早瀬の呟き日記

2002年07月17日(水) 嶋田双葉氏作品紹介

折角なので布教活動を(笑) ただ、入手方法がもはや古本屋かネットオークションしかないのが極めて残念です。あと、国会図書館か(笑) 嶋田氏が編集部と連絡が取れればノベルスとして復刊も可能なんだろうけど・・・。
嶋田氏の作品は誰がどうしたこうしたというストーリーよりも、文章そのものとそれが作り出す雰囲気が最大の特徴です。どれもこれも、切なくて透明で優しい。そして、タイトルのセンスが抜群なのです。

『彼の日のソネット』小説JUNE31号(1988.6月号)
北海道に住む少年2人の物語。両親が離婚したため広島と北海道を行ったり来たりしている一穂と、町一番の水産工場の息子で父親を嫌っている廣明。

「・・・・・・一穂、どっか行こう。ふたりで行こう。なんとかやれるよ、一穂とおれで。(略)」
「こんなに好きにさせていいのかよ・・・・・・(略)」

一穂は女の子でもいいのでは、という点がまあアレですが、切ない初恋に免じて問題なし!(笑)

『十一階のロビンソン』小説JUNE34号(1988.12月号)
医大を辞めフランス料理店で働く尚は、妹のなずなと2人暮らし。ある日、お台場の廃墟じみたマンションに住む康平に出会う。彼は沈船調査を生業とし、各地を回っている男だった。

「台風が、くるよ」
「くるさ、おれが呼んだんだ」

「いつかナオにも船がくる。誰も乗せない海賊船が。そうしたらどこへでも、いける」

・・・抜粋したからすぐにわかるかと思いますが(汗)この八木康平という男、Jさんのイメージに近いんですよねえ(笑) 攻キャラとしては一番好きです。

『BIRDS』小説JUNE35号(1989.2月号)
家出して身体を売りながら生きている草(そう)は、行き倒れかけたところをアツヒロに拾われた。彼と彼の姉との生活は心地好かったが、ある日アツヒロが倒れる。

“みんな、鳥のようだ、アツ。
きみと交わした言葉も、黙りこんだ時間も。
はばたいてはばたいて消える。”

某所アンケートでは一番人気の作品。嶋田作品にしては技巧的な気もしますが、切なさ度はナンバーワン。

『天秤木馬』小説JUNE38号(1989.8月号)
両親を亡くした亮太は、姉の野枝と共にカメラマンの晋作に育てられた。姉弟とも晋作が好きだが、ある日野枝が妊娠する。「あたしたち、ほんとの家族になるのよ」 だが、晋作が仕事から帰ってきた時、野枝の様子はどこかおかしく――。

“だっておれはいつのまにか、むくわれないことが好きになってしまった。しあわせになりかけると何もかもだめになれと心の底で祈ってる。”

ハッピーエンドでもない、バッドエンドでもない。ただ、この日々が続いてゆくだけ。そんな感じの作品です。

『二重夏時間』小説JUNE45号(1990.10月号)
2年前まで一緒に暮らしていたヒロトからのハガキを受け取って、修一は八丈島へゆく。ヒロトは13の歳に母親を刺して少年院に行っていた。戻ってきてからは修一の家で修一の父、祖母と暮らしていたのだった。八丈島でヒロトと一緒の毎日は、ユートピアのようで――。

“きみの夢みる、荒れ果て、ぬかるんだ道の話を聞かせて。かならず帰ってきて、ぼくに聞かせて下さい。ありとあらゆる想いや痛みをひきうけて、生きようとして下さい。生きていることなどすべて忘れて。”

最もストーリー紹介がしにくい作品。嶋田作品に特徴的な「自由な男」の少年版がヒロトですね。

『ユーモレスク・ピカレスク』小説JUNE48号(1991.6月号)/再録小説JUNE126号(2000.12月号)
ドヤ街で日雇いをして働くモクは、泉という少年に懐かれる。

「(略)おれ、行くとこないよって、意地でもここに居たるぞ。この、野島泉が居たる、ゆうとるんや。あんたら、ちったァうぬぼれてや」

一番のお気に入りなのに、あらすじが一行ってどういうこっちゃ(笑) いやもう、ストーリーなぞどうでもいいのです(いい意味で)。泉が!泉が可愛いのよおおお!西川なのよおおお! ↑の台詞、ね?西川でしょう?(もうアホである) 男同士のJUNE作品としてはやはりこれが一番完成された、文句なしの逸品です。なのに某所アンケートではあまり人気がなかった・・・何故だ・・・(滂沱)

『冬服の姫』小説JUNE54号(1992.4月号)
心臓に持病のある花は真穂と義理の姉妹。母は父と離婚し別居しているが、2人はしばしば内緒で港湾労働者になった父に会いにゆく。真穂の実の母親は、花の父親が設計したジェットコースターに乗って事故に遭い死亡したのだった。

“みな、きれいだ。わたしたちをとりまく世界は。”

これは、女の子同士の物語。恐らく嶋田氏が「辿り着いた」素材。それまでの作品に現れていた「職人(気質)だがダメな男」が花の大好きな父親として描かれ、主人公が憧れる「自由な男」は真穂のイメージであり、そしてしばしば不在であった「母親」が、何故不在として描かれてきたのか、が感じられる。いわゆる「JUNE」と呼ばれる作品世界が、家族関係にかなり強い影響を受けているという中島梓氏の説がここでは妥当なのだろう。
しかし、と私は思う。
それが判明したところから書き始められる小説は、きっと、もっと強く透明な筈だ。小説にとってそれは全く終わりではない。
文章に書かれたもの、すなわち散文作品は、ネタ、話、小説、の順でクオリティが高くなると私は思っていて、「小説」は「話」の上位互換なのである。ストーリー(話、物語)が小説の中心を占めた幸福な時代が過ぎ、映画や漫画、ドラマ、ゲームのような他のメディアが「物語」を代行してくれる中で小説という形態が生き延びるとすれば、「話」を越えたものでしかありえないような気がするのだ。嶋田作品は現時点から見ると、自己認識、恋愛観、家族観の点でやや「古い」感がないでもないのだが、氏の力量からすればそれを超克することは可能だった筈だ。氏が断筆されたことを極めて残念に思うのは、こういう理由からでもある。
・・・とか言いながら、「冬服の姫」に辿り着く直前の「ユーモレスク〜」がとても魅力的なのは、「小説」と「話」のいいところが上手く組み合わせられているからだと思う。目下、この作品が早瀬の目標である。高い高いハードルだ。


 < 過去  INDEX  未来 >


琳 [MAIL]