ものかき部

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「 緑のブランコと嘘と 」
2005年05月01日(日)




 「許してくれ 許してくれ 許してくれ」
 
 突然、小さな店に響き渡った。
 さる地方都市の栄えていない南口の場末の飲み屋街を少し超えていって、全然流行っていない店に、仕事が終わった8時過ぎに入った。
 通り向かいの大型チェーン系居酒屋のお陰で、テーブル3つの12席、カウンター5席に5人以上居たためしがない。落ち着く色合いの小奇麗さと香辛料がアジアンチックなので、週に1回は夕食作りをサボりにきていた。縦3つ並びのテーブルの真ん中に、今時、肩甲骨(けんこうこつ)を隠そうとする黒髪と、その後ろに男声の主(ぬし)が座っているようだった。奥のテーブルに腰掛て木枠の入り口の方をちらりと眺(なが)めると、黒髪の踵(かかと)が貧乏ゆすりのような微(かす)かな震えが視界に入った。薄茶色のブラウスと墨色(すみいろ)のスカートだろうか、椅子の背もたれで隠れていてよく分らなかった。
 黒髪に鬼の角を生やすかのように黒系長袖シャツの両手が広がって、閉じ、パチンと音を立てた。
 
 「許してくれ。頼む、この通り!」
 照明を少し落としているのに、キューティクルがありありと分るその裏で、男が頭を下げているような感じを、チェーン店のゴテゴテギラギラで間接的に照らし出された空気が、茶色のトーンに染まった空間に運んできて、吹き抜けていった。
 40歳前の小柄で眼がちょっとクリクリした寡黙なオーナーシェフは、左手の視界からさらに奥まったキッチンにいるようだ。客は3人。とはいっても男の印象など全くない。入り口をくぐる様に進んだ時に右手のオーナーの方へ「いつものチキンチーズカレーと紅茶。ホットでアールグレーで。」と声を掛け、ススッと一番奥の座席に寄りかかり、職場のビルの1階コンビニで買った雑誌を開いたのだから。
 パラパラと30頁もめくった新作のブランドものの特集を、突飛な大声でテーブルの上に横たえさせていた。すでに欲しかったブランドものなど、豆鉄砲を食らった鳩のように消し飛んで忘れてしまった。ポカ〜ンと口が半開きになり、目だけがぐいっと大きくなった気がすると、

 「ほんとーにごめん! もーしないから、許して」
 今時、黒髪にワンレン。心の怒りが治まっていないのだろう、またまた、鬼の角のように両手が広がった。まるで黒髪の内なる怒りを、黒シャツが外に出して表現しているようで、クスリ、と声をたてそうになってしまった。多分、もう何度も男は女を蔑(ないがし)ろにしてきているような感じを、さっきと同じ角度で上がった両手が現しているようだった。
 女と男、不倫と結婚、セレクトショップとブランド、主体的にする仕事のような非主体的な労働、そしてそれと疲労を拭(ぬぐ)い去る装置としての旅行や映画。何だか10年も同じ職場にいると飽き飽きしてきていた。時代に乗らないダサ目の黒髪と大きくて大げさ声は、何だか何もかも払拭(ふっしょく)してくれそうでワクワクした。
 直ぐに深い茶色の木目調の右の壁側へ黒髪は顎(あご)を少し上げた。ワンレンでオンザ眉毛っぽいのが、黒絹のカーテンが揺れるような反対側にあった。サラサラと揺れると同時に、さっきまでの毛先の振動がブラウスの奥の両肩に写ったようになった。

 「ごめん! ごめん! ごめん! 悪かったよほんとに・・・」
 「じゃあさ、今度、一緒にドライブ行こう。前に行きたいって言ってた雑誌の特集にあった料理店に行こうよ」
 料理店か、ちょっといいな、美味しそうだな、なんて思っていると、オーナーがこっそり横になっていて、囁(ささや)くようだ「アールグレイですよね?」と聞いてきた。あーあ、と右に反射的に向いた視線だけを黒髪の戻した。髪から写ったさっきまでの肩の怒りは、もっと下って下半身に移ってしまい肩は静かになった。換わって腰が、バーンと爆発して飛び上がり、可燃物や爆発物のように新鮮な外の空気を求めて立ち上がった。右のイスに置いてあった、これまた古風な女性物の小さくてクリーム色のショルダーバックを手に掴(つか)むかと思ったら、ツカツカと勢い良く木枠の入り口に脚を進めていった。視線は、むっちりとし乱れた重尻(おもじり)に釘づけになっていて、「あ、ロングスカート」くらいは判った。男の方はピンボケになっていたけれど、黒シャツと長めの黒髪とホッソリした顔は、動揺したそぶりを全然見せずにいた。これもいつも通りで、部屋にでも戻って仲直りでもするんだろうか、なんて思って、ちょっぴりだけ、羨(うらや)ましくなった。
 
 顔はボケて全然見えていないし、立っていないから背丈も仕事も性格も判らない。経済力も分るわけないし、浮気性っぽい。友達と会えばいっつも話す芸術や服装や音楽のセンスなんかも、めんどくさい向こうの親とか遺産とかそんなんも全く知らないけど、なんだか黒髪を、きちんと女を捕(つか)まえているみたいで羨ましくなった。
 デートで全く奢(おご)ってくれなくったって、結婚してたって不倫になってしまったって、ちょっとくらいギャンブルしたって、仕事場じゃー嫌だけど煙草をベッドで吸われたって良いかもしれない。
 
 だから、黒髪はきっと彼の下に戻るんだろうな。
 だから、黒髪はきっと彼の下に戻ってしまうんだろうな。
 何だかかなり淋しくなって、何だかすんごく悔(くや)しくなって、何だかすっかり仕事の疲れが取れてしまった。
 
 あっ、と気がついて「そうそう、アールグレー、ホットね」とオーナーの方も見るともなしに答えた。
 

追記:題名は、アーティスト「RAMJA」の曲名「ブランコと嘘と」を聞きながら出来た作品なので付けた。緑は、植物、黒髪、女性の隠喩(いんゆ)の意味でつける。女性の強(したた)かさやしなやか(:柔軟、優美の意味)は5月の緑豊かな植物に通じ、ブランコはその合間を行き来している意味で。他方、女性のこうした態度は男性から観ると論理の一貫性がなく嘘に映りやすい、という意味で。
 

執筆者:藤崎 道雪(校正H17.5.6)

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