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「 コロッセウムのような 」
2004年12月15日(水)



 生き死にが全ての人間より分かった所でどうだというのだ。
 洋の東西による、宗教観により、物理的現象や化学反応、アポトーシスなどが分かった所でなんだというのだ。
 そんな全て他人の、そして回避不能の、全く知識だけの、心の受け止め方だけの、そんなもの。

 寝床を用意する。枯葉のような寝床を。
 倒れこもうとする。倒れこんだ錯倒で身を汚せば。
 枯木の寒巌にさらす。仏教を禅派で打ち壊していくのが。
 
 右肩付け根、前方の神経伝達システムに電気が流れるように痛い。
 また、右手薬指、爪を剥がしてストレスの外在化現象が無意識行動を刺激した。
 さらに、くだらない。

 出鱈目でもある。人の及ばない神意の世界。
 コロッセウムが必要なのだ。この狂気には。
 生涯年金とバブル以前の日本が作り上げた終身雇用、年功序列が必要なのだ。この凶器には。
 不可知と可知、無神と有神、無心と現象、現象と実体、欲とこだわり、出鱈目といい加減、全ての共通項と反対項に還元される構図が必要なのだ。この驚喜には。
 
 この狂喜、直ぐに消え逝く。
 直ぐに消え逝き、また待っている。
 細胞死が個体のためにあるように、個体死が種のためにあるように、種死が生物のためにあるように、生物死が何者のためにあるか分からないからだ。
 だから待っている。
 いや、反射的に無意識の世界で殆どその、その強烈さに惹かれている。
 
 全てが、全ての言葉が、装置が、機構が、種や生物が、生活や老いが、余った時間が、知識が通念が、全てがこのためだけに。
 私は私をジャンキーと規定するが良いだろう。
 そこに1つの抜け道がある。そこに1つの逃げ道がある。
 この狂喜から逃げていく道だ。
 この狂喜から逃げていく道だ。
 この狂喜から逃げていく道だ。
 狂気、凶器、驚喜、そして狂喜。
 ああ、今度は右米神だ。金属のボールペンで時々突き刺したような、薄くキーンとする偏頭痛。
 語りも捨てよう。欲もこだわりも捨てよう。偶然もインチキも捨てよう。そして捨てる事も捨てよう。捨てる事を捨てる事も捨てよう。
 無限の連鎖後退、その中に一筋の自然科学的光明があり、けれどその限界も私の死によって明らかだ。
 
 狂喜。尊びもしない。
 狂喜。語りも卑下も捉えも苦しみもしない。
 狂喜。私の瞼(まぶた)を閉じさせるだけもの。


追記:原題は「狂喜」。「コロッセウム(ラ Colosseum) 古代ローマの大円形劇場。収容人員5万名。75−80年に建造。闘技場として剣闘士の殺し合い野獣と人間の格闘などが行われた。コロシアムとも。」

執筆者:藤崎 道雪

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