カンラン 覧|←過|未→ |
小学生の頃から社会人になる手前ぐらいまで何度も繰り返された問い 歴史上の人物をはるか彼方から連れ出してきたり お約束の家族を引っ張りだしてみたり 誰をどのように尊敬すれば評価があがるのか 問う方も問われる方もその辺を大きな布で覆って そこは触れてはいけないもの とばかりに目隠しをする 特にそんなことをぶつぶつぶつと考えて過ごしていたわけではないのですが, つい最近になってふと,尊敬できる人がすぐそばにいることに気づきました。 そして,尊敬できる人がすぐそばにいるしあわせにも気づきました。 尊敬できる人を探すのではなく 尊敬できる人をつくりあげるのでもなく 尊敬できる人を思い描くのでもなく はたと気づけばそこに立っていた。 しっかと私の手をにぎって。 どうやら私にとって尊敬できる人というのは 私とそうかけ離れていない存在であることが大前提らしい。 どこからどうみてもご立派な方だと、 私のような人間は、はなっから別の生き物として位置づけてしまうからだ。 尊敬って、やっぱり自分があってはじめて生まれる感情だし。 自分とどこか似ていたり、 自分とおなじようなことで悩んだことのある人だったり、 まずそういったところからぐぐっとひきつけられていくように思う。 それから、その人を見ていると自分を嫌いにならない、というのも大事なこと。
|