Dance日記帳
モクジキノウヨクジツ


2006年05月20日(土) 言の葉

ダンスは何故愉しいのだろう。

単に身体を動かすだけであれば、スポーツジムでマシントレーニングやエアロビや、今流行りのヨガやピラティスのほうが良いだろう。

どうしてダンスに魅力を感じるのか、そして、それ以外のものが代わりになることはないのだろうか。

長年踊り続けていると、同じ自問自答を繰り返す。

自己表現

思いや考えや、心に詰まったものを吐き出す最高の手段。
言葉以上のものを伝える方法。
「目は口ほどに物を言う」と言うのだから、目という小さなパーツだけではなくて、身体全部を使うダンスはもっともっと「物を言う」のだと思う。

表現を伝える相手は誰かじゃなくて良い。自分自身。

今月の作品については、可也「自己表現」を遣ってもらわないとならない。
「自己表現」の基本練習だろう。
自分に向き合い、自分の心情を知り、それをまず言葉にすることから始めて欲しい。

もし、フィクションストーリーをもとに踊るとしても、基本的な喜怒哀楽については「自分ならではの表現」を知っておかないとならない。

例えば、「泣く」ということについても、いろんな表現があるだろう。
「号泣」なのか「しくしく泣く」のか「泣き笑い」なのか「嗚咽を堪えた」ものなのか「声を上げて泣いている」のか。
同じひとりの人間であっても、心はひとつであっても、そこに在る感情は様々。同じ「泣く」でも、何通りもの感情や違いがあるのを知っているはずだ。其れをまず言葉にしてみる。詳しく説明してみる。
その作業をするうちに、少しずつ「動き」に思いが沁みてくるのだ。

語彙が少なくてもいい。
自分の持つ言葉で、気持ちを綴る。
他人に伝わらなくてもいい。自分がわかれば十分だ。
そのうち「人に誤解なく伝えたい。そのためにどうすれば善いのだろう。」という域に達するようになるだろう。

レッスンが長続きしているメンバーや着々と上達するメンバーに多く共通することは、彼等は実によく私あてにメールを送ってくれる。
其所には単なる愚痴やら、ダンスへの思いやら、お休みの理由やら、雑談までが書かれている。筆無精ならぬキーボード無精の私が全く返事を出さなくても、思い付いたことなどを言葉にして送り続けてくれる。
其れは確かに私に対する応援でもあるのだろうが、本人たちが気付かぬところで彼等を成長させる栄養になっているのだ。
「単なる愚痴」とは言うけれども、其れが大切。
自分が何をどう感じたのか。どう思ったのか。
起きている現実や、物事の現状を語るよりも重要だ。
此れができる人は、ダンスのうえでの表現についても抵抗や迷いがみられない。
自分が心のなかに溜めてきた思いや、心の動きを表現できた時、すっからかんになった心と程よく疲労した躯とが絶妙なバランスをとって、其れが踊る快感につながってゆくのだと思う。

何をどうしたら、もっともっと愉しく踊れるのか。
自己表現はどうしたら出来るようになるのか。
悩んだり、迷ったり、わからなくなったら、まずは愚痴メールを書いてみてください。メールは個人的過ぎて嫌だと思うのならば、掲示板に何か話題をふってみてください。
自分自身の中で「愉しいディスカッション」をしてみてください。

オープンクラスを見学しに来たダンス経験者の友達が「思っていたより難しいよ〜〜〜〜〜!」と驚いていた。
確かに、今月、皆さんに求めるものは「ターン」だとか「ジャンプ」だとかテクニカルなものではないので、いつもより難しいのだろう。


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