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「 サッカーの永劫 」
2006年07月03日(月)




 サッカーというスポーツのナショナリズムに穢(けが)された姿はどうだ。 明らかなルール違反も、明確な道徳逸脱も、明瞭な相手への冒涜(ぼうとく)も、明晰なる神の戒律違反も、ナショナリズムによって反から合へ呼び戻されていく。
 ゴルフなら野球なら陸上競技ならどうだろう。
 規模が大きくないから対象外に置かれているだけであって、本質的な穢れは見え隠れしている。

 悪魔というのなら祓(はら)っても、気枯(けが)れというなら祭(まつ)っても、打ち消せないそのナショナリズムの根本はこの肉体の中に
 文化も文明も人種も男女すらも超越して押しつぶしていく、その根本的な非合理性に、私たちは胸を打たれ、思い煩(わずら)い、全てを許し、善悪の判断を留保し、そして狂うのである。

 至高よりも不純な聖性としてのナショナリズムを私たちは求めている、その対象がサッカーというだけだ。
 本能よりも頑強な性性(さがせい)としてのナショナリズムを私たちは与えられている、その対象がサッカーというだけだ。
 許されるのだろうか、この身は、いや許されるはずがない。
 個性を持てるのだろうか、この身は、いや持てるはずがない。
 国家を求めているのだろうか、この身は、いや求めているはずがない。

 次の悪魔は、また、サッカーだろうか。
 次にお祭は、また、サッカーだろうか。 

 永劫の宿痾(しゅくあ)、永続の個別


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