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Mi Pensamiento Diario

事故から17年

今日8月12日は日航機が御巣鷹山に落ちた日だったんだね。あれからもう17年が経ったなんて信じられない。本当、月日の経つのは早いね。あの日は夜になってから、やたらとニュース速報が流れていたことを覚えてる。最初は飛行機の行方がわからなくなったって感じだったかな?でもずーっと行方不明のままだから茶の間でTVを見ていたムースですら、もしかして墜落しちゃったんじゃないのって思わせるような感じだった。そうしたら、何時になってからだかわからないけど、日本航空のジャンボジェット機が墜落した模様ってなったと思う。個人的には全日空より日本航空が好きで、日本航空をよく利用してたムースにとっては、あららって思わせる出来事だった。この事故の前にはスチュワーデス物語がやってたから日本航空のイメージが少しだけよくなったと思ってたのに。もしあれがなかったら片桐機長による逆噴射の一件といい、日本航空ばかりが事故を起こしているような気分になっちゃうもんね。
今日は昼からこの日航機123便のことについて書かれているHPを見てたんだ。今でもたくさんの人がこの事故を忘れないように働きかけてるんだね。当時、まだ若かったムースは不謹慎だなぁって思えることをしてたけど。実際にはお金がなくて買わなかったけど、株は買い時だと思ってたの。父に日本航空は半民半官だから今株価が落ちても絶対に持ち直すっていわれたんだ。確か事故が起こってから1万円を越える株価があっという間に6千円台まで下がったんだよね。そしてそれから半年くらいで、父のいった通り元の値段、1万数千円まで戻したのを覚えてる。今の日本航空は完全に民営化してるけど、当時は半民半官だったの。昭和63年頃完全民営化したんじゃないかな?完全民営化したときの優待券を友達が持っていたことを覚えてるから。あの頃は国鉄といい電電公社といい民営化するのがブームだったもんね。国鉄解体のときは中曽根政権だったんだね。何となくわかる気が。だってあの頃、ロンと康とか、ロンやすとかって言葉をよく聞いたもんね。ロンことロナルド・レーガンはレーガノミクスと呼ばれる経済政策で有名だし、規制緩和もかなりしてるんだよね。その結果、「兼高かおる 世界の旅」の協賛で有名だった世界の翼パンナムが潰れちゃったんだよね。
話を戻して、ムースの不謹慎なことだけれども、株のこともそうなんだけど、事故の影響でキャンセルする人がたくさんいるって思って突如旅行することを決めたの。最初はどこへも行くつもりなんかなかったんだよ。もちろんどこかへ行きたかったけど、切符を取ってなかったから身動きが取れなかったし。事故のあと、日本航空だったら席があるって思ってたんだから何とも不謹慎な人だよね。でも、旅行しちゃいました。8月15日の朝になって、突然旅支度をし始めて、お昼の飛行機に乗ってました。日本航空のボーイング747、事故を起こした飛行機と同じ型の飛行機に。飛行機の中で聞いたニュースでは、8月15日に日本航空保有の747型機すべての圧力隔壁を検査することを決めたみたい。ムースはそのニュースを機内で聞いておかしくなって笑っちゃった。だってムースの乗った飛行機も事故を起こす可能性があったんだもん。飛行機事故って続くときはこれでもかってくらい続くからね。だから運を天に任せて札幌まで飛んだの。圧力隔壁に問題がなかったから無事に札幌まで飛んで、今でもこのように生きてるんだけどね。
ところで、あの日航機事故の原因だけど昭和53年の大阪伊丹空港で起こしたしりもち事故後の修理がいい加減で金属疲労を起こし圧力隔壁に亀裂が起こったってことになってるよね。でも、今だに真実は闇の中。今日もいろいろなHPを見ていて思ったけど、おかしいって思われることが列挙されてた。今はCVRと呼ばれるコックピットボイスレコーダーに残された会話の内容が公開されてるから、それをもとに事故の真相を突き止めようとしてる人がいるみたいだけど。事故調査委員会の報告がどうしても腑に落ちないんだと思う。この気持ち、ムースはわかるの。ちょっと話が飛躍しちゃうけど、戦争についてもそう。長崎に原爆が落とされた日にネットで戦争に関するいろいろなものを読んだの。そこに書いてあることが真実とは思わないけど、今まで学校で習ってきたこととは違う視点で書かれていた。それに別の視点で見てる人がなぜいなかったんだろうって思ったの。別にムースは戦争がいいこととは思わないし、狂気の沙汰だって思う。でも何でそんなことをやらなければいけなかったか。過去の過ちを繰り返さないために真実が知りたい。もちろん、真実を知ることがいいことばかりとは思わない。知らなければよかったって思える真実だってたくさんある。真実を知ってしまったがために、それが一生手かせ足かせになることもあると思う。でも、罪のない多くの命を奪った出来事の真実を知って、2度と繰り返さないようにしないと、いつ同じ過ちを繰り返すかわからないから。もうこんなことは2度と起こって欲しくないから。だから知りたい。
