『偏愛的猫生活』☆muux

◇登場人(猫)物◇=01年6月頃生の純日本猫♀、竹藪に捨てられていた。
ザジ=02年11月頃生 03年1月21日から同居。Mixアヘ〜猫♂9.2kg
ATU/ダンナ=絵描きになりたかった地質調査技師。ウドンは柔らか目。四国・松山出身
わたし=実は雑踏が大好き。道玄坂の奥がふる里 →<about me>

《back← INDEX  →next》     MAIL 

万引きは、犯罪です。 2003年01月31日(金)

古本屋で万引きした15歳の少年が、警官が目を離した隙に逃げて、
逃げた方向に踏切があって、電車に轢かれて死んでしまった。
と言う事件があったそうだ。

ところが、その被害にあった古本屋が非難されているという。

Yahooなどを見ると古本屋に味方している意見が結構あって、
少し安心した。

いい加減にしろ!と言いたい。
過剰な母性は(最近は父親も同じだ)、男の子の自立を阻むよ!
万引きは、歴然とした犯罪です。
思春期に罹るハシカみたいな病気ではないです。
償うべき犯罪です。
親は、それをハッキリとさせておくべきだ。

死んでしまったのは残念だけど、
踏切に電車が来るのは予測できることだ。
これは、その子の危険予測能力が育っていなかった。
と言うことではないのか?
親が教えていなかったというのではないか?
猫でも、生まれてすぐから身に付けようとする大事なものを・・・

言い切ってしまえば、そういう人間は遅かれ早かれ、何かの形で
死ぬなり、失敗するなり、怪我するなり、食中毒おこすなりするだろう。

死んでしまったというのは、仕方ないことではないか?
大昔から、人は唐突に命を落としてきたではないか?


事をテレビだけで判断すれば、古本屋は微塵も悪くないと思える。
バカなボ〜っとした警官と、万引き少年との問題ではないかと思える。

でも、警官だって、それ程にボ〜っとしていた訳でもないだろう。
いくつもの事が重なって起こったことなのだ。
たぶん事件や事故というのは、このように、いくつもの事が重なって、
通常だと起こらない展開に陥って起こるのだろう。

まあ、親御さん前にしたり、知り合いだったりしたら
その落胆あまりあるので、わたしも何も言えないんだけど。。。

でも、それは付き合いがあるから言わないのであって
オカシイというのは、変わらない。
面と向かって言う勇気は、ないんだ。
わたしにも・・・


でも、親は、こういう事ハッキリとさせておいて欲しい。
だいたい「誰々が怒るから、やめなさい」なんて躾をしているから
言った人は恨むけど、何が悪いことなのか解らない人間ができてしまう。

おまけに、親も同罪で自分のやってきたことを反省したこともないから
万引きくらいなんだ、としか思っていないんじゃないのか〜?
自分もやったことがあるから、いいじゃないか!というのか〜?
いい加減にしろー!


大事な我が子を不良呼ばわりやめてくれって、言ったって

万引きも、窃盗も、傷害も、殺人も、恐喝も、喫煙も、売春も、麻薬所持も
駐車違反も、飲酒運転も、二人乗りノーヘル原チャリも、
みんな、みんな立派な犯罪や違反なんだからね〜〜〜〜!
わかってんのか〜〜〜〜〜〜!


物事との距離がオカシイ。
仕事して、お金を稼いでと言う行為に対する想像力が欠けている。

何故、親は教えないのだ?
自分の仕事や、物の成り立ち、経済の構造。
時計の仕組み、電気はどこからくるか?
鉄棒から落ちない為には、どんな力が働いているか?

家庭訪問の時になると、あわてて玄関や庭に花を買ってきて植える。
と聞いたことがある。
花は、飾る物で、育てて楽しむ物ではないという。
(イソガシクテ、ソンナコトデキナイワヨ〜)


ちょっと違う話だけどデパートで仕事していた頃、気付いたことがあった。
都心の銀座や池袋のデパートでは経験しなかったことを
郊外店である、町田や青葉台で経験した。

例えば、バーゲン品の返品は、原則的には受け付けていない。
でも、どうしても、というとデパートは、結局返品を受ける。
少なくとも、わたしの知っている範囲では、ねばる人には応じていた。

どういう理由か知らないけど、買って返品して、また買って、
ということを繰り返したいお客さんがいる。
こういうお客さんは、銀座の三越にも池袋の東武にもいた。
こういう人はデパートの飾りみたいなもので、
それ程イヤなことではなかった。

では、何が違うかというと、町田や青葉台では
お客さんが商品を、わざわざ傷付けて返しに来るのだ。

明らかにカミソリのような物で、縫い目を解いたのに
「切れていた」と言ってきたり、
伸び縮みする素材を無理に履いて、伸ばしてしまって
「伸びない」と言ってきたり、
裾上げが済んで返した物に「シミがついた」と言ってきた。
これは、物に対する愛情が微塵も感じられない、
オカシナ事で凄くショックだった。

なにも、品物を傷付けなくても話はできる。
歩み寄って話しかけてくれれば
「本当は要らなかった」でも、大丈夫で、話す余地はある。、
その品物を再び店頭に並べる事もできるのに、
傷付けてしまったら、特に服では、修理の後があっては売れないから、
もうその商品は廃棄するしかなくなる。
なぜ、そう言うことに思いがいかないのか?
なぜ傷付けるのか、今でも不可解だ。

デパートにしろ、ブティックにしろ、量販店にしろ、
生産から、販売まで流通させている物を扱う人たちは
一点一点を管理しながら、とても大切に仕事をしている。

なので、どの段階でも、故意に壊された商品を見るのは、
とてもイヤなもので、わたしだけの感じではないと思う。

この、消費する者と生産、販売する者との間の
意識の距離は相当にあるのだろうか?

この辺を繋げる想像力があれば、
安易な万引きや商品損壊もないだろうに・・・

置いてある品物や、そこにいる店員や、傍にいる警官に
血の通ったものを感じ取ることができていたら、

少年も死なずに済んだのではないですか?
ご両親さま?



《back← INDEX  →next》     MAIL 

 

リンク、引用の際は
必ずご連絡下さい。



 


猫への虐待、許しませんよ!


マイエンピツに追加