また帰って来たロンドン日記
(めいぐわんしー台湾日記)

DiaryINDEXpastwill


2004年02月17日(火) 【ほん】灰谷健次郎 兎の眼

 この本は、実は子供の時にうちの母親からいい本だから読むようにと言われて、何度も読もうと努力した本だ。結局何回もトライしたが、絵が暗い感じであまり好きでなかったのと、字がいっぱいでいやな感じがしたので途中で挫折していた。ただ、どこかで心にひっかかっていたらしく、友達のホームページで紹介されていたのを機に、実家に頼んでロンドンまで送ってもらい、20年越しで読むこととなった。




 写真は理論社刊の本。俺が読んだのは同じ表紙の本で1980年の59刷版。現在は理論社以外にも角川文庫、新潮文庫など文庫版もでている。


【紀伊国屋BOOK WEBより】

灰谷健次郎;長谷川知子
理論社 1980/00出版
23cm 317p
[A6 判] NDC分類:K913

 大学を出たばかりの新任教師・小谷芙美先生が受け持ったのは、学校では一言も口をきこうとしない一年生・鉄三。決して心を開かない鉄三に打ちのめされる小谷先生だったが、鉄三の祖父・バクじいさんや同僚の「教員ヤクザ」足立先生、そして学校の子どもたちとのふれ合いの中で、苦しみながらも鉄三と向き合おうと決意する。そして小谷先生は次第に、鉄三の中に隠された可能性の豊かさに気付いていくのだった…。
学校と家庭の荒廃が叫ばれる現在、真の教育の意味を改めて問いかける。すべての人の魂に、生涯消えない圧倒的な感動を刻みつける、灰谷健次郎の代表作。


【感想】

 読み進めていくにしたがって「複雑な気持ち」が増していく。平等な教育、教職員組合、戦争問題などなど、もはや歴史になりつつある当時の教育現場をめぐる葛藤が、同盟休校、ビラまき、ハンストというこれまた、いまから見ると歴史的となりつつある運動形態で展開していく。校長が一年生の生徒を一方的に殴ったり、熱血漢な先生が年上の先生たちと殴り合ったりする、今ではあまり考えられない「昭和」な世界。多分俺が、そういうコンテキストを多少なりとも共有し、そしてまたそういう運動のネガティブな部分を見てきているためにどうしても複雑な気持ちがしてしまうのだろう。

 しかし、以上は形式の話である。それを除けば、やはりいい本ではないかと思う。いろんな示唆を与えてくれる本であることには違いない。俺も読み進めるうちに何度も泣いたし、読み終わったあとにはいろんな思いが脳裏をよぎった。もう亡くなってしまったが、知り合いで、先の大戦、ビルマの部隊の中で一人だけ生き残って帰国した日本兵、彼は当時まだ十代だった。今は刑務所に入っている友達、原発の増設に反対して北海道電力前でハンストした友人、怒るとすぐに殴ってしまう友達。高校の時、学校に来なくなった友達。高校中退した友達に、自分は何も出来ずにただ送りだしてしまったと振り返る友人。


 それで「個性」ということを考えた。養老孟司も著書「バカの壁」のなかで触れているが、個性というものは特別なものではない。自分が持っているものそのままが個性である。個性を伸ばす教育がいいとされ「個性を伸ばせ」という。そうすると、多くの人はもともとひとりひとりが持っている「そのままの個性」を認めていこうなんて思ってもいないので、次には「求められる個性」というものが出てきて「持ってもいない個性を伸ばせ」と無理を言うことになる。個性とは何か、個性を伸ばすとはどういうことか。現代社会の中、自分も子供の親になっていく一人として子供や教育を考えたりするのにいい。そして子供だけではなく、大人の個性もこの物語の中で浮き彫りにされているさまざまな登場人物を通して多いにに考えが広がっていく。この兎の眼という本はそういう意味でやはり面白いのではないかと思った。

 ただ、個人的には、これが「子供の本」とされていることには宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」など同様に違和感を感じる(笑。宮沢賢治はともかく、「兎の眼」は、例えばどんな子供が読むのだろう? こういう話はまったく擦れていない健全な子供(笑)か、年齢を問わず現実社会と一定の距離をとることの出来る「おとな」でなければ読んでも面白くないのではないかと思う。ちゃんと「個性を伸ばされない」子供、すなわち「無前提に『そのままの自分であること』が出来ずに」育ってきている子供たちはあまりこういう本を読んでもわくわくしないだろうなぁと思った。そのかわりそういう子供たちは、日々を現実的に生き抜くために「正論」や「夢」を追いかけるのかなぁ、日本にいるパートナーと電話で話をしてそんなふうに思ったりした。


倉田三平 |MAILHomePage

My追加