張った自らの臀部をまさぐってみる。脂肪の柔らかさを増した腹筋を力ませてみる。両肩を張り両肘を近づけながら筋肉を巡らせる。
サラサラと抜け零(こぼ)れるように両脹脛(ふくらはぎ)がスカートのように広がったような錯覚に。
両手の人差し指のつき指は永遠に解消しないかのように痛みを長年訴え続けては消えずに隠れ遊ぶだけだ。
2ヶ月に1回の心臓痛はもう慣れっ子になって、朝起きた時の奥歯の痛みも、コンタクトをする時の視力の低下も、全てがもう過ぎ去った現在のように。
圧倒的な、圧殺されるこの四肢、そしてその仕組み。ああ肉体という私よ
偶発的な、謀殺されるこの精神、そしてその不可解。ああ自我という私よ
合理的な、啓蒙されるこの意志、そしてその崇高さ。ああ社会という私よ
決定され嬲られ穢され取り込まれ満たされ遊ばれ苦しめられ悩まされ放られ喜ばされ悲しまされ呆然として唖然として、合理も感情も肉体も植えつけられた、この私よ
私よ 私よ 私よ
さて私よ 私、とは何であろう。いや、私とは何処に、何時、どのように、誰のもの、なのであろう
どれにも該当しないのに、どれにもありはしないのに、その私よ
私よ 私を探す事など無意味なのだろうか 無駄なのだろうか 無益なのだろうか 無駄、無明なのだろうか
サラサラとスカートは腰まで舞い上がって、その内その砂のハリケーンで両目の視界が塞(ふさ)がれるのが観えている
手を合わせろ コーランを唱えろ 神の名を呼べ 帰依しろ 感謝しなくとも救われる 捧げ物を
これら全てが砂のハリケーンの防護策にならないのも、観えているのだ
粛々と 全てが静寂へ 粛々と 1つが可憐に 粛々と これがある
追記:原題は「粛々と これがある」です。
執筆者:藤崎 道雪