我が社には、何が目的かわからぬが、気付けばそこに出来上がっていた秘密結社がある。
その名を「乙女組」という。
構成員は現在四名、結社というにははばかられるが、資格さえあれば随時加入できるのである。
わたしもじつは、知らぬ間に、気付かぬうちに、構成員の一人に数えられてしまっているのである。
もしも人に危害を加えるようなものならば絶対に、己に災厄を招きそうならば速やかに、脱退を請い。
いや違う。 そもそも入った覚えがないのだから、請う必要がない。 であるから、むしろ敢えて云うならば、脱退を宣言、という表現が相応しかろう。
「それはもう、無茶な話ですよ」
小金井がニヤリとわたしの右肩の辺りから顔を覗かせる。
「なぜ、無茶なんだ。第一、入った覚えがない」 「入った覚えがなくても入ってしまったのだから、諦めてください」
へん、と偉そうに胸を反らす。
「どうしてわたしが入ってしまっているんだ。勝手に入れるんじゃない」 「どうしてって、「乙女組」は乙女座の者が入れる組織なんです。嫌なら生まれ直してください」
なんだか京都在住の某作家作品に登場するやり取りのようだが、今はそれは置いておこう。
「そんなに嫌なら、獅子座に追いやっちゃいますよ」
園兵衛が、ニヤリと頷く。彼も「乙女組」である。
「いやいや、どちらかっつうと」
天秤座でしょ、とお多福さんが割り込んでくる。彼女も「乙女組」である。
なんたることか。 さして興味も未練もない「乙女組」だが、「乙女組」のくせに乙女たる女性がお多福さん一人しかいないというお粗末さ。
これは「乙女」という言葉に対する冒涜である。
それを恥ずかしげもなく大声で「乙女組」などと、どの口がのたまうのか。
しかし、連中は煙にまくことこそが大の楽しみであり、訴求したとてまさに雲を掴み、煙にまかれ、たちまち五里霧中で韜晦の海を漂うことになるだけである。
そして漂流させられた挙げ句、
「じゃあ、来週末は竹さんのおごりで焼肉にゆきましょうね」
と、根も把もない虚言がまことしやかに事実となってしまうのである。
それはなんとか阻止したのだが、それすらもいつまた再燃するかわからないのである。
火のないところに煙を立てることこそ、彼らの最も迷惑な暇潰しの余興のひとつなのである。
余興に付き合う義理はないが、もはや渦中の身となりつつある。
渦中ならばいっそ、火中の栗を拾い、遠く我が身に及ばぬところへと放り投げて然るべきであろう。
今は従順を装い潜伏し、機をうかがうことにしよう。
いつまでも消えぬ火はないのである。 やがて燃えるものを燃やし尽くし、火の弱まるときがくる。
「そもそも何もないところに立てる火なんですから、燃え尽きるものなんてないんじゃないですかね」
小金井が不思議そうな顔をしてそらんじる。 この元凶が、空とぼけて何を言う。
まるっきり京都在住の某作家作品そのままになりつつある。 えい構うものか。
「やった、焼肉だ」
お多福さんが小さなガッツポーズを決めてみせる。
ちょっと待った。
「俺、特上肉なんてしばらくなんで」
ごちそうさまです、と園兵衛が手を合わせる。 だから待てという。
「生んでくれてありがとう、お母さん」
お多福さんが、振り仰ぐ。 こらこらこら。 だからそこ、感謝の祈りをしない。
「はやく観念しないと、メンバーをさらに集めちゃいますよ」
小金井が、イヒヒとわたしを上目遣いでみる。
「ええい、生まれ直してやるわっ」
意味不明の捨て台詞を文字通り連中の振りまいた煙の中に放り捨て、わたしは一時的な戦略的撤退を選んだのである。
「叙々苑のなんとか亭でお願いしま……」
小金井の喚き声などに耳を貸さぬよう、ピシャリと耳に蓋をする。
おそらく游玄亭のことだろうが、わたしがなぜ、身銭をはたいてそのような立派な店の肉をおごらねばならないのだ。
それならば、わたしの黒髪の乙女を連れてこいというのだ。
「聞こえましたよ、乙女ですね。じゃあそれで肉ひと皿ということで」
なんという不埒な輩、小金井。
冗談にも品性と道徳心が必要である。 わたしはさすがに捨て置くわけにはゆかない。
「ずいぶん、安い乙女だな」
違う。 そこではない。
これではわたしも下品な仲間入りになってしまうではないか。
えっへっへ。
それじゃ、とサメに追われる白兎のように、スタコラさっさと小さくなってゆく。
八十八人の兄たちによって、その毛をむしりとってやろうか。
戻ってこい。 せめて「お友だちパンチ」を食らわしてやる。
「嫌です。何ですか、その得体の知れない名前のパンチは。そんな不気味なものを食らわせるくらいなら、素直に肉を食らわせてください」
何を不気味といっている。 「お友だちパンチ」とは由緒正しき、京の都の一部のものたちに密かに伝わるだなあ。
とくと説明してやろうとする間に、忽然と小金井の姿は消えていたのである。
ええい。 今度たっぷりと、講釈してやるわ。 覚悟しておけ。
2010年08月29日(日) |
十人十彩で、ほんならね |
原宿元気祭 「スーパーよさこい2010」
が、二日間に渡る熱い夏の幕を下ろしました。
本日日曜限りの、表参道ヒルズ前ストリート舞台を、何はさておきみなければなりません。
時間をきちんと確かめ、準備万端です。 ええもちろん、「ほにや」の出番時間を、です。
わたしゃ軽いストーカーかっ(笑)
さあ、ここで阿呆の登場です。
三十分前に着くように、と出かけるちょうどそのとき。
ピーッピーッピーッ。
洗濯機から、洗濯終了のアラームが……。
忘れてた。
干さずに出かけるわけには、ゆきません。
ピンチです。 焦れば焦るほど、ピンチは絡まります。
あっちとこっちの洗濯ピンチが真っ直ぐに摘めず、一個ズレてしまうのです。
ああっ、もう。
ここでさらなる阿呆の登場です。
昨日は間に合ったじゃあないか。 だから今日も、大丈夫。 間に合う。
とんだ阿呆です(笑)
同じ阿呆なら、踊らな損々♪
「ほにや」の曲が、リズミカルにわたしを動かします。 ほにや♪ ほにや♪
根津から乗り換えなしの一本で、さらに今日は明治神宮前ではなく表参道なので、ひと駅短いのです。
たった二三分ですが。
走ります。 階段を駆け上がります。
年齢もなりふりも構わず(汗)
地上に飛び出すと、そこはちょうどスタート地点です。
まさに「ほにや」の皆さんが集合し始めていたところだったのです。
やっぱり、わたしは何かしらを、持っているっ。
舞い踊る阿呆です。
阿呆はまだまだ足を緩めません。 沿道は人が一杯です。 人垣の隙間からのぞくのでは満足できません。
阿呆は舞い上がっているのです。
舞い上がっている阿呆は、無敵です。
くるりん、ぱっ。
「東京メトロ シーブルー」の連が過ぎると同時に、前にいたおばさまが、どいてくれたのです。
目の前の最前列には、ちっちゃな女の子が座り込んでいるだけで、遮るものは何もありません。
やはり、持っている。
阿呆はほくそ笑んでます。 かぶりつき席で、しっかり堪能させていただきました。
しかも、「十人十彩」「音ら韻」「帯屋町筋」など、そうそうたる連が、続くのです。
ああ、しかし阿呆は追い掛けます。
それらお目当ての連が登場する別の演舞場を、汗でシワシワになってゆく予定表片手に(汗)
明治神宮の森を、代々木公園の芝生を、行ったり来たり。
各地の名産品が売っている「じまん市」広場で「横手焼きそば」や「屋台餃子・安兵衛」や「京の味・五条焼き」や「ゆずかき氷」やらを二日間ですっかりいただかせていただきました。
さあ、ついに閉会式です。 そして各賞の発表です。
グランプリは、
「十人十彩」!
そして「スーパーよさこい」十周年記念特別賞が、
「ほにや」!
やはり、高知でも歴史ある地力ある連は、強く美しい。
その他各賞でわたしがお気に入りの連が受賞したのも、さらに阿呆をのぼせあがらせるのです。
「音ら韻」(東京)や「上総組」(埼玉)やなど。
受賞したとある連の感想コメントに、考えさせられる言葉がありました。
出場辞退やら色々な諸事情があるにせよ。
観ている人達や踊っている踊り子さんたちは、純粋に、順位に関係なく、精一杯の熱い夏を、共有できました。
さて「ほにや」とはなんぞや、と。
「ほにや」とは、高知の土佐ブランドの名前なのです。
「新しくてなつかしい、ほっと和む、ちょっと楽しい」
をコンセプトに、和の粋な色使いと遊び心。
九月一日から二十一日まで新宿の小田急百貨店二階に期間限定で出店するそうです。
さらに九月十一日から、なんとっ。
「君が踊る、夏」
という映画が公開されます。 きっかけは、映画プロデューサーが「ほにや」のよさこいをみたことから。
「ほにや」は衣装・振付け・楽曲等の映画へ全面協力をされているそうです。
そして表彰式で、驚きの発表が……。
各連の最後尾は、だいたいちびっ子たちが、愛らしく、凛々しく、楽しく踊っているものなのです。 ステージでは両脇の前の方や、逆に後ろの楽しく踊れる位置。
「ほにや」ももちろん、ちびっ子の踊り子さんたちがいます。
さて映画の劇中に登場する不治の病と闘い、
「いつかわたしも、みんなとよさこいを踊りたい」
という女の子がいるのです。
そのモデルとなった女の子が、「ほにや」いたのです。
小児ガンと、闘っているそうなのです。
とてもとても、そんな風には見えませんでした。
大人に負けない凛々しい踊り。 心からの楽しんでいる笑顔。
熱さを、汗を、感動を、そして明日への力を、ありがとう。
「桜(高知中央高等学校)」の曲の歌詞から、こんな言葉を借りたいと思います。
「ほんならね!」は、明日へのおまじない。
さあ。 今日から明日へ。
よさこい、夏!
