2007年06月04日(月) |
もともとひとつの同じ方向性を示していたもの。 |
もともとひとつの同じ方向性を示していたものが、それぞれに別れて進んでいく。
親子、とか。 元・恋人、とか。 学生時代の友人、とか。
あの頃は、まるっきり同じ進路を取っていたはずのふたり。 今は違うけど、それぞれに別の進路をとって、それぞれに進んでいく。
そういう価値観に、なんとも言えず惹かれる。 胸がきゅんとなって、苦しくなる。
離れていってしまったこと自体は、どうしようもないと納得する気持ちと。 離れたその人の幸せを願う気持ち。 それでも、あの頃に戻りたいという郷愁と。 戻らないことで未来を見つめたいと思う決意。 それを思うと、いつも切なくて、儚い気持ちになる。
あの街に、どうともいえない居心地の悪さを感じるようになったのは、この頃。
今日、思った。 わたしは完全にモラトリアムを卒業したつもりになって、そこに留まっている人たち に何となく優越感を感じて、きっぱりと別れを告げたつもりでいたのに。 きっと、まだまだモラトリアム特有の曖昧な時間の流れに未練があったのだと 思う。 それに気づきたくなかったのだと思う。 あの街を歩いていると、そういう情けない自分を突きつけられる。
不安定な年頃だ。
やたら水を飲んでいる。 ミネラルウォーターを買ったり、浄水器の水を冷やして持参したり。
今、わたしの手元には“evian”と“volvic”のペットボトルが。 明日から水筒代わりに使うのは、どちらにしようかな…。
今日もチャカティカに行った。 外でカレーを食べて、あんなにおいしいと思ったのは初めてだ。 茄子はじんわりと甘いし、いんげんもぷりっとしている。 辛いけど、マイルド。 どことなくうちのカレーの味に似ているような気がする。
チャイは、まあるくて、甘い味がした。
…なんてことをやってたら、まんまと遅刻。
後ろを振り返るのは好きじゃない。 感じていたいのは未来だし、未来は希望だと思う。
彼の声や、吐き出す言葉には、わたしが普段通り過ぎていったであろう “あの頃”の感じがぎゅぎゅっと凝縮されている。 他のものからは、それは不快なものとしか感じられないけれど、彼にかかると、 何となくきらきらと、でもどうしようもなく戻れない感じに切なさを抱かせる。
わたしにも、そういう“過去の思い出のような”ものがあったことを、伝えて くれる唯一のもの。 心地よいとも違うけれど、何となく自分の中に確認しておきたい部分。
どうしようもなく内へ内へと向かう気持ちと、それでも外へ発散させずに いられないenergy。 どうなることやら…。
ひとまず、仕事を片付けよう。 始まったばかりだというのに、既に、相当溜まっている。
♪BGM/Saigenji AL.『innocencia』 ■My Blog■ http://yaplog.jp/4254_0516/ (人観察Blog)←止まってますなぁ…。 http://yaplog.jp/4254_0516_2/ (写真diary)
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