っ赤なテールランプの煌(きらめ)きを吸収するような夜空を見上げる。
弾力があって日焼けできないもち肌を恋しいという肉感でもいい。
ちょっと大きな瞳(ひとみ)が細くなり、無くなってしまうほどの笑顔でもいい。
私は異性にもてているんだ、という恋に恋するナルシズムでもいい。
仲間内や家族に対する世間体やストレス解消というそんなものでもいいのだ。
そんなお手軽な、口腔(こうくう)にふわっと香りが広がるコンソメスープたちの内へ、
私の凍りついた青い棘を溶かしださせればいいのだけれど。
けれど、色彩も心彩(しんさい)も心の底では即物的でしかない。
注記;「心彩(:しんさい)」は造語。「心の彩(いろど)り」というそのままの意味で、「心の、多様性や情感の豊かさや躍動感」を指す。
執筆者:藤崎 道雪