みやにっき
詩人を名乗ることにした。

2004年06月14日(月) めがみえることについてのざっかん

今日はちゃんと仕事に行きましたですよ。
さっそくいっぱい役に立ってきたですよ。
んでもってお小言もいっぱい言われてきたですよ。
小言を言われつつも,僕がいないと回らない仕事が大量にあるので,
過剰に追い詰められはしないということがわかった。
「仕事ができる」ということは,十分,僕の身を守る。
いやらしいかもしれないがそれは事実だということがわかった。
まあ,ぼちぼち頑張る。

水浸しになりつつ,壮絶に砂遊びを行った。
子供たちが泥だらけになったので,アタマっから水ぶっかけたぜ。
ああー暑い日でした!暑い日でした!
楽しかったー。

児童相談所の職員との面談とか。
チーフと上司とが立ち会っての面談だったわけなのだけど。
僕がしゃべる時だけ,相手方が筆記用具を持つのが面白かったです。
あとは公開研究会の学部の研究発表の発表原稿の作成を,
何故僕がやっているのかよくわからにゃい。
まあ,役に立つのはよいことです。

一個一個が長くかかる仕事だったので,これだけで一日が終了。
あとはコンビニで恐怖漫画を立ち読みしてみたりしました。
同人漫画みたいなクオリティーだなーなどと感想を。

いとしきみへ,を,結構見ている。
主人公2人はわりとどうでもよくて,その親役の2人が好き。
目がこれから見えなくなることがわかったとしたらどうしようかなあ。
視力は下がる一方ではあるけれども。
なんだかんだ泣き言を言ってみたところで,僕は,わりかしに健康だ。
身体的にも精神的にもすこやかだ。
慢性的に疲れてはいるけれど。
本当にしんどかったことなど,実際,ないのかもしれない。

ああ違う。
しんどかったことはそれなりにたくさんあるけれども。
別に今現在,不幸ではないのだ。

僕は以前,「シアワセかフシアワセかは自分の思いが決める」というのを,
「つらいかつらくないかは自分の思いが決める」だと思い込んでいて,
自分は自分に甘いからつらいと感じてしまうのだ,痛いと感じてしまうのだ,と
自分をしきりに責めていたものでした。
今でもその癖は直っていなくて,よく堂々巡りの自己嫌悪に陥ってますが。
んでも「しあわせかふしあわせか」を自分で決めるのはなんだかできるようになってきた気がします。
つらいし,しんどいし,痛いんだけれども。
でも別にそれが不幸というわけではないのだとわかってきたのでした。
じゃあ「不幸」ってなんだろう。
なんだろう。
なんだろう。

よくわかんないけど今日の雑感としては,
ものがみえないというのは,きっと,しあわせじゃないと思う。
視力の問題ではなく。
目の前のできごとがなんで起こっているのかが理解できないという状態。
目の前の人がどうしてそのような反応をしているのかが理解できないという状態。
自分がどうしてそういう反応,感情の動きをするのかが理解できないという状態。
それが気になる,みえることを,反対に不幸とする動きもないではない。
「そういう細かいこと気にしてて疲れない?」という例のアレだ。
でも僕は,これでいいわい。
疲れるけど,僕は。
いいや。

きっと他にもいろいろ,考えてみればあるのかも。
まあ今日のところはそんな雑感程度で。
目が見えなくなっていくとしたらどうしよう。
花を踏んでも気づかないのは,きっと,かなしいから,
僕は,目が見える方がいいなあ。
踏んじゃったのに気づいたらきっとかなしい。
ならいっそ気づかないで,必要に追われてさかさか歩いてた方がいいか。
後からひとに「踏んでたよ」て言われたら赤面する。
自分なりに気を使ってるつもりだから,言われてきっとすんごく傷つく。
ならいっそ「あの人は見えないのだから」って気遣われて言われないがいいか。
僕は,
心眼を鍛えて見えるようにするって,なかばやけになって思う。
んなの無理かー。
きっと,「踏んじゃうー」てめそめそ泣きながら,足先でさぐって歩く。
踏んだのがかなしくて
踏むかもしれないことがかなしくて
踏んでもしょうがないじゃんって逆ギレする自分がかなしくて
いつかそれらにさえも慣れていく自分がかなしくて
きっと,めそめそと泣く。
疲れるだろうけど。
いいや。

僕は正しくはないけれども。
不幸でも,ないです。

とまあ,いとしきみへを見ながら考えたりしました。
たかがドラマといえども,物を考えるきっかけになるのは面白いですな。
あいのりを見たりポテチを食べたりしながら仕事をして,寝ます。
あ,風呂。


 <なんだっけ?  まとめて  そんでどう?>


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