青春の思ひで。

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2004年10月05日(火) ナイトメア、ではないけど、悪夢。

よく覚えてないけど、たぶん真昼間に見たのだろうから「ナイトメア」というのはおかしい、ような気がする。

悪夢。


悪夢。
というよりも、過去を夢の中で見ただけ。

父と母に罵倒されました。

「おまえのやってること、やろうとしていることは社会的に何の価値もない」

えぇ、その通りですよ。所詮、あたしの趣味ですよ。
所詮、院って言ってもうち程度の院ですよ。しかも、落ちそうですよ、あたし。
「社会的価値」って何よ?
あたしのやろうとしていることは、あたしに才能と根性と運があれば、現代の社会学のミクロな分野での先行業績になり得る、と何度も言っているのに。
そりゃ、そこまで成し得るかなんて先行きさっぱり不透明ですけど。

あたし、もっと勉強(というか勉学、というか学問、というか研究)したいと思っている。それが間違っているの?
お金にならないから?

お金は生きていくうえで必要だけど、お金を得ることのみを考えて生きてきたわけじゃない。

父は、大学に進学する時点で夢を諦めた、という。お金にならないから。
その父の堅実な道程があたしを生かしてきた、のだけど。
今よりもっと幼かった頃は、それを単純に「つまらない」と思っていた。
1年位前、初めての教育実習や自立支援施設での実習を終え、就職活動が目前に迫ってきたときは、父の選択をとてもありがたく思った。
大人になるために、大きな存在に生かされるのではなく、自分で生きていくために、自分が誰かを生かしていくために、その選択はとても大きなものだと感じた。
そして、自分も、その選択をしなければ、と思った。
だけど、今、またその分岐点からあたしは逃げている。
「つまらない」とはもう言わない。とてもじゃないけど言えない。
でも、お金のためじゃなく、自分の人生の、人間として生まれてきた特権である知識の充実のために、院に行きたいと思う、それはそんなにも無駄なことか。

社会がなんぼのもんだ、と思ってしまうのは社会学にいる人間のよくない(と世間一般から認識される)思想らしい。
そりゃ、そうだ。
社会なんて変わるものだから。
社会が普遍でなく流動的であることを熟知している人間が、いわゆる「社会的」とつく価値観だの儀礼だのに固執するわけがない(と言い切ったらやりすぎか)。


今日はこの本を読んでいて、そんなことを思った。
今更、こんな本を読んでいる場合か、という感じ。
1年前に読んどけ、って感じ。
今日は主に3章と4章を読んだ。全10章。1日2章ずつ読んで今週中には読破しなければ。

読んでいて、少ししまったと思ったのは、この本の出版年。
1991年。今から10年以上も前だ。バブルもはじけていない(よね?)。
社会は変容する。変容する社会にどう立ち向かうか、というのが社会学だ。
古くは西洋の市民革命から産業革命の流れ。
そして最も新しいのは、脱産業化つまり情報化社会の到来。
……この本は、バブルもはじけていないユビキタスなんて概念の登場の前の前。

4章は具体的事例を企業にとった論説で、日本人の企業集団への帰属の強さを、終身雇用制と年功序列制と企業別組合という観点で表しているけど。それは間違っていないけど、「あちゃー」って感じ。
じゃ、バブルはじけて終身雇用も年功序列も崩れさった今の日本人の企業帰属意識はどう変化してるんだろう?
あぁ、これがいわゆる3章で言う「アノミー」状態?

と、ちょっぴり古くささが否めない感。

「コミュニティ」という概念について。
概念の定義を知らずによくあたしはゼミとかで「コミュニティ」という言葉を使ってきた。
マ ッ キ ー ヴ ァ ー の提示した概念から導くところ、「『コミュニティ』の共同生活の成立のためには、地域的な近隣性が重要な条件となる」らしい。
「地域的な近隣性」?
……現代社会においてはかならずしも重要でないような。
例えば、インターネットコミュニティ。
あるコミュニティに属して共同(ネット)生活を送るために「地域的な近隣性」とやらは重要なのか?
もちろんその生活の中には、オフラインの距離感というのは(ほとんどの場合)重要ではない。
コミュニティに属する人間のオンラインでの距離感はどうだろう?
オンラインの距離感を「地域的近隣性」と言うのは違和感を感じる。
なら、なんと言うべきなのか説明できないのだけれど。無能なあたし。
前時代の「コミュニティ」に属し、共同生活を送るためには、自分の帰属する「コミュニティ」と帰属する他者の理解が前提だった(とあたしは解釈した)けれど、インターネットコミュニティはそれを必要としない。
ならば、それは「コミュニティ」でなく、マッキーヴァーの概念で考えれば「アソシエーション」(共同の関心の追求のために明確に設立された社会生活の組織体)となる。
でも、今度は「明確に成立された」というところに疑問が生じてくる。
やはりインターネットコミュニティは「アソシエーション」ではなく、「コミュニティ」だろう。
社会の変化で「コミュニティ」という概念も変化してきた、と考えてよいのだろうか。うぅむ。
今や「ネット」という言葉は「インターネット」を指すと大多数のひとが考える時代で、10年前の「コミュニティ」論や「ネットワーキング」論(組織よりもっとゆるやかで自由のきく人間関係の創出)を読むと、10年の格差を埋め合わせる何かが足りなくて、何だか焦る。

社会学の10年はとても大きい。
古い本を読むと、その本の時代と現代を埋め合わせるために二度手間がかかってしまうなぁ。
しかし、勉学のための本は古い本というか、長く生き残っている本の方が(支持ゆえの存続であるから)信頼性が高い、とも言うし。


あー。明日はゼミだなぁ。
日記を3つも持っているくせに、ブログでもやってみたほうがいいのだろうか、とか考えたり。
勉学専用の。
とかゼミ関連のひとたちのブログを読むと思う。
そんなのに触発されて今日はらしくもないことを書いてみたり。しかもきれいに序本結が整ってないし。痛い。
でも、書くと大量に詰め込んだ書籍の中の情報がきちんとフィードバックされているような気がして、少し賢くなった気分(あくまで気分だけ)。


昨日、久々におにいちゃんに料理を作らせて、その残りを今日ひとりで食べてました。
なんか女の子に美味しいシチューの作り方教えてもらったんだって。
めちゃんこ美味しかったよ。
あたしが「にんにくきいた料理が食べたい」って言ったら、にんにく聞きまくったホワイトシチューができあがってたよ。
でも、美味しい。にんにく大好き。くせになりそう。
ひとりごはんしていて思ったのだけど、ひとりごはんしているときって絶対普通にごはんが食べられない。
普通の量なのに、かなり休み休み食べないとしんどくなる。
何でだろ。外で食べるときはあんまりそう思わないのに。
食べる、という行為が苦手、なのかな。
行きつけのバーで、お酒を片手にちまちまつまみを食べているときが食事関係の中で一番幸せ。

>makonちゃん
こないだ行ったお店にズブロッカのボトル入れちゃったので、今度一緒に行きましょうね(笑)。


相変わらず酒乱なあたし。


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