原宿表参道元気祭 「スーパーよさこい2010」
二日間に渡る暑い夏の初日です。
浅草では、本場リオデジャネイロもビックリの「浅草サンバカーニバル」が毎年同じ日に行われているのです。
三社祭には行っても、サンバカーニバルには行ったことがありません。
サンバの浅草より、 よさこいの原宿。
です。
先々週の高知でひらかれた「よさこい祭り」での、優勝チームや特別賞やらを受賞したチーム(連)はすべてではないけれど、こちらの「スーパーよさこい」に招待されることになっています。
だからもちろん、チェックをしてみたのです。
「ほにや」はやはり優勝チームとなり、「十人十彩(といろ)」「Art Wave」「とらっく」「帯屋町筋」「上町よさこい鳴子連」らの伝統と実力等がある連が、各賞を受賞していたのです。
さて、わたしはやはり阿呆のようです。
「よさこい祭り」の結果はチェックしていても、肝心の「スーパーよさこい」の参加チームや演舞場や時間を、前日までチェックしていなかったのです。
参加チームに「Art Wave」の名がありません。 どうやら辞退されたようです。
高知でもっと、しっかりみておけばよかった……。
演舞場は原宿駅のすぐ後ろ、そこが開会式を行うメインのステージです。 明治神宮にちょいと入ったとこに文化会館ステージ、代々木体育館前、NHK前ストリート、それに隣接する舞台がある広場のじまん市ステージ、そして日曜のみの表参道ヒルズ前ストリート、各所での暑い競演が繰り広げられるのです。
炎天下にひとりで、開会式から陣取ってゆく気力はありません。
予定表をみて、「ほにや」の原宿ステージに間に合うよう、時間を決めていたのです。
余裕をみて三十分前に着くように。
「はうっ」
三十分を、食い潰してしまったのです。
地下鉄の千代田線に「なんで快速や急行がないのさっ」と理不尽な不平不満をぶっつけながら、明治神宮前まで根津から乗り換えなしの一本で三十分を、その場駆け足の状態で焦ります。
駅への到着時間は、ちょうど「ほにや」の開演時間ジャスト。
乗越しの自動精算を焦る気持ちでしていると、背後で
「明治神宮に近い出口はどこですか」
と駅員さんに訊ねてる女子がいたのです。 彼女もやや焦っている様子で、きっと目的はわたしと同じかもしれない、急げ急げ、と。
精算券を機械を待たずにひっこぬき振り返ると、彼女の姿は既にあらず。
負けた。
時計の針は、止まってくれはしません。
大丈夫、五分くらい遅れたりすることもある。
根拠のないアクシデントを勝手にこしらえて言い聞かせはじめてました。
ホンマに阿呆や……。
「それでは、「ほにや」の皆さんですっ!」
司会者の紹介の声を、わたしは前から三列目あたりのぽっかり空いた隙間から、聞くことができたのです。
はっはぁー! どうだ、みたかっ!
やはり、鳥肌がたってしまいました。
「ほにや」だけではありません。その他の連も、全国から集まってきているだけあって、鳥肌が引っ込む余裕がありません。
「姫さまの云うことはぁ?」 おっ。 聞き覚えのある掛け声。
「ぜったぁーい!」
「乱舞姫」という東京の連です。 なんて軽い掛け声だ、と侮ることなかれ。
なかなか素晴らしい演舞を毎年披露してくれるのです。
他にも関東勢では「音ら韻(オンライン)」という同じく東京の連も、格好いいのです。
しかし刷り込みというのは交換絶大なわけで、わたしが高知で魂を抜かれてしまった連の登場にひたすら感動の連続で、ぐったりです。
熱中症みたいなものです。
よさこいは、もはや「ダンス」です。 ヒップホップ、ジャズ、レゲエ、モダン・クラシカルバレエ、それぞれがそれぞれの「舞い」として取り入れているのです。
そしてやはり素晴らしいのは。
何十人といる連の中のひとりひとりが、楽しくて楽しくて仕方がない、という笑顔なのです。
立っているだけで辛くてだるくて目尻がだらしなく垂れ下がるというのに、激しく舞っている彼らの目は、綺麗な弧を描き、キュッと輝いているのです。
朗らかな笑顔と真剣な汗。
だから、誰が観ても、必ず、魅せられてそして感動させられてしまうのです。
明日は閉会式が夕方五時。 それまでにもし、お時間や都合が合えば、是非、原宿駅に寄ってみてください。
2010年08月25日(水) |
「阪急電車」とおとなりさん |
有川浩著「阪急電車」
さすが、有川浩である。
阪急今津線という八駅の路線が物語の舞台である。 各駅往復で十六の物語は、乗り合わせた人々の、それぞれと、それぞれが絡み合った軽妙で巧妙で絶妙な物語となっている。
とにかく、甘くむず痒く、痛快で爽快なのである。
恋のはじまりや、終わりや折り返しや。 小学生やおばさんや学生の、世代を超えた出会いや。
なかなか楽しませてもらえる作品である。
実はこの作品。
京都の夜に、
「遅い時間までやってはる本屋さんが、近くにあるんですよ」
と、連れていってもらったのである。
ちょうど神保町で毎週末欠くことなく文庫の新刊を物色していたのを、旅の支度で欠かしてしまっていたのである。
連れてきてもらったというのに、ひとりそっちのけで文庫の平台を探し、目指し、眺め、メモする。
はっ。 しまった。 どちらに行かれたのだろう。
子どもがおもちゃに夢中になって、迷子になったときのようなものである。
三十路の山をとうに越えたものが、なんと情けない心境に陥りかけているのだろう、と可笑しくなる。
そこは大人の余裕である。
を装っているふりを装いつつ、順繰りに棚のひとつひとつを巡りながら、横目で通路の向こうまでを目ざとく姿を探しながら、辿ってゆく。
みっけ。
しかし足早に近付いてはいけない。 敢えて気付かぬていで、カクンと手前の棚を折れ曲がる。 そうしてグルリと回って、やあどうもすみませんでした、と涼しげに合流するのである。
ここで肝心なのが、ぐるっと、というほど大回りしてはならない。 大回りに時間をかけて、またはぐれてしまってはうまくない。 だからと早足になるのもいけない。
グルリと、ぐらいが丁度よいのである。
ところが、やあどうも、とゆく前に、ここでカクンと折れ曲がったらまあ偶然いい按配に、というところの棚に、わたしは目ざとく別の本に気付いて足を止め、それを手にして頁を開いてしまったのである。
ニイタカヤマ、トマレ。 ドレドレドレ。
真珠のようなコロリとした、しかししっとりと気品ある声に、先を越され声を掛けられてしまったのである。
格好どうりにゆかなかったわたしは、語頭から語尾に至るまで、
むにゃむにゃむにゃ。
といった次第であった。
なんとも、また情けない。
そんな折に出会った作品のひとつだったのである。
この作品のような風景を、是非とも描いてみたいものである。
2010年08月24日(火) |
「水晶万年筆」と余白 |
吉田篤弘著「水晶万年筆」
わたしにとってこの著者は、「つむじ風食堂の夜」「それからはスープのことばかり考えて暮らした」等の作品から、なかなか捨ておけない作家となっているのである。
人々がすれ違う十字路が詰め込まれた街の、六編の物語。
どこか舌足らずで、ついつい「え、なんだって?」と道に迷ってべそをかいている子どもに膝を折り、口元に耳を近付けてやさしく話を聞こうとしたくなるような、そんな不思議な魅力を持つ作家である。
しかし今回、ちと雰囲気が違う。
元は朝日新聞社の「小説トリッパー」にて掲載されていた物語たちである。
あとがきにあるのだが、東京の路地(十字路)がある街を歩いて、骨格となる風景を集めたらしい。
例えば築地、白山、根津、尾久、千住などなど、らしい。
うむ、これまたわたしと縁深い街ばかりである。
白山は以前の勤め先の小石川に、自転車または歩いて通り抜けていた街であり。 千住は菩提寺、家作があった街であり、根津に関しては暮らしてる街である。
読み終えてからあとがきにて知らされたのである。
あとに書いてあるからあとがきなのだが、さきに知らせて欲しいものである。
なんだか、騙されたようである。
十字路というところから、何故だか最初に、月島の辺りをすっかり想像し、そのつもりで終わりまでいってしまったのである。
月島は築地の川(河口?)向こうの街である。
「もんじゃ焼き」の二大聖地のひとつである。
惜しいところで、ひょいとかわされてしまった。
まるで、ダルビッシュの編み出した魔球「ワンシーム」を放られたみたいなものである。
胸元に、ふわりと浮き上がり、ケケケ、とバットに空を切らすか、ゴツンと根っこに尻から当たって凡打させられるかのようである。
しかし、いくら厚くはないといえ、正味九十分ほどで心地よく読み切らせるとは、やはりよい作品なのである。
しばし停電。
先日久しぶりに七三の消息を訪ねてみたのである。
同じと正反対と、そしてやはり違ったものを持っているものである。
訪ねたといってもそれは便宜上の表現であり、実際に訪ねたりしたわけではない。
何せわたしは今、坊主頭に毛が伸びたぐらいの頭である。
だから何だと言われれば、何も言い返せないのである。
