カンラン
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ベビー用品店の遊び場でぴのきを遊ばせていたところ、たまたま激しい系のお母さんと居合わせてしまい、もぞもぞとする。
そのお母さんは小さな女の子に対してとにかく怒りっぱなしだった。 その女の子の名前は、「ひめ○」という名前だったのだけれど、お母さんから「何やってんだ、お前は!」などと到底姫っぽくない扱いをされていて、しかもその女の子自身もなんとも姫っぽくない感じの子だった。
そんなこんなで、私はひとりひそかにその場を離れたい気持ちでいっぱいになったのだが、いかんせんぴのきが楽しそうに遊んでいた手前、激しい音声の中、ただただ遠くを見ていた。
その親子が去って行ったあとで、ぼーっと考えごとをしていると、本だったかテレビ番組だったかで(←非常にアバウト。最近とみにこんなことが多くなった)子どもの名前について取りざたされていたのを思い出す。
子どもの名前には、たいてい、親の「こうあって欲しい」という気持ちや願いがこめられている。その願いというのは、「自分は△△だったから、この子には○○であって欲しい」というタイプのものも多々ある。 が、かなしいかな遺伝とかそういうものと切っても切れない関係にあるのが親子。子どもも親とおんなじものが苦手だったり、おんなじようなところでつまづいたりする。 結果として、その願いのこめられた名前と当の本人は異なる人生を歩みがちなのではなかろうか?というもの。 もちろん、すべての人がそうではない。
ちなみに、私の名前には「ほがらか」という意味がある。 でも、実際はこころのに中大きな暗がりを抱えているよ。私の場合はね。 自分の名前は好きだけど。 (昔はなかなか読んでもらえないうえに男の子と間違われることも多くて大嫌いだったけど、年を重ねるごとに好きになっている。こういうのっていいなあと思う)
ぴのきの名前には、「のびのび」「明るく」「すくすく」とかたくさんの意味がある。 大きな暗がりは、ぜひとも遺伝しないでいただきたい。ただし、暗がりを知ることは必要だと思う。
目下の楽しみは、つぼおし器具の到着。 いつも利用しているドラッグストアで人様のレビューを読んで購入してしまった一品。 家庭鍼(シールで貼るタイプの。これは効果てきめんなのだけど、少々値が張る)代節約のためにもぐいぐいとやってしまうつもりなのだ。 ぐいぐいとね。
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