カンラン
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夏休みは無さそうなわが家。 近所で日々を過ごす母子をかわいそうに思ったのか、つちのこ氏がちょっとした遠出計画を提案してくれる。 その計画は・・・ 安芸津の赤じゃがいもコロッケ経由大久野島行き。
呉で働いていたつちのこ氏が出張の折に職場の人から教えてもらったというコロッケ屋さんは、田舎道にある野菜市に似た感じの店構えで、赤じゃがいもそのものやら果物やらアイスクリームやらいろいろなものを販売していた。
そこにたどり着くまでにもうれつにお腹のすいていたつちのこ氏と私はとにかくコロッケに突進。車で寝ていたぴのきの分を合わせて3つ、それとたこ天を購入してがぶがぶ食べる。 私はもともと赤じゃがいもはそんなに好きではないのだけど、ここのコロッケには感動した。びっくりするほどさくさくしてる。お腹がすいてたせいもあるんだろうけど、いつかまた食べに行きたいぞ。
そこから竹原の町を抜けて忠海へ。 港へ着くと意外にも海水浴やキャンプを楽しもうという人たちが結構いて、しかも島へ渡る船が小さいことに驚く。普段つちのこ氏の実家に帰るのに大きなフェリーに乗り慣れている分、「これは本当にみんな乗れるのか?」などとひそひそと心配するも無事乗船。 謎の愉快な欧米人たち(大柄な人が多かった)にはちょっと狭そうだったが。
大久野島は大戦中に毒ガスを大量生産していた島だ。もちろんこれは当時関係者以外には知られていなかったことで、秘密を守るために地図からも消されていた。敗戦後、毒ガス工場はアメリカ軍によって燃やされ、日本軍が毒ガスを作り、実際に使用していた事実が明るみになったのは80年代になってからのことだった。
現在は国民休暇村が建てられ、海水浴客やキャンプ客、釣り人などでにぎわっている。やしの並木があったりしてちょっと南国っぽい雰囲気が漂う。 ちょうど宮島の鹿と同じように島中にうさぎが跳ね回り(もともとは実験用だったという話を聞いたことがあるのだけど事実かどうかは知らない)、環境保全のため、一般車両はすべて通行禁止となっていて、私にはすごく現実から離れた空間に映った。
毒ガス資料館は思った以上に小さな施設で、静かな展示室に当時の作業服や防ガス服、従事していた人の痛々しい姿を写したパネルや、機密文書が並べられていた。おそらく多くのものは敗戦が濃くなってきた頃に処分されたのだろう。
資料館を出てから自転車を借りて少し走る。 つちのこ氏が行きたがっていた当時の発電所を訪れる。外壁だけが残った廃墟がいまもひっそりと建っている。
立ち入り禁止になっているのに、建物の中には柵のこちら側から見ても読み取れるぐらいにたくさん落書きがしてあって、悲しくて腹が立って仕方なくなる。「どうして」ということばがぐつぐつと湧き上がる。
島内には他にも見ておきたい場所があったのだけど、今回は断念。 でも、またきっと行く。
帰りの船内、ひざの上で眠ってしまったぴのきの頭を撫でながら、当時工場で働いていた人はどんな思いでこの海を渡っていたのだろうかと考えた。 命をけずりながら毒ガス製造に従事せざるをえなかった人、実戦で毒ガスの被害にあった人。すべてが悲しすぎる。
現実から離れた空間だと思ったけど、こんなにも悲しい過去の息遣いが感じられる場所はそんなにないんじゃないか。過去の上に時が降り積もり、現在を成している。 すごくリアルだ。
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