戦争が秒読み段階とか・・・で宗教の話
引越し前、某板橋区民だったんだけどさ、新婚当時旦那が今みたく忙しくって毎日が午前様状態だったのね。しかもオレ様って人見知りするA型。ほんでもって知人一人も居ない都会暮らし・・・毎日毎日誰とも話す事もなく日々過ごしてたのよ。
鬱病になるって。マジでやばかった。とにかく派遣会社に登録しまくって、面接しまくって仕事探したけどなかなかみつからない。HPで実家に置いてきた猫たちの紹介ページなんか作って、思い出にふけって号泣したり。ホント今思っても精神的にやばかったわってかんじ。
そんな時にやってきましたエ●バの証人。そっか、みんな精神的に参った時に「オウム」なんかにはまったんだなぁなんて考えながら、人恋しさからお話を聞いたのがきっかけで聖書のお勉強が始まりました。幸い訪ねて来た人が本当に親切な人でしかも美人! という特権もあり仲良くさせてもらったんですわ。バブテスマ(洗礼だっけ?)を勧めるでもなく改宗を勧めるでもなくただ聖書を通じて色んな話をしたの。それはそれは楽しい時間を過ごさせてもらいました。昨日はお電話までもらって、遠くに言ってしまったのが悔やまれるほどすわ。
で、ここからが微妙なところです。引っ越して数日後、新居にもやって来たんですエ●バの証人。今度は母ちゃんより若干若い? って感じのおば様二人。感じの良い方なんですがマジで聖書を完璧に信じている人なんです。それは大切な事だと思いますが私には怖すぎです。聖書の言葉に「まったくそのとおりなんです」とか「正にそのもので完全に正しいのです」とか言われても同意しかねるのですわ、ごめんなさい。
まず気に入らないのが「目の見えない人に光が、老いと死がなくなり足の悪いものは牡鹿のように翔ける」などなど。あのね、オレ様別に目が不自由な人が不幸とか耳が聞こえないから不幸で可哀想なんて全然思ってないの。ボランティアでそういう人たちと接して分ったんだけど、彼らの世界観って健常者にはないそりゃ豊かなものなわけ。だって「目で見る」って概念が無いのよ。「耳で聞く」って概念も無いの。だから本を読んでも彼らには音ではなく映像というかイメージでそれは伝わり、色の概念がない人たちは小説や物語を独自のイメージで作っているの。健常者には想像できないくらい感性が豊かだと感服したのよ。じっさい参ったもの。だから聖書が言う「目が見えないものが」とかいうとこ、文字通り受け取ったらそりゃあんた傲慢だよって。自分は目が見えて耳も聞こえて何不自由がないって威張ってどーすんのって。言ってしまうと「まぁ、車も無いの? 可哀想に。何なら買ってあげようか」と金持ちのおば様に馬鹿にされたような感じ? 別に車無くっても不幸じゃないし不便だけど可哀想でもないもん。自分には当然の物が相手に欠けてるからって同情したり「不幸」とか「可哀想」なんて思うのは思い上がりも良いトコだって感じる。そう思うオレって変??
ついでにもひとつ。去年あるエンピツ作家さんのHPで「かわいそう」について掲示板通じて議論が飛び交ったのよ。「両親が居ない子はかわいそう」とか「片親でかわいそう」とかね。実際オレ様母子家庭(今の父ちゃんは内縁関係だから苗字が違っていた)なんだけど「本当のお父さん」なんて言われても3歳で亡くしてるから想像できませんもん。でもって早くに父に死なれても不幸だって思ったことも無いし。だって母ちゃんが父ちゃんの分まで怒ってたからそりゃぁにぎやかだったしね。施設の子供が不幸せとも限らない。だって愛情もって抱っこしてあやしてくれる又はくれた保母さんや先生たちがいたわけでしょ? なのに全部一緒にして「施設の子はかわいそう」「恵まれない子に・・・」なんて言うのって一生懸命心砕いて世話している保母さんや先生方に失礼って思わないんだろうか?? そりゃぁ、一般家庭に比べてプレゼントとかお菓子とかもらえないと思うけど、だからって不幸か?? 「不幸」って意味の分らない子供に「親がいなくてお前はかわいそうだ。不幸だ」って言い聞かせてどーすんのよ。それって心の持ち様でしょうが。両親そろってても不幸の塊知ってるし、直悪い事に実の両親に殺された子だっているんだぞ。
オレの家、小学校上がってもお八つって無かったぞ。別に不幸じゃなかったけどな。お陰で今でも間食の習慣が無いもん。ご飯が美味しいったらないぜ。
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押してもらえると小躍りして泣いて喜ぶッス
2003年03月17日(月)
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