なにせわたしはB型の乙女座である。 生まれはドラえもんと同じ日にち、とくれば、夢想家となるのは必然の理である。
夢想家が妄想、妄走すると、いけない。
わかったような気になるのをわかっていないのだとたがを締めるのに大変なのである。
思い上がりにほかならない。 ひととはそんなに易きものではない。
大分県が加わり、古墳氏とトリオになったのである。
切れ端の小耳に挟んである話を継ぎ合わせて、おそらくこうだろうことを、実際だいたいはそうだったりするのだがそのことを頭に置いたまま話をしようとすると、ちっとも話を進めることができなくなってしまうのである。
十八さんが、苦虫を噛み潰す。
だから言っているだろう。 交通整理をしなければ大渋滞が起きるのは当然だって。 お前はたまに、全部信号の電源切って、良心に任せようとしやがる。
車を止めずに、歩行者天国、のつもりである。
「それで、このプランをですね」
指示を出そうとして、はたと言葉が詰まり、思考がとまる。
これは変更がきて、すぐに総入れ替えになるから。
変更案も昨日と一昨日とはたまた今朝と、けんけんガクガクの紛糾状態みたいだったし、決まりっこない。
だからはまぐりさんもシュウゾウさんも、さらには津市も、こちらに触れようとしたないし。
てか、右往左往で余裕なんかないし。
どうした。
しれっと、変更の話なんか尾首にも出さず、どこかでワサッとやるためにだんまりを決め込んで、ヘラヘラと、いけしゃあしゃあと、振り回してた面の皮はどこへいった。
「こう、し「といて」ください」
し「て」ください、と言い切らない。 言い切られないと、言われたほうも躊躇する。迷う。及び腰になる。
モチベーションが、落ちる。
致命傷を、招きかねないのである。
指示する者は、迷いを見せるな。
親が子を叱るとき、「悪いことだと「思う」から、ダメなことだと「思う」よ?」と叱ることになっていないのと同じである。
そんな簡単なことをする余白が、わたしの中になくなっているのである。
言葉どころか文字までもが、そっぽを向かれてしまっているようである。
変更を入れ替える前に、頭の中を入れ換えて、すっきりさせねばならない。
まずは腹拵えから、である。
2010年08月23日(月) |
「有頂天家族」に扇子がとまる |
森見富美彦著「有頂天家族」
うぬう。
「後悔」
である。
実は本作品。
旅に出る前に手に入れておいたものなのである。 旅の先には京都が待っている。 森見作品となれば、猫も杓子も、鴨川木屋町河原町、ポンとちょうっと、狸が笑う、といった具合である。
狸の家族が同族の長争いに、天狗に天狗見習いから天狗本人を骨抜きにさせた半天狗の女人、さらにさらに人間が巻き込み巻き込まれて大騒動を繰り広げる、一大エンターテイメント作品である。
大丸の、と出てくれば、おうあすこの大丸か、とあごを撫で、四条から高倉通りの扇子屋、と出てきて、おややっ、とあごから手が滑り落ちる。
まさかまさか。
指を挟み、携帯の地図を呼び出して、地理を追う。
惜しい。 どうやら三条に向かう辺りに別の扇子屋があるらしい。
これを読んでから京都を訪ねる予定だったのが、うっかり鞄に入れたまま、桂浜も室戸岬も、ただうろついたに終わってしまったのである。
予定通りであったならば、竹林亭にて大虎に化け、がおう、とひと吠えしていたのは、もしやわたしであったかもしれない。
狸はなかなか愛しいものである。
「阿呆の血のしからしむるところだ」
名言である。
まさに有頂天。
狸鍋にならずにすんだ家族の、まさにささやかな栄光があらんことを。
そして、食べちゃいたいくらいに好き、と言ってはばからぬ弁天の、小悪魔(天狗?)っぷりにカンパイ。
である。
2010年08月21日(土) |
「9(ナイン)〜9番目の奇妙な人形」と感動と舞い |
「9(ナイン)〜9番目の奇妙な人形」
をギンレイにて。 CGアニメーションである。 人類が自ら発明したマシーンの反乱によって滅亡したその直後、麻布を縫いあわせたような手のひらほどしかない人形が目覚める。
背中には「9」の文字。
しかし、記憶も何もない。 やがて自分と同じように番号を背負った仲間と出会う。
彼らは、マシーンの生み出した「ビースト」と戦うものと、生き延びるために逃げ続けようとするものと二分し、対立していた。
ナインは、目覚めたときに手にしていたあるキーが停止していた「マシーン」の起動キーだと知らず、無知の好奇心からキーを嵌め込み、起動させてしまう。
マシーンは、次々とガラクタの部品からビーストを作り出し、ナインらを襲いはじめる。
次第に仲間がマシーンに吸収されてゆき、逃げることを主張するリーダーのワンはやがて、戦って終止符を打とうとするナインに渋々従うようになるのだが。
果たして、ナインらは終止符を打てるのだろうか。 その終止符とは、解放か、破滅か……。
とにかく、キャラクターがいい。
素朴だが麻布の指人形のような姿に、これだけ見事な人間味を吹き込んでいるのである。
ナインまでのナンバーとなると、わたしの世代だと石ノ森章太郎の「サイボーグ009」である。
特性は違うが、それぞれの個性が、豊かで、愛着がわいてきそうな魅力がある。
セブンが、いい。
はじめからひとりビーストと戦い続けていた唯一の「女性」戦士なのである。
サイボーグ〜では、たしか「003」が唯一の女性でテレパシスト等の非戦闘能力者であった。 セブンは、鮮やかな身のこなしのみの、特別な力は何もない。
いや、ひとつだけあった。
「勇気」
である。
凛々しさは、美しい。
さて。
久しぶりの水道橋の馴染みのカフェである。 店員の風呂屋くんとは、やあどうも、お待ちしてました、という程度の顔見知りである。
わたしが旅に出る前、店で、さて高知はどこの飯屋で食うか、と本を開いていたのである。
「美味しそうな本を見てますね」
テーブル拭きに回ってきた風呂屋くんが、目ざとく気付いたのである。
来週から旅に出るので、その店を物色してるんです。 へえ、どこですか? 高知です。よさこいを見にゆこうと。
「高知ですかっ」
黒ぶち眼鏡の向こうで、黒目がビックリしていたのである。
「実は両親が、よさこいを見に行くらしいんてすよ」
ほうっ。 実家は埼玉なんですが、そこから車でゆくんです。
なんとっ。
よさこいの後に、徳島で阿波踊りも見て帰ってくる計画らしい。
なんとも羨ましい。 夢の競演である。
そんな話をしていたのであった。
「おかえりなさい。旅はどうでした」
深く、強く、ひと息つく。
「よかった。感動したっ」
両親も、そういってましたよ。 そうでしょう、そうでしょう。
唖唖と笑う。
来週ある「スーパーよさこい2010」に、やはりあの「ほにや」が来てくれるのである。
いや。
来るべくして、来る。
高知で迷子になりかけたわたしを救ってくれた子らに、「ほにや」ってカッコええねぇ、と初見のようなことを言ってみたが、実は以前から「ほにや」を知っていたのである。
王道のような安心感があり、しかし新しく、鮮やかで、引き込まれる。
そしてもうひとチーム。
「art wave」である。 こねチームは、女性は一度みたら、おそらく一発で、憧れてしまうであろう。 女のかっこ良さ、に痺れさせられてしまうのである。
「art wave」の登場に、わたしの周りから、「キャー」という悲鳴や、「やっぱりカッコいいよねぇ」とのため息や、「……!!」などの感嘆符が渦巻きだしたのである。 このチームは、女性がメインのチームである。
感動と元気と明日への力が欲しい方は、来週土日、昼過ぎから原宿表参道へ、騙されたと思い来てみてもらいたい。
たとえ騙されたと思っても、明治神宮にてお参りして帰ってもらえば、パワーは与えられて元気になれるはずである。
2010年08月19日(木) |
まじでこ(うか)いする五秒前? |
廁のついでに、我が社があるアトリウムを挟んだ向こう側に、大分県を訪ねてみたのである。
大分県は明日か明後日かはたまたいったいいつからか、わたしの関わっているBIMの仕事を手伝うがために出向することになっているのである。
しかしいつになるのか見通しが立たない。 そこで本人にズバリ訊いてみようと思ったのである。
で、いつからになりそうなん? さあ、いつからだと思いますか?
質問に質問で返すとは、おぬしは合コンの女子か。 ぷしゅうと気が抜けた海老蔵のような顔をして、おのれその目玉に目薬を刺してやろうか。
ふんぬう、と鼻息を吐き出したときである。
「竹さん。広末涼子が恋人とデート、してたらしいですよ」
大分県の隣の席にいる涼君が、涼しげに目を細めて、ふふんと振り向いた。
なにっ。いつのデートだ。 先週じゃないですかね。 撮られた覚えはないっ。 あるわけないじゃないですか。北海道で、らしいですよ?
ぐぬぬぬ。 ぐうの音は、出ない、いや出さぬ。
マジで。 ええ。 これから。 はあ。 五年、待つ。 ……はい?
まさか、曲名に掛けたんじゃあ、ないですよね?
