カンラン
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おもてがいやに騒がしいので、窓の外をのぞいたところ、色とりどりの帽子をかぶった大勢の園児たちの姿。 ゴリラが土に埋もれてラッコのようになったまぬけな遊具のある住宅地の中の小さな公園に、まさかの光景。 たくさんの水筒までが整列している。
お湯をわかして束の間のティータイムにほっこりした後、あたりの静寂に再び窓の外をのぞくと、駆け回る園児もつんつんつくしのごとく地面に生えた水筒もなくなっていた。
ぼんやりとしたうたた寝との境界線。 風の音だけがびゅうびゅうと大きく聞こえて、じわりじわりとさびしい気持ちが生まれくる。
先日、現代美術館で催されている藤本由紀夫「ECHO」展に出かけた。
展示されているさまざまな装置を自由に触って、個々が奏でる音を楽しめるというもので、オルゴールからパスタまで、目も耳もくすぐるアートな空間が広がっていた。
うちに帰ってから、美術館でもらった小冊子(この解説書が、また、パンチングされた深緑の表紙から朱がのぞくぴりっと洒落たもの) にじっくり目を通すと、ひとつひとつの作品製作にまつわるエピソードが興味深い。 もう一度鑑賞したい気持ちがふくらむことうけあい。
何らかの専門職についている人にはみな、テリトリーがある。 私のようなごくごくフツウな人間が興味を持って手を伸ばしてみたところで、理解不能なぶ厚いバリアに阻まれてしまう。 結局は近づくことができずに、自分とは違う世界のものとして片付けざるをえなくなるのだ。 「アートって難しい」。そんな風に。
テリトリーの外で出会った人にもわかりやすく、つかみやすいことばで梯子をかけるということ。それはまさに才能のひとつだと思う。
いろんな人の興味をひっかけるフックを内ポケットにたくさんたくさん持っているんだろうなぁ。 そしてそれはいつでもぴかぴかに手入れしてあるに違いない。
藤本由紀夫「ECHO」 広島市現代美術館で13日(日)まで。
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