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「 性の湖中 」
2005年02月16日(水)



 どこまでも自分の奥深くに性(さが)をさらっても滾々(こんこん)と湧き出でてくる。
 搾り出しても、理性で煮詰めて吹き飛ばそうとしても、悟性で源泉に蓋をしても何時の間にか漏れ出して蟻の一穴になる。
 文化で結晶化しようとも、絶食で根本まで掘り壊そうとしても、私という個性の世界の中に溢れ出し全てを飲み込み、いつのまにか私は性という湖中に沈んでいる。
 あれほど嫌悪し、両親や親友までにも苛立ち、罵声を浴びせ、殴り殺し、義憤で脳天が爆発しようとも、性の湖中に浸れば、何とも穏やかな気持ちになってくる。
 死の薄膜、思いの強い人が死んだ後に他人との関係に張る精神的な薄膜も、暴力の混乱、レイプや殺しが自らの肉体に向かった後で根源的な他者に触れると生じる混乱も、時、人、空間、芸術などをきっかけに性が安定的な日常生活へと引き込む。
 ひりつくような感動も、精神が壊れる歓喜も、眼が暮れる怒髪も、心臓が飛び出す好奇も、地球が凍りついた悲哀も、全てが性の湖中に引き込まれ、穏やかな気持ちなってしまう。

ならば、いっそのこと、その辺の似非詩人の言葉のように「自分を受け入れ」、「苦しまず楽しく」と進んでいけば。
ならば、いっそのこと、古代ギリシャの快楽主義者のように「精神的な快楽だけを」と性があってもブラックボックスにしていけば。
ならば、いっそのこと、世界宗教の後継者による変形のように「性は悪である」と絶対性を持ち込み、単純な二元論で排除していけば。
ならば、いっそのこと、民主制資本主義による肯定のように「欲求こそ発展の始点で、消費こそが性である」と性と欲望の同一視のような衆愚に満足していけば。
ならば、いっそのこと、数々の学歴主義者のように「天才ゆえに理解しうる」というくだらない全能感と、知性そのものを単一に扱う非賢とで、湖中の砂を数えるような作業に没頭していけば。

 何故、鰓呼吸なのに窒素と酸素と少しの二酸化炭素の世界の広がりを知ってしまったのだろうか。
 何故、性から逃げられないと言うのに性から隔絶した世界の広がりを知ってしまったのだろうか。
 何故、斯の様に…
 次に動詞を続ければ、また、性が流れ出してくる。
 春一番に揺らめく睡蓮のような湖面の上には、個の肉体よりも刹那な広がりがある。

注記:「性(さが)」「滾々(こんこん)」「湧(わ)く」「搾(しぼ)る」「悟性(ごせい)」「蓋(ふた)」「漏(も)れる」「蟻(あり)」「溢(あふ)れる」「苛立(いらだ)つ」「罵声(ばせい)」「浴(あ)びせる」「殴(なぐ)る」「義憤(ぎふん)」「浸(つ)かる」「穏(おだ)やか」「似非(えせ)」「衆愚(しゅうぐ)」「非賢(ひけん)」「没頭(ぼっとう)」「鰓呼吸(えらこきゅう)」「隔絶(かくぜつ)」「斯(か)の様(よう)」「揺(ゆ)らめく」「睡蓮(すいれん)」「刹那(せつな)」

執筆者:藤崎 道雪

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