酔陽亭 酩酊本処
いらっしゃいませ。酔陽亭の酔子へろりと申します。読んだ本や観た映画のことなどをナンダカンダ書いております。批判的なことマイナスなことはなるべく書かないように心掛けておりますが、なにか嫌な思いをされましたら酔子へろりの表現力の無さゆえと平に平にご容赦くださいませ。
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2002年09月21日(土) 海辺のカフカ

 どうしてこんなに心が痛いのだろう。‘手におえない’とよく言うけれど、この『海辺のカフカ』 は今の私の心におえない物語だったのかもしれない。動揺している。
 今から書くことは、ネタバレになりかねません。ですから、まだ読んでいない方でこれから読もうと思われている方は、このページ読まないでください。私は今、混乱した心を整理するために書いているようなものなので、これから読む方を惑わしたくない。

 この物語は、『ねじまき鳥クロニクル』の延長線上にある作品だと思う。延長戦どころか、クルクルのたくさんの要素 ー優しさやせつなさや透明さや残酷さなどー をシェイカーに入れ、さらに増してブレンドした別の物語だと思った。でもクルクルは心に痛くなく、何度も何度も読み返せるけれど、この『海辺のカフカ』 はしばらく封印する。 ただ誤解をしないで欲しいのは、決してこの物語が駄作ではないということ。むしろこれだけ動揺させてしまうほど心を揺さぶるパワーを持った物語に違いない。

 物語は、カフカと言う少年とナカタさんと言うおじいさん、傷を持ったこのふたりの人間の物語が別々に進行していく。あいかわらず村上春樹さんは音楽がお好きで、読んでいて海辺でプッチーニを聞いているかのような錯覚に陥る。美しい調べであるのに、あまりにも美しすぎて透明すぎるから、心の琴線に触れかき鳴らし涙が止まらない。
 カフカとナカタさんの物語が交錯した時、すべてはひとつにまとまる。それは一幅の美しい絵画を見ている気分。崇高すぎるものは心に痛すぎる。ひりひりする。

 カフカとナカタさんを取り巻く人物も今回も素晴らしい。特にホシノ青年は、実在するなら惚れてしまう。もしもあの物語の人物になれるなら、迷うことなくホシノ青年になりたい。カフカの物語より、ナカタさんとホシノ青年の物語のほうが私には重要。

 村上春樹さんらしい言葉がたくさん出てくる。必ず出てくる 《しるし》。この 《しるし》 に関わってしまうと、人の運命の流れはどうしようもないのだろうか。
 いつも思うことだが、村上春樹さんの頭の中を開けて見てみたい。どうしたらこういう物語を想像し、紡ぎだせるのだろう。不思議だ。今回は言葉に尽くせないものを与えられた。ひょっとすると 『ねじまき鳥クロニクル』 の剥き出しの残酷さの方が私には耐えやすかったのかと、ふと思う。でも村上春樹さんがカフカとナカタさんに与えた試練は別の角度でむごすぎた。カフカとはチェコの言葉で ‘カラス’ だそう。これはカラスと呼ばれた少年の心の物語。 「孤独にもいろんな種類の孤独がある」 それは正しい。しかし、15歳の少年に与えるには厳しすぎる孤独だったと私は思う。

 やはり、うまく言えない。素晴らしい物語には違いないけれど、私はきっと何年か先まで再読しない。心が今よりしなやかにしたたかに強靭になったら必ず再読したい。

「ことばで説明してもそこにあるものを正しく伝えることはできないから。
 本当の答えというのはことばにはできないものだから」

田村カフカ、その君の強さがねたましいほどに羨ましい。

『海辺のカフカ』 2002.9.10. 村上春樹 講談社



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