カンラン
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庭の時計草がついにネットエリアに花をつけた。鉢エリアではなく。 でもどうしたことか、ネットの下の方、あろうことかネットと地面のあいだでひっそりと寝そべるようにしての開花。 そんな日もあるよね、とそっと声をかける。
時計草はなかなかに心の広い植物だ。 「あ、これは開くぞ」というつぼみを見つけたら、そっとそばに座る。別に静かにする必要はないのだろうけど、なんとなく、邪魔かなと思って。 すると、次第につぼみがもぞもぞし始めるのだ。風か何かかも知れないが、私とぴのやんはこのもぞもぞを何度か目にしている。 息を殺して見守っていると、「ぱちん」と花が開くのだ。私はその様子を目にするたびに、折り紙のカメラを思い出す。ほんとうにそんな風に咲く。
開花の瞬間を、どうぞどうぞと見させてくれる花はなかなかないと思う。少なくとも30年ちょっとの私の記憶には、ない。記憶に残る咲き方を見た気がしない。 時計草は私とぴのきの心と目をくぎづけにする花。
つぼみがつぎつぎとつき、天気がよければ日に一輪(一度だけ二輪咲いたこともあった)ぱちんと開花するので、存分に楽しむことができる。 大ぶりで色も鮮やかなので、ぼんやり洗濯物を干していても「は!」っと目が覚める。
ただし蔓がずいぶん伸びるので、買ってきたままの鉢で鑑賞を続けると、あちら(時計草)もこちら(鑑賞者)もみるみる暑苦しくまた息苦しくなってくるのでご注意を。 持ち家だったら、直接庭に植えて、伸びるにまかせてそこいらを自由に這わせてやりたいもの。残念ながら借家のわが家は、ちょっと弱気な感じ。いざ「引越!」となったときに引っこ抜たりちょん切ったりするのは切ないので。
島のお義母さんから「見たい、見たい」と言われていた、ぴのきの誕生日ケーキ(ご存知ミニの)の写真をようやっと印刷。どうもこういう作業が迅速にできない私です。催促をうけた後、2回ぐらい(も!)しれーっと島に遊びに行き、「BROOCHちゃん、写真は?」「はっ!忘れてました!!」のやりとりを繰り返しておりました。
次に遊びに行くときに・・・などとどこかの引き出しに仕舞いこみでもしようものなら、三度繰り返しかねないので、さっそく手紙を書き、同封した。 便箋(現在愛用しているのは無印のもの。本来横罫なのを向きをかえて縦書きに)にはあじさいの花を、封筒には彫ったばかりのメモ型はんこを押した。 きっともうすぐ梅雨がやってくるね。
今日は早いお昼を食べて英語のお教室へ。(体験) 第1、第2クラスがすでに満杯ということで、12時からの第3クラスに来るよう指定があった。 行ってみると、和室に先生二人、ぴのき、私というなんとも濃密な空間。(しかも暑い)
なにか説明から入るのかと思いきや、いきなり英語の歌にはじまり、つぎつぎに飛び出す小道具たち。かるく圧倒される母子。体験とは言え、たったひとりのぴのきのために通常レッスンを繰り広げていただきました。
終わったときには、「あれっ、なんだったの?」と問いたくなるような気分だった。ひとことであらわすなら、「巻き込まれた」という感じ。いや、でもこういうのが大切なんだな、きっと。うろたえたり、遠慮したり、恥ずかしがったり、とまどったりする隙をまったく与えない親切。
レッスンが終わったあとも特に入会を促すでもなく、小さなカードブックのようなものに印字された連絡事項(料金のことエトセトラ)がすすっと畳の上を滑ってやってきたのみ。ふむふむと読ませてもらった。 その間、ぴのきはラクーンという名札をつけたぬいぐるみを持った先生と畳の上を走りまわっていた。 その先生とラクーンがたいそう気に入ったようで(レッスンについてはきっとどうでもいいのだと思う)、帰り道、「まま、またいこうね。ぜったいいこうね」としつこくしつこく念を押された。
先週行ったリトミックの教室(こちらは日本語でよりアクティブだった)とどちらかに通わせてみようとは思っている。 つちのこ氏が帰ってきたら、要報告&相談。
ちなみに、今日行った英語教室に問い合わせの電話をしたときのこと。 電話口に出たのは驚くほどに覇気のない女性で、今起きたばかりかはたまた病の床に臥しているかといったところだった。 けれどもそこで電話を切るわけにもいかず、多くを語らない相手に向かっていくつかの質問をし、(あまりに喋ってもらえないので)助け舟を出したりして、たった一本の通話に後悔し疲労したのだった。
で、迎えた本日の体験だったのだけど、あの電話口の女性は今日お会いしたものすごい勢いのふたりの先生のどちらかだったのか。 こわくて訊けなかった。
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