大分県が、ギョロリとニラミをきかせる。
ワン、ツー、スリーフォーファイブ……。 (リフレイン)
とってもとっても とってもとっても
……。
そこから先は、ゴクリと飲み込んだのである。
大分県の反対側の隣の席にいる馬場さんが、顔だけを向けて、にやにやわたしを見守りだしたのである。
よさこい(夜さ(が)濃い) ソーラン節(遭難(した)武士)
武士は食わねど高楊枝。
「こぉーんな、ちっちゃな爪楊枝だけどね」
馬場さんが親指と人差し指がくっつかんばかりの仕草で、それを表す。
はっはっはっ。
大分県がギョロギョロ笑う。
シッシッシッ。
涼君がやにさげて目尻で笑う。
クレアラシルで、泣き顔を洗い流そう。
WASABIが、ツンとしみただけだいっ。
わたしは捨て台詞を残して足早にその場を立ち去ったのである。
「俺、プライベートで街歩いてる広末涼子を見たことありますよ」
円部が、そんなことがあった直後のわたしと知らず、へへんと聞かせる。
お、お、おれだって、ひろ……。 ……ヒロシに会ったことあるもんねっ。
「芸人の、ですか」
それはそれでレアですね、と慰めだす。
なして、いつもいつも間が悪かとですか? 昼休みの牛丼屋で、後で頼んだわたしの牛丼単品が、向かいの相席のおじさんが先に頼んでいた牛丼サラダセットより随分先にきて。 気まずさにずっとうつむいたまま食べきったとです。 紅しょうがも七味も、ふりかける余裕なんかなかったとです……。 ヒロシです、ヒロシです、ヒロシです……。
好きは好きだが、本当はそこまで大好きなわけではなかとです。 好きなのは小西さんや蒼井さんや宮崎さんや、和の凛々しさがある方とです。
ヒロシです、ヒロシですヒロシです……。
「つかぬことを、お聞きしますが」
なになに、と同僚のお多福さんが、慎重な面持ちでうなずく。
同じ階だが親会社に出向しているわたしと、同僚が顔を合わせる機会は限られているのである。
お多福さん。 なに。
彼女の上衣が紫であるのを確かめてから、あらためて訊ねる。
白の服ではありませんでしたか。
顔をしかめ、問い返される。
何をいっているの? トイレの廊下の前で挨拶したときのことです。 うんんにゃ。
ちょっと待ってください、とわたしは眉間に人差し指と中指を揃えて突き立て、ぐりぐりと記憶を呼び起こそうと力を入れる。
講習会は楽勝だった、とわたしにへへん、と鼻を鳴らしたときです。そうか、それは昨日、いや一昨日のことでしたか。
しかめた顔から曇った顔に変わってゆく。 隣で聞いていた円部が、聞き耳ではすまなくなり、ずいと寄ってきてわたしたちを見守っている。
それ、今朝の話でしょ。だって、講習会は昨日、一昨日で会社には来てないもの。 えっ? そうですよ、兄さん。
円部と二人がかりで、心配の雨をしたたらせはじめる。 えい、とわたしは唐笠を振り上げる。
じゃあ白い肩掛けをかけていたとか。 うんにゃ。 白手拭い、タオルを首からかけいたとか。 さあ今日も働くぞぉ、っておいっ。わたしは現場のおっちゃんかっ。
あっはは、似合うかも、と無邪気にお多福さんのノリツッコミに笑う円部に、いつもならわたしだって尻馬にすかさず乗っかり、はいどおしるばあ、とゆくところである。
しかし。
さんちょぱんさの手綱を曳く力は甚だ強く。
鞍から引きずり落とされそうになるのを必死でしがみ付く。 しかしまだよじ登れない。 尻がだらしなく地に着きそうになっている。
そっか、わたしが眩しかったからか!
お多福さんが、よいしょと尻を押し上げる。
そうそう。白い服着て眩しくて。 背中に羽根が生えてきちゃったりしてて? わっかに掴まったら雲の上で、ニッコリ蹴り落とされて。 お逝きなさい、て? ここはイズコ、て?
「いやあ、面白いなぁ」
円部が満足気に、去ってゆく。 わたしも、と追いかけ去ってゆくお多福さん。
そうか。 ヘヴンズ・ドアのせいで、空白の日にちがわたしの中に生まれていたに違いない。
今日は資源ゴミの日であったはず。 明日が可燃ゴミであるから、今夜は生ゴミを心置きなく出すことができる。
ではない。
休みボケか、メモを書き散らしたせいか。 日にちの感覚がおかしい。昨日から三日くらいは経っただろうという感覚なのである。
果たして、いやなぜ、かような話になったのか、わからない。 わからないが、ピタリと当てはまった、と感じたのである。
感じたままに任せるにはちと心許ないが、どうせ大した拠り所あってのものではない。 ならばと降ってきたのを信じて、そのままゆくしかないのである。
2010年08月17日(火) |
あわあわ、阿波おどり |
「お休みは、どこかいかはったんですか」
CGの精鋭がひとり、本宮さんが、訊いてきたのである。 土産は京都のを配ってあるので、ええちょいと京都に、と答える。
「本宮さんはどちらかへ。帰省とか」
話し口調から関西であろう。 まさかここで京都とか、と予想してみたのだが、意外な答えが返ってきたのである。
帰省はしてないんやけど、仕事でここに来てました、と苦笑う。
後ろでひとまとめにして肩の辺りまで垂らしている黒髪が、一緒に笑うように揺れる。
「お国はどちらですか」 「徳島です」
徳島っ。 わたしが土佐から京都へのついでに立ち寄ろうかとしていた地である。
「阿波おどりがあったばかりじゃあ、ないですかっ」
つい、声を荒げてしまった。
「でも、うち、一二回しか踊ったことないねん。背ぇがな」
小学生の頃、学校で皆で授業中にやるのだが、本宮さんは背が高かったらしい。
背が高いと、連(チーム)の先頭かしんがりかで旗や提灯を振って歩く役目を仰せ付けられるらしい。
「じつは」
よさこい祭りに行ってきたのです、と告白し、室戸に泊まったことも白状する。
「うわっ、遠かったやろ」
想像以上でした、と苦笑う。
母方の実家がな、徳島やけどそっちのほうなん、と同情の表情を浮かべる。
「いっそ足摺岬のほうが、よかったんちゃうん」
それはもちろん、一度はしかと考えたのである。
しかし、四国一周をブログとサイコロを頼りにひとり旅した女性芸人は、足摺岬から土佐清水の辺りで、かなりの辛い足止めをくらっていたのである。
わたしは彼女ではない。
しかしどうせなら、比較的無事に、残すはゴールの鳴門大橋まで、となった室戸岬のほうを選んだのである。
なんとも痛々しい理由である。
無論、そんな理由を本宮さんに白状したりなどしない。
「よさこいは、派手やし、カッコええもんね。エンターテイメント、まるっきりショーやもん」
カッコえかったです、あたまが、全身がぼうっとしてました。
「けど」
けどなんなん。 「阿波おどり」は、「綺麗」ですよね。ニュースのひとコマでみる程度だったのが、映画ですけど「眉山」てあるやないですか。 あるねえ。 あれ観たとき、映画なのに、阿波おどりのあのシーンに、見惚れてしまいましてん。
「踊りが決まってるからね」
よさこいは、決められたフレーズが入ってれば、あとは自由にアレンジしてええですもんね。だから連ごとに、細切れに、ショート・ショーみたいに楽しめるんですけど。 けど? 阿波おどりは、全部がひと続きで繋がってるんですよ。 あれだって連ごとに曲や踊りは区切ってんねんやで? でも、同じ踊りで、曲で、ずうっとひとつの流れみたいなん感じるんですよ。だから、綺麗なんです。
なるほどねえ、とわたしが云いたかったことがわかってくれたようである。
「神楽坂で、阿波おどりやってたん観たんですよ」
神楽坂でもやってたんや。 行って、終わったら裏道を皆でまた戻ってきて、自分等の次の出番待ってて。 そうそう、あれグルグルやっててんな。
得たり、と本宮さんが笑う。
けど。
「ほんとに、ちゃんと踊れるひとの踊りは綺麗なんやで?」
本宮さんは?
「あたしは踊れはせえへんけど、提灯、旗ならなんぼでも振りまっせ」
ニヤリと笑う。
「何を振るんですか?」
本宮さんと同じくCGの精鋭がひとり、円部がニヤニヤしながらやってくる。
お疲れ様っす、と去り際の本宮さんと交わすと、わたしに訊ねる。
ええと。
「白旗、かな」
休み明け二日目で、もうですかっ、兄さんっ。 俺の全ては、すっかり土佐の海にさらわれていったよ。デジカメも壊れてもうたし。
「マジっすか」
おうよ。本ちゃんの京都に移動する前日にやで? どんだけ間ぁ悪いねん。
あっはは、と円部は笑い飛ばす。 飛ばしてくれただけ、壊れた甲斐があったというものである。
兄さんは、本当にネタが尽きないっすねぇ。 ネタなわけあるかいっ。ぜんぶ本当のことじゃっ。
まあまあ、と慰められる。
わたしはウソは云わない。 冗談ならば、云う。 それと、 塩ひとつまみ程度の味付けを。
しかしその塩さえも、ウソのものは使わないのである。
ほんとうのうそ話は、小説だけである。
2010年08月13日(金) |
特別阿房列車・番外編〜五日目・終着 |
わたしの「特別阿房列車・番外編」もついに最終日である。
宿の帳場で、大荷物を宅配便にて送るよう手配し、肩掛け鞄ひとつと身軽になる。
午後からまた大西さんが、清水寺を案内してくれるというので、すっかりおまかせすることにしていたのである。
しかし午前は、土佐からの龍馬繋がりで、とある稲荷にゆきたく思っていたのである。
そこは龍馬が、自分は無事に生きている、との安否をお龍に伝えるため「龍」の字を幹に彫り込んだ木がある、という縁のある稲荷なのである。
昼食を大西さんとさらに小西さんも一緒にとることとなっており、いざお店に。
こちらのシェフは、なんと大西さんの同級生であり、この街にて偶然の再会を果たしたらしい。
隠れ家のフレンチといった風情である。
ここでも大西さんの顔の広さ、縁を大切にするその素晴らしさを目の当たりにする。
隣やらあちらやらこちらやら、お知り合いの方々が見えられているとのことで、ご挨拶に顔を出しに回られる。
京扇子屋のお上さんである。 であるのに、気取らず飾らず塀を立てず。
昼食にて小西さんとは別れ、またまたわたしに気を遣っていただきご近所の馴染みの喫茶店へと。
俳優・香川照之似の店員さんが、また気持ちよい。
そう。 このような店こそが街に必要な喫茶店であり、カフェばかりになりつつある現在、とてもありがたい店である。
さあ。 いざ清水寺である。 正しくは、地主神社、である。
東の京でかけてかなわぬならば、京の都にてかけてそうろう。
まったくの「神頼み」頼みである。 この地主様は、有名な石がある。ひとりでは見えない結界にて弾かれていただろうものである。
氏子(清水寺)である大西さんの案内によって、わたしは初めて訪れるを許されたのである。
向こうに無事辿り着けたかどうかはご想像にお任せするとして、さあおみくじである。
結果は。
縁結びといえば、大黒(国)様である。 さかのぼれば数年前、出雲大社でおうかがいをたてたときから、氏子である神田神社と。
ひいてきたおみくじ多数。
託されたお言葉は皆似たようなものばかりであった。
ひとに頼め。やがてはかなう。遅いがかなう。焦らず待て。
お達しのとおり、じっと膝を抱えて、自ら足掻かず待ち続けているのであった。 やはり、まだ待つべし、とのことである。 どこへいっても、度重なって同じようなことをいわれ続けていると、妙に信憑性が増してくるものである。
大西さんのお宅にお邪魔したとき、旦那様の大東さん、そして旦那様のお母様の大大東さんが、快くわたしを迎えていただき、まことに感謝である。
大大東さんには、お盆や正月の伝統的な習わしや、かつて一度東京に訪れたときの、おそらくわたしの敬愛する内田百ケン先生がまだご存命中のころの言問いだとかの話をお話しいただいて、ありがたいやら楽しいやら嬉しいやら。 大大東さんはなんとも可愛らしいお母様であった。
ところで、ここでの名前はわたしが勝手に大だの小だの東だの西だのとつけさせていただいているが、この名だけは真実である。
京扇子製造卸の 「大西常商店」
川原町通りの京町屋の佇まい。 茶室と共待ち。
建築は、写真やディテールだけではない。 そこにある空気と光と影とを、まずは肌で感じることこそが重要である。
さて。
なんやかんやとご家族ご近所お馴染みさんぐるみで歓待していただいてしまったわたしである。
お礼にいつでも、東京にいらした際はご案内等させていただき、及ばずながら恩返しをさせていただきたいところである。
我が家にお泊りください、とはさすがにいえぬので、どこそこへ行きたいときに便利な地であったり、行き方帰り方だけでよい、というのであれば、せめてそれだけでもお手伝いをばさせていただく所存であるので、遠慮気兼ねなくそのときはお申し付けください。
毎度のことながら、本当に、色々とお世話になりっぱなしで至極恐縮の至り。
なにより度肝を抜かれた頂き物があるのだが、それはなんと
カップ麺取合せ三個組
である。
「今度ぜひ、東西の味の違いを比べてみてくださいな」
と、案内の途中の雑談に出たのだが、きっと忘れてると思って、とわざわざ揃えてくれていたのである。
ご名答。 すっかりわたしは忘れていたのである。
さすがお上さんの抜け目ないお心遣い、である。
勿論それ以上のたいそうないただキモノに、近くそれを披露できるような機会を設けたいところである。
ない袖は触れず、とひとりヘコまずに、懐手で泰然自若と構えて待つ。
ご家族で駅までお見送りまでしていただいたご厚意をしかと抱き、わたしの「特別阿房列車」は、京の夜から東京の朝へと向かったのである。
2010年08月12日(木) |
特別阿房列車・番外編〜四日目 |
「特別阿房列車・番外編」の四日目である。
四日目の朝は、京都で目覚めたのである。
天気はあいにくの雨模様であった。 しかも夜明け間際には、寝た子も起きるほどの大雷鳴が響き渡り、流星群の星々が着地点を間違えたかのような大雨が京の屋根々々を叩きつけたらしいのである。
精神は幼子のようであっても、あいにく体はめっきり老けてあるわたしはそのようなことは露とも知らなかったのである。
今日はかねてからのご好意で、地元京扇子屋・大西常商店のお上さんに、いろいろ案内をしていただけることになっていたのである。
わたしに、京都でどこへ行きたいか、と。
わたしの阿房ぶりが、石炭をくべられ、煌々と赤く熱を発しだす。
京都といえば、森見登見彦の「夜は短し歩けよ乙女」「四畳半神話体系」などなどや、万城目学の「鴨川ホルモー」である。
下鴨神社は、外せない。 「糺の森」は降りしきる雨にけぶり、なおいっそう神秘さをたたえていたのである。
しまった。
「レナウン娘」の歌を、珍妙な踊りを、まったく覚えてきていなかったのである。
素直に大西さんに白状すると、わけのわからぬ大西さんは、瞬間困った眉を曇らせ、ただちに笑顔でわたしに合わせてくれる。
なんと優しい方だろう。
おお、ここで彼らはおそらく、女人禁制の珍妙な「レナウン娘」踊りを、森の神々に披露したのか。
レーナウーン♪ レナウン、レナウン♪ レナウン娘が♪
頭の中で、口ずさんでみる。 これでは歴史ある「ホルモー」に参加することあたわず。 式神らに認めてはもらえないに違いない。 (注:実は下鴨神社ではなく吉田神社が舞台だったことが後に判明)
「次、いかはりますか」
ええええ、もちろん。 水溜まりを踏まぬよう、しかし神妙な足取りで、次へと向かう。
森では雨天にもかかわらず、古本市が催されていた。
ビニルテントのこの数々の中のどこかひとつに、怪しげな古書店がありはしないかと、大西さんにまた目を光らせてもらうよう協力を求める。
はあ。
やはりわけのわからぬわたしの妄言に、今回は慣れてくれたようで、にっこり応えてもらう。
ごぉぉぉおっ。
わたしの中のコークスが、激しく唸りをあげている。
「みたらし団子」発祥の店に袖を引っ張って連れていってもらい、冷静に戻るよう、小粒で、甘くもさっぱりとした、みたらし団子を馳走になる。
糖分は、やはり必要なのである。
串に五つ団子が刺さっているのだが、最初のひとつだけが、四つと離れている。 これは「五体」の頭の部分をさしている、とのことなのだが、食べやすいよう、楊枝が一本、突き立てられているのである。
「頭に突き刺さってるってことですやろか」
大西さんの素直な見立てに、わたしはたしかにとうなずき、さっさとその楊枝のひと粒をパクリと口に放り込む。
これで後は、落ち着いて残りを食べることができる。
団子で脳の糖分を補給したあとは、湯葉の店にて立派なコースをいただいたのである。
なかなか、いや、かなりよい店のようで、一品々々、ひと口々々々に、おおっ、へえっ、と舌が鼓を打つのすら忘れ、巻き上がる。
さあ、では参りましょう。
案内の最終目的地である比叡山へと向かう。
山はさらなる白雲と霧と雨とに包み隠されてしまっていたのである。
しかし。
おかげさまで、日本三大霊場のすべてをとうとう、訪ねることができたのである。
下山し、大西さんご推薦の喫茶に入店す。 あれだこれだと話し込み時を忘れる。
夜に宴のとりつけがあり、そこでアフロ氏とカツラ夫人のご夫婦と、わたしは念願の初対面をはたすこととなっていたのである。 さらに名友が、名友がわたしにアフロ氏を引き合わせてくれたのだが、片手ほどのちいさな息子と、親子男同士ふたりきりの初めての旅を兼ねて、駆け付けてくれるのである。
よし、では、宴の約束の時間前に途中のどこそこにあらためて待ち合わせしましょう。
大西さんももちろんアフロ氏らをよくご存知であり、では、とわたしを宿に届け、一旦別れる。
部屋で土佐の土産を、アフロ氏らに渡すため袋に分けなおす。
その袋、シャリシャリ騒がしいビニル袋むき出しで持って行くのも、よろしくない。
鞄に詰めて、よし、と宿を出る。出たところで、つらつらふらふら歩いていると、なんと名友から電話である。
やあやあ。
能天気なわたしの一声に、店に着いてるんだけど今どこにいるか、と。 さらに、時間に間に合うか、と。
うむ、わたしは今、どこそこに。 なぁにぃい。 うむ。 そんなことだと思ったけれど。 あっはっはっ。
あっはっはっ、ではないのだが、もはや半分は予想してくれていた名友の懐の深さに感謝と、それにへんに頼りにしている自分にむず痒さを覚える。
干支がふた周りもしている付き合いながら、かたや一段ずつ石を置いてゆき、かたや回る度に置く石を忘れたことに気付くもの、の違いである。
周回遅れで店にたどり着くと、まさに真打ち登場の体である。
顔を合わしたことが今までないにもかかわらず、やあやあアフロ氏ではないですか、と遠目に拝顔したそのときにわかったのである。
厚顔のまま、皆様と挨拶を交わす。
謝意よりもやっとお会いすることがかなったことが勝り、募り募ったが想いの恋文を、渡す。
「龍馬からの恋文(ラブレター)」
という尻巻紙を土佐で見つけ、これしかないと一目惚れした土産である。
己の尻拭いをせず、相手に拭うものを託すとは、わたしもなかなかたちが悪い。
しかし、快く受け取ってくれたアフロ氏カツラ夫人には、まっこと完敗乾杯したぜよ。
夫人は言葉を交わしたこともなく、ただ名友から、
「夫人は、さすがさすがどうしてなかなか、どこにもいない見事な方」
という説明をうかがっていただけだったが、アフロ氏を龍馬とするならば、まさにその妻・お龍、のような方であった。
今宵の宴の店があるのは木屋町、上れば土佐藩邸、下ればお龍の酢屋があり。
鴨川の川床にて肉を焼く。
それがなおさらその思いを強くさせたのである。
忘れてはいけない、忘れるものか、名友の息子・小名友は、目を見張らんばかりの成長であった。
残念ながら、いやめでたいことに名友夫人はやがて臨月間近ということでこられなかったが、小名友はつまり、じきにすぐ、兄となるのである。
ますます、その成長はましてゆくことであろう。
今宵の小名友は、大役を果たしたのである。わたしのサンダルよりもでかい肉を、焼き網に乗せるためにジョキジョキ切り分ける、という重要な役である。
末廣亭でみる切り絵のよいな見事な鋏使い。
またその肉が、旨い。
思わず、人見知りで心頑ななはずのわたしが、肉汁と共に溶けだしてゆく。
アフロ夫婦は翌日も仕事、そして小名友ももはや小さな体いっぱいの体力も限界、ということで宴を閉じることとなったが、是非またじっくり肉をつっきあいたいものである。
さて、宴の後。
大西さんの娘さんである小西さんが、ちょうどアルバイトが終わる頃合いとのことでそちらに伺う。
小西さんが勤められているカフェとは、なんとあの伊右衛門の店であるというのである。
時間があるときはいつも、小西さんを迎えに行き、帰る道すがら、時には小腹を満たしたり、咽喉を潤わしたり、また歌を歌いに寄ったりするらしい。
面識のないわたしがお邪魔してよいものかと思い、および腰で、大西さんの後について店に入る。
大西さんに近づく不逞な輩は許さぬ。
との小西さんの用心、わたしにすれば首検分のような心持ちである。
安心するよう大西さんにいわれてはいたが、それは効かぬが本人である。
席に案内され、やがて向こうから近づいてくる、眉目秀麗な色白の、シャンとした女性の姿が。
もはやわたしはまな板の鯉、いやそんな立派なものではなく、びくのなかのドジョウである。
網の目からにゅるりと逃げ出したい気分である。
しかし、心配は無用であったらしい。
刺すような視線ではなく、笑顔で迎えてもらえたのである。
小西さんは、打てば明るく気持ち良く響く方で、そこには娘の母に対する絶対の信頼が、ありありとみられていたのである。
まさに小町。
快活でコロコロ忙しく、飽きる暇がない。 小西さんあっての大西さんであり、大西さんあっての小西さんで、この若々しさの理由を知ることができたのである。
京の夜に、小西さんの
「おやすみなさぁいっ」
の声が響き、夜は幕を閉じたのである。
2010年08月11日(水) |
特別阿房列車・番外編〜三日目 |
「特別阿房列車・番外編」の三日目である。
今日は午後の三時過ぎ頃の、これまたバスに乗り、京都へと向かうのである。
宿の朝食をさっさと済ます。 この朝食を敬愛する内田百ケン先生のお口を借りて表現するならば、
どれをとってみても、中途半端である。 地元の鮮魚を用いているというが、家のかかあの朝飯と大して変わらぬ。むしろわたしの好みの味付けと分量とを考慮してくれるだけましに思えるほどである。 近所の魚屋のと港のと、違いがあるのかわからず、だから辛辣に文句をいってしまうのも甚だ同情してしまうのである。 しかし、一応、いただけるのだから、不満はあれども不平はいわずいただいたのである。
さて、一路高知市内へ。
「よさこい祭り」本祭二日目である。
開始は昼からで、夜の十時頃まで、市内のあちこちの競演場で踊り続ける。
室戸から車をウンウン翔ばして、昼前に到着し車を返す。 荷物を預けて、昼食をとりつつ、さらにパソコンを繋げる。
宿がパソコンが繋がらなかったので、久しぶり、とはいえたかが二日ぶりだが、インターネットである。
「よさこい祭り」のページで会場地図を見る。
四十年ぶりに復活したという駅前競演場は、目の前である。 窓の外に、徐々に煌びやかな、鮮やかな、華々しい衣装に身を包んだ踊り子さんたちが、我が出番を待ち、集まりだす。
開幕。
である。
わたしに残された時間はもう三時間を切っている。 駅前でしばらく堪能していたが、やはりメインステージか追手筋通りあたりに向かいたい。
ここでわたしの阿房ぶりが発揮である。
地図を持たず、あてにならない鶏の記憶に頼るのみで、てくてく歩きだしたのである。
やがて。
はて、この筋は何筋か。 次の競演場に移動している踊り子さんたちが、皆、わたしの来たほう、駅に向かってすれ違って行く。
市内のあちこちに競演場があるため、やがてわたしは信号が赤で止まったと同時に、足も頭も、立ち止まってしまったのである。
すれ違って行く、愉しげに高揚した踊り子さんたちになかなか尋ねる度胸、いやタイミングも掴めず。
はたと信号待ちしていた女子ら二人組に、目がとまったのである。
あのう。 はい、なんでしょう。 主舞台のある中央公園へは、どう行けばよいのでしょうか。
ここでこれをお読みの皆様には、思い出さずにいてもらいたい。 前夜祭、何を隠そうわたしはその主舞台にいっているのである。
しかし、いったいどの通りだったか、曖昧である。 さらに、帯屋町筋に関しては先ほどパソコンで地図を見たにも関わらず、まったく位置も方角も、覚えていなかったのである。
「わたしも久しぶりなので、確かじゃないですけど」
そういって、前を歩きだしたのである。 わたしは、あとをついてゆく。 この通りを行って、と、なんとそのまま案内してくれたのである。
なんと彼女らは、子どもの頃までここに住んでいたというのである。
今は松山に越してしまい、久しぶりに今日、ふたりで見に来たというのである。
五、六歳まで、踊っていたらしい。 しかも、まだお母さんに抱っこされたまま踊っていたときには、花メダルをもらったそうなのである。
花メダルとは、各競演場で一番可愛らしい、または素晴らしい笑顔と踊りとをしている踊り子さんにだけくれる首掛けの花をあしらったメダルである。
これをもらうことは、踊り子さんたちの目標のひとつ、憧れのひとつなのである。
きっとわけもわからないまま首にぶら下げられただけなんですけどね。
しかし、それは別として、そんな元踊り子さんに案内してもらえるとは、光栄な話である。
そういえば、広末涼子ってどこの連(チーム)で踊ってるんだろうね。
「なんですと?」
やはりわたしの情報は誤りではなかったようである。
「あまり興味がないから、よう知らんけん」
それは困る。
もっと詳細な情報はないのですか、ではこれまでご親切に案内いただきありがとうございました、わたしは広末さんに会いにゆかねばならぬので、失礼。
とペコリ頭を下げる。
いやいや。
彼女らは笑って引き留める。
「じゃけん、うちのおばになぁ?」
なんと、高校だかの教師をしていたおばがいるといい、さらに、彼女を、広末涼子を教えていたことがある、というのである。
なんという運命であろうか。
「年賀状とか、そのおば様のところにきたりは」 「しません」
やはり所詮、わたしと広末涼子の運命とはここまでのものであったようである。
「あ。バスの時間は大丈夫ですか」
そろそろ駅に戻らねばならない時間である。
「駅へは、ここからどちらへ」
よさこいの演舞を追い掛けているうちに、またもやぐるぐると位置を見失ってしまっていたのである。
「あそこを出て、右に真っ直ぐが駅です」 「出て、右ですか。ありがとう。それとここまで案内までしてもらって、重ね重ね、ありがとう」
頭を下げる。 下がり切ったところで、
「違う、逆。左だよ」
もうひとりが、訂正する。
危ない危ない。 危うく見当違いの方へゆき、バスまで辿り着けなくなるところであった。
「左、ですね」 「はい。左、だそうです」
わたしも大人である。 冷や汗を隠し、笑顔で、あらためて礼をいう。
よさこいの熱気は、まだまだ盛り上がり、嵐の真っ最中であった。
今日から宿をとり、まだまだこれからの彼女らが、羨ましく思ったのである。
来年こそは、わたしもたっぷりはじめからおわりまで、居ついて堪能しようと思うのである。
しかし、月末の原宿表参道でで行われる「スーパーよさこい」が、わたしを待ち受けてくれているのである。
大学生である彼女らは、東京に出てこようなどとは出来まい。
わたしは走りだしたバスの車窓に、勝ち誇った笑みを映し出す。
眼下は、明石海峡である。 次なる「特別阿房列車」の向かう先は、京の都である。
2010年08月10日(火) |
特別阿房列車・番外編〜二日目 |
「特別阿房列車・番外編」の二日目は、いきなりだが場所が変わる。
感動の「よさこい」前夜祭は、実は半分くらいも堪能できなかったのである。
高知市内に宿を確保できなかったわたしは何を思ったか、次の候補地を、いきなり
「室戸」
に選んだのである。 室戸岬のある、室戸である。
ちょうどよい、ということを知らなさ過ぎるにもほどがある。
ひたすら海にそって南下すること、二時間はかかる。
真っ暗闇、時々、スコオル。 その繰り返しが、幾度となく続くのである。
そうしてようやく宿に辿り着き、二日目の朝を迎えたのである。
今日は「よさこい」のことは、考えない。 そう決めたのである。 でないと、室戸に宿を決めたことが、後悔ばかりになってしまう。
それは、失礼な話だ。
室戸を選んだのには、少々、理由がある。
わたしは真面目ではないが、一応、多少の信心はある。
知る人は、へえ、と目をパチパチしばたかせるかもしれないが、うむ、嫌いではない、と言い直しておこう。
そして我が家の宗派は真言宗なのである。 室戸の地は、開祖である空海が若かりし頃に修行し、智慧を得た地なのである。
御厨人窟(みくろど)という海岸沿いの洞窟にこもり、虚空蔵求聞持法なる現代でいう超超記憶術のような修行を行い、そのときなんと、明けの明星が空海の体内に吸い込まれ、悟りをひらいたというのである。
素晴らしい。
是非ともわたしにも、明星が飛び込んできてはくれぬだろうか、ただし修行なぞの辛いことはしたくないのだが、というなんとも罰当たりなことを思いついてしまったのである。
本当は別にもうひとつ、理由があるのである。
飛鳥ラングレーの格好をして、サイコロとブログを携え、四国を一周した女子芸人がいるのである。
彼女が「中岡慎太郎像」を求めて、この地を旅したのである。
今は鹿児島目指して、今は鳥取だか広島だか、そのあたりをやはりサイコロとブログを携えて、旅をしているはずである。
早希嬢に、声援を。 桜、咲かん。
話が脱線してしまった。 しかしそれもまた「阿房列車」であるがゆえ、とご理解いただきたい。
さて。
さすがに、まったくの行なしで、というのも気が引けたのである。
こういう小心なところが、あるのである。 小心なりに、室戸ジオパークなる遊歩道をはじめから最後まで歩いてみよう、と課したのである。
片道一時間弱――。
なんと、普段神保町にゆくのと変わらぬではないか。 しかも、空と海と大地の傑作の風景が眺められるとは、行でもなんでもない。
いや、行である。 と思い込む。
まずは「中岡慎太郎像」から。 うむ、この同じところに、早希嬢も来たのか、と感慨にふけってみる。
よし、ではいざ。
よこしまな雑念は払い、歩きだす。
見渡す限り、空と海と大地の不思議な造形である。
遊歩道の半ば辺りで、御厨人窟と神明窟に出る。
うむ、この同じところに、若かりし頃の空海が、と感慨にふけってみる。
まさに、空と海だけが眼前に広がっている。 ここから、「空海」ととったらしいのである。
わたし以外に観光客がいなくなるのを見計らい、
ああん。
と大口を開け、深呼吸をしてみる。
まったく意味のわからない行動である。
しかし、何かしらの達成感だけは、得る。
残る半分の遊歩道に戻り、先を目指す。 それは「青年大師像」なる、これまた浮世離れした立像のあるところである。
実はあまりこの辺りを観光する人は多くないらしく、大師像の管理者は、わたしのために大師像台座内の曼陀羅を拝める胎内めぐりの入り口を開けてくれたのである。
なんとも、もっ胎内、ひとり占めである。
罰が当たりそうである。
この、よくはない予言は現実のものとなるのである。
門前にいた猫たちをパシャリとしようとカメラを構えたのである。
うんともすんとも、いわない。 レンズ部分は飛び出したまま。ボタンが一切、きかなくなっていたのである。
合掌。
やはり罰が当たったのである。 以前、青森の恐山に行ったときのことを思い出す。 あすこでも、やはりカメラが壊れてしまったのである。
せっかく。 京都でしっかと、写真におさめようとしていたのである。
それが、携帯電話のカメラしかなくなってしまったのである。
晩に、名友から電話があり、それを話し、嘆いてみたのである。
「まったく、きみらは旅行先でよくカメラを壊す人たちだねぇ」
といわれてしまったのである。 名友がいった「きみら」のもうひとりと、京の晩、初対面を果たす予定なのである。
それはまた楽しみに、その前に明日は昼過ぎまでの、最後の「よさこい祭り」を味わわねばならない。
本祭二日目で、ここで今年の優勝、優秀チームが決定する。 翌三日目は全国大会となり、今月末に東京は原宿表参道で行われる「スーパーよさこい」に、優勝・優秀チームが参加することになるのである。
「ねえ、よさこい祭りだけで全部使っちゃうわけじゃあないでしょう?」
そういわれて、お、おう、と思わず応えてしまった自分が、後悔してしまう。
やはり「よさこい祭り」は、まるまる三日間、張りついて見て、しっかりと味わう、味わえてしまうものなのである。
気は明日へとはやる。
「特別阿房列車」の暴走が、始まりそうなのである。
2010年08月09日(月) |
特別阿房列車・番外編〜一日目 |
トンネルを抜けたら、そこは南国土佐だった。
「特別阿房列車・番外編」の第一日目である。
目をつむっているうち、見事気付かぬまま讃岐の国に入り、またまた気付くと、そこは土佐だったという次第である。
特別列車とは特別急行の意味ではなく、列車ではなくバスである、という意味あいであったのである。
しかし、それはもはやどうでもいい。 すでに終着点の高知駅前で降り、車を手配した時間まで、暇をつぶしているところなのである。
取り返しがつかないことをくよくよ悔やんでも仕方がない。
土佐は今、まさに「龍馬」一色である。 龍馬とその妻であるお龍の写真が、仲良く大きく、皆を出迎えている。
やあやあ、とわたしも気さくにご挨拶をしてみる。
しかし龍馬の目は世界を、日本の未来を見すえん、と遠くに定められたまま、こちらにチラとも気付く様子はない。
だからといって、ここでいじけたり、返事を無理に求めようと大声でふたたびご挨拶をかけるような大人気ないことをするつもりはない。
では、と龍馬の腰の辺りでぺこりとお辞儀し、忘れずお龍さんにも目礼し、喫茶室に向かう。
ホットサンドと冷やし珈琲を頼み、しばしの朝食の時間をすませる。
珈琲をチュウチュウと吸っていると、隣のテーブルにドヤドヤと人がやってきだしたのである。
どうやら、「よさこい」の踊り子さんらが待ち合わせているようだった。
今日は前夜祭が行われるのである。 そして明日明後日が本祭で、明々後日が全国大会と後夜祭があるのである。
徐々に、心拍数があがってゆく。 いや、わたしが上がってどうするのだ。
ズズッ、ジュルジュルル。
ストローが嘲笑ったところで、車を手配した時間になる。
手配したとは、敬愛する内田百ケン先生ならば国鉄の駅長さんやら新聞社の記者さんらがタクシーを呼び付ける、といったところである。
しかしわたしは、自ら貸車屋に赴き、自ら運転をするのである。
百ケン先生のよき連れ合いであるヒマラヤ山系の役割も、自分でしなければならないのである。
山系は、貧乏ったらしいひどい顔である。
と、愛情溢れ過ぎる小言も、自ら自らにこぼさねばならないところなのだが、それをひとりでやってどこが面白い、という難問に行き当たってしまうので、そこは勘弁願おう。
さて、迎うは桂浜である。
カーナビなるものを付けた車なのだが、このカーナビさんたるや、まことに奥ゆかしい方なのである。
「この先……」
今、何とおっしゃったか。 品良く、慎ましく、吹けば消えてしまうような話しぶりなのである。
良家のご令嬢とのお見合いのようである。
つまり、聞こえぬからと強く問い返すと、やがてなんて乱暴な方、と不興を被り、また失礼にあたるようなものと、割り切らねばならない。
まあ複雑な道はないため、到着時間の大体がわかればよい。
いざ、桂浜。
ここはかつて名友と、今の歳の半分くらいの頃に訪れて以来の再訪である。
驚いた。 人生のちょうど折り返し、である。
折り返して戻ってきてみたら、名友とふたりでもなく、真にひとりきり、で戻ってきてしまったのである。
龍馬がわたしに何と慰めてやればよいのかわからず、懐に手を突っ込み、ボリボリと腹を掻いて困っている。
すまんぜよ。 ちっくと……。
波が砕ける音で、何といったのか聞こえない。
わあっはっはっ!
最後の笑い声だけは、一緒になって笑ってみる。 それだけで、どうでもよいような気持ちになってしまうものである。
おっと、桂浜にいるのは龍だけではない。
土佐犬。
闘犬である。 しかし試合を観ようとまでは思わず、土産物に相応しいものがないかと、闘犬場のある土産物屋に入る。
あれこれ物色し、昼食は鰹のたたきをいただいた。
さあ、ぐるぐると市内をさ迷い、いよいよ「よさこい祭り・前夜祭」の時刻が近付いてくる。
しかも「花火大会」も同時に行われるのである。
わたしは自分を落ち着かせるため、開幕の時間までをカフェにて待つことにしたのである。
すると隣から、よく考えれば当たり前なのだが、高知弁がわたしの耳に飛び込んでくるのである。
するがかぁ? したがぁ……。 したっち言うけぇ。
これはたまらない。 なんとかわいらしい音の響きだろうか。
隣はどうやら女子の大学生らしく、帰省の話をしていたのである。
「お盆に川に行ったらいけん、ちゅうていわれとったがぁ」 「そうがか?」 「うん、川にひっぱられるっち、いわれちょったが」 「え、え、そうがか? うち、知らんかったと」 「そうが?」 「じゃあ、プールも行ったらいけんがかぁ?」
おっと。 コロコロかわいらしい声に転がされてしまってはいけない。
「プールは、ちゃうやろっ」
そう、思い切りツッコムべきところである。
しかし、ツッコみもせず、「排水口に吸い込まれるとか、怖いがぁ」と、そのまま話は続いているのである。
うむむ。 かわいいから、許そう。
そんなわたしだが、さあ前夜祭である。
ちっくと言葉にできんがぁ、感動したっち。 嘘じゃあなかけんね!
花火大会の花火を背に、ステージでは、大迫力、大感動のよさこいが、各チームで華々しく演舞されている。
およそ百人ちかくのひとりひとりが、ひとりと違うことなく、輝いている。
この姿は、まさに、感動である。
思わず目元がにじみ、せっかくの演舞が見えなくなりそうになるのを、こらえる。
「よさこい」の本場に、聖地に、間違いなくわたしは来たのである。
前夜祭の今夜は、昨年の優勝チームや受賞したチームなどの演舞で、東京の「スーパーよさこい」でも名を聞いたことがあるチームも多い。
圧巻。 素晴らしい。 美しい。 格好よい。
ただただもう、これを言い表わせない歯痒さが、しかしそれすらも忘れさせられてしまう感動が、わたしを文字通りに取り囲み、包み込み、ただただ酔わせてくれるのである。
願わくば。 このままこの夜が、 ずっと終わることなく続かんことを。
「特別阿房列車」は、はりまや橋にてその先に進むを拒まんとす。
2010年08月08日(日) |
特別阿房列車・番外編〜前夜 |
さて、もうじきわたしの阿房列車の旅がはじまるところである。。
列車による移動が皆無であるので、「番外編」とさせてもらっているが、ではいったいどこへなにでいくつもりなのか。
行く先は、まずは南国・土佐である。
例年、半年前から手配せねばならないのである。それに更に「龍馬伝」なるブームが重なってしまっているのである。
高知市内の宿は、もはや無理である。
たかが二十日前からなぞと、なめているにもほどがある。 しかしなんとか別の某町に宿をとり、高速バスなるものにて交通も確保したのである。
ゆえに、「阿房列車・番外編」なのである。
しかししかし、敬愛する内田百ケン先生の「阿房列車」を、なるべくなぞらうつもりなのである。
はじまりは勿論、東京駅は丸の内である。
百ケン先生ならば、列車の発車時刻までに時間が余っていれば、ステーションホテルの食堂にゆき、アルコールを摂取するところである。
そこで給仕の顔つきがイタチのようだの、騒がしく食事している客が料理の注文がなっていないだの、さんざん好き放題のたまったりするのである。
さすがにわたしはステーションホテルのレストランでちょいと一杯、なぞできるはずもなく。
丸ビルの某珈琲屋にて冷やし珈琲をすすって時間を待つのみ、である。
そして百ケン先生が、早く食堂車に行って一杯の続きをしたいがために、そわそわして落ち着かないのと同じように。
わたしは晩ご飯用に買った駅弁を、いつどのタイミングでバスの車内で食おうか、そわそわして落ち着かなかったのである。
バスの隣席は、見知らぬ若者である。
品川を通過した辺りから食堂車に先生が移るのと同じように、わたしもそのタイミングを思案してみたのである。
止まったり、グイと曲がって大きく揺れることがないよう、高速道路にのってからがよかろう。 いやそれなら、首都高を抜けてからがよかろう。
車内の消灯時間も、ある。
暗くなったところで、さあ寝ようとまぶたを閉じたそばから、うまそうな匂いがぷうんと漂ってくること、腹立たしいことこの上ないめいわくである。
それよりなにより、暗くなってしまっては、おかずを箸でつまむのがおぼつかないことはなはだしいのである。
よし今だ、と弁当の包装を解き、パクパクといただく。
隣の若者は、やっとこのひとの、そわそわの原因がわかったと、携帯音楽のイヤホンをしっかり耳に入れ直し、膝掛けを肩までたくし上げる。
パクパク、もぐもぐ。 シャクシャク、ぐびぐび。 お茶と「東京弁当」なるもののおかずらが、リズムよくメロディを奏でてゆく。
百ケン先生ならばむつかしい顔の眉をさらに歪ませて、ふん、といわれるかもしれない。
この「東京弁当」。
浅草今半の牛肉タケノコ、、人形町魚久の鮭の粕漬け、築地すし玉青木の玉子焼き、日本橋大増の野菜の旨煮など、老舗の味が楽しめるのである。
本人の意思とはべつにグルメで通っている百ケン先生も、ふむ、くらいは頷いてくれるであろう。
箸を閉じ、弁当ガラを袋の口を固結びにし、ポンと腹鼓を打ってみる。
隣の若者は微動だにせず、どうやらすっかり、眠りの国の住人になってしまっているようである。
時間はまだ十時を回ってはいないのだが、閉鎖的かつ特異な制限された空間に閉じ込められていては、それもやむを得ないのであろう。
二時間おきを目処に休憩に停まる、とのことであった。
ふむ。ならば鳴門大橋の辺りで朝方になり、ひょっとすると大渦のひとつやふたつ、見られるかもしれない。
いや、いつでも大渦が口を開けて待ってくれているわけではないことくらい、承知している。 それではまるで、うたた寝でポカンとよだれを垂らして大口を開けている、殿間抜作ではないか。
しかし、万が一の殿間様のおいでに、期待をしてもよかろう。
わあぁぁぁ!
激しく、賛同の大歓声、拍手喝采が、辺りを包み込む。
いや。 違った。
大雨が車体を殴り付けていたのである。
天気図をみたとき、土佐のところのみが、雨天の記号であった。 それが早くもこちらにやってきたのかと思ったのである。
しかしどうやらそれとは違う雲によるもののようで、叩きつけては、知らぬふりをし、また叩きつけては、を忙しく繰り返すのである。
働き者である。 どうせ降るなら、このような雨に限る。 しとしと穏やかな慈雨もよいが、泣いたと思えば怒り、怒ったと思えば笑ってる、そのような快活さもまた心地よいことがあるのである。
隣の若者は毛布を首まで引き上げたまま、身体を右に転がし左に転がり、まるでイモムシのようである。 かと思えば、携帯電話か音楽か、ポッと青白い明かりを点灯させ、いやいやホタルに孵ったか、と思いあらためさせる。
風情ある、とはとてもいえぬのだが、かといって目障りな、というまではいかない。
節度をわきまえた若者であった。
しかしイモムシの頭がわたしのほうに傾き、しかし紙一重でわたしには触れずにバランスを保つという離れ業を、彼は何度もわたしに披露してくれるのである。
それは一度気にしだしたら、いてもたってもいられなくなってしまうものである。
しかし、立つことはできない。じっといることしか、できないのである。
やむを得ないので、ひたすら気にしないよう気にして、じっと目をつむる。
そして、ハッと目を開ける。
とっくに夜が明け、讃岐の国に入っていたのである。
まったく、とんだアホウである。
かくして「特別阿房列車・番外編」は、夜明けよりはるかに遅れること甚だしく、幕を開けたのである。
2010年08月07日(土) |
「ジャージの二人」と共感 |
長嶋有著「ジャージの二人」
「サイドカーに犬」にて文学界新人賞、同年、「猛スピードで母は」にて芥川賞を受賞した作者である。
「サイドカー〜」は映画化され、たしか竹内結子が主演されていたと思う。
えい、それよりも本作品の話である。
読後、不思議な気持ちにさせられてしまう。
納得と、 不安と、 苛立ちと、 焦りと。
父と息子が、別荘である山荘に、泊りにゆく。
そこでの普段着が、近所の学校のジャージ各種、なのである。
この親子。 並々ならぬ事情を、それぞれ抱えている。
それからの現実逃避を兼ねての、ゆるゆるスローライフ・ストーリー。
読んでいるこっちが、すっかり憧れてしまう、などとは簡単に許さない緊張の糸が、きちんと張られている。
親子揃って、夫婦仲が、うまくいっていないのである。
父は二度の離婚、三度目の妻と、どうもあまりよい雰囲気ではないらしい。
息子は妻が、会社の上司だかと不倫中であり、そのことを夫である息子は知っており、しかし知らぬ気付かぬふりをし続けている。
男同士、似た者同士、ゆるゆるスローライフの最中、もちろんその答えなり出口なり入口なりを、みつけてゆく物語である。
不思議なのは、登場人物の誰かに、すうっと、同調させられてしまうのである。
父であったり、息子であったり、息子の妻であったり、父の娘であったり。
夫婦と親子と家族と男と女と、すべてひとつの帯で繋がっているのだ。
とは、決していえないだろうことは、結婚も、子どももおらぬとはいえ、そうと言い切ることは強いことである、というように思うくらいの年かさをくっているつもりである。
例えば。
夢を追い掛ける立場から、夢を追い掛けるものを見守る、支える立場になる。
つまり、親となる、ということが、単純にそうである。
守るべき、支えるべき子がなければ、自らのものやことこそが、すