Dance日記帳
モクジ|キノウ|ヨクジツ
ひとを叱ることが苦手だ。
ひとを叱れるほどの人間なのか、毎度、悩む。 叱る理由をあれこれ説明し、その諄さやしつこさにうんざりするのだ。 叱ったあとの気持ちの毛羽立ちも、堪らなく不快だ。 苦い薬をゆっくりと飲み込んだあとのように、じわり、じわりと苦みが残り、いつまでもすっきりとはしない。
ついつい、叱るということから逃げ腰になる。 どうにかして叱ることをせず、物事を済ませようとする、都合のいい自分がいる。 叱るという一番嫌な処方を誰かに押し付け、痛い思いをせずにいたいと思うのだ。 そういう自分の猾さもイヤになる。
空風のように、ひとの間違いを指摘して、適切に叱ることのできる人に憧れる。
例えば、日舞の師匠のように。 そして、カナコのように。
ひとを叱ることのできる人は、心が強く、そして本当の優しさをもっている人であると思う。 そんな風に自分もなれたら良いと日々思うのだ。
時として、叱ってもらえるということに深く喜びを感じる。 叱られるということは、今後期待されているという証だからだ。 見捨てられ、今後に希望をもてない存在に成り下がってしまったら、もう、誰も、私のことなど叱ってはくれないのだろう。 私を叱ってくれるひとは、叱られた私の苦渋の思いの何倍もの思いを抱え、それでも私を良い方向へリードしようとしてくれるのだから、何れ程に感謝の気持ちを持てば良いのだろうか。
叱る時、それは、自分の心に棘を刺す痛みに耐える時。 ひとへの期待と希望を自分の痛みをもって表す時。
いつまでも叱られるだけの立場でいられた子供の頃に戻りたいと思う、そんな弱さを許して欲しいと思う。 また、ひとつ、強くならねばならぬと思う。
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