この123便に関するHPを見ていたときに記憶が蘇ってきたんだけど、墜落してから間もないうちは生存していた方がまだまだいたんだよね。4人の生存者、川上慶子さん、落合由美さん、吉崎博子さん、吉崎美紀子さん以外にも生きてた方がいたのは、川上慶子さんの話でご存知の方も多いと思う。彼女のお父さんの川上英治さんと妹の咲子さんと彼女の3人で声を掛け合っていたっていうんだから。ムースは今日これを調べるまでは知らなかったんだけど、在日米軍が救助の申し出をしたそうだけど、自衛隊はこれを拒否したそうだね。本当に残念。ムースの記憶の中では現場を特定するのに時間がかかったことと、夜だったから捜査をしなかったってことだけだったから。何が隠されているんだかわからないけど、人の命をぞんざいに扱ったことだけは事実だし、そのことについては本当に残念。
隠しておきたいこともたくさんあると思う。日本って国だけではなく、アメリカのボーイング社も。もしかしたらアメリカって国も絡んでるかもしれない。当事者が死んでしまえば何もかもうやむやになる。これは紛れもない事実。だけど、もし未来を今より少しでも明るいもの、いいものにしたいと思えば、やはり真実は必要かなって思うんだ。その真実についていろいろな視点で語り合うのはいいと思うけど、嘘を語り合わなきゃいけないのはお腹一杯。視点を1つにして人々に刷り込んでしまえば、それが事実として伝えられるけど、それも変なことだと思うの。ここのところ、真実が闇の中に埋もれたものを立て続けにこの日記で取り上げたからそう思うのかな?
この日航機事故から1年後の8月。ムースは山陰と九州を旅したの。8月12日だったと思う。ムースは出雲大社へ向かうため1人タクシーに乗ってたんだ。この頃から恋に縁がなかったから、縁結びの神さまにいい恋が見つかりますようにってお願いしに。出雲市の駅からタクシーに乗ったのかな?辺りは田んぼばかり。出雲大社に近くなったとき、田んぼの向こうに雑木林みたいなのが見えたの。そのときタクシーの運転手さんがムースにいったんだ。「あの木の向こうが川上慶子ちゃんの家だよ」って。きっと取材陣でいっぱいなんだろうなって思った。そんな瞬間だった。
ムースにとって日航機事故にはいろいろと思うことがあるの。このことはほとんどの人が知らないと思うけど、日航機事故から4年後の平成元年の3月26日日曜日、大阪伊丹空港で日本エアシステムのYS−11型機がしりもち事故を起こしたんだ。123便がしりもち事故を起こしたところと同じ大阪伊丹空港で。気流が荒れて着陸が難しいときに起こった事故だった。乗員乗客にけが人はなし。機体損傷のみの事故だった。けれど、まだ日航機事故の惨劇冷めやらぬとき。その機長はマスコミに叩かれるだけ叩かれた。なぜならその事故の1年前の昭和63年1月11日、日本エアシステムのYS−11型機が米子空港で離陸に失敗し海へ突っ込んでいたから。いわゆる、オーバーラン。大阪伊丹空港でしりもちをついた飛行機は米子発大阪行だった。関連付けようと思えば何でもできる。日本エアシステム、米子空港、YS−11、大阪伊丹空港、しりもち事故。人の不安を煽るには持ってこいのネタだったかも。その機長は4日後の3月30日、自らパイロット人生に幕を下ろしました。享年55歳。若すぎる死。自衛隊から東亜国内航空に移り飛行機を操縦してた方だった。新聞を見ても、HPを検索してもこの機長が自衛隊にいたってことは出てこないと思います。だっていろいろあるんだもん。ムースがこの機長が自らの命を絶ってしまった記事を見たときには正直驚いた。3面記事にデカデカと載ったから。このときばかりはマスコミのやり方に憤りを覚えたかな。人を死に追い込むなんてひどすぎるって。だから123便の真実を知りたい。そう思ったの。ちなみにムースの両親は健在ですし、この機長は親戚縁者ではありませんから。

ちょっと暗くなってしまった今日の日記ですが、1つ明るい話題を。昨日書きものをしてたって書いてけど、その作品が本日公開されました。それは「ここ」をクリックして御覧ください。題名は「津軽海峡の汁」です。明るい話題をっていってる割には内容はちょっと暗いんですけど。ムースが初めて北海道を旅行したときに食べたもののことが書いてあります。ちなみに上に書かれた8月15日に日航機に乗って旅立った北海道旅行は3度目の1人旅で2度目の北海道1人旅です。

今日はもっと書きたいこともあったけど、もうやめます。だって疲れちゃったんだもん。その話は明日書くかもしれないし、書かないかもしれないし。その日の気分で書いているのでどうなっちゃうかわからないの。ゴメンなさい。


2002年08月12日(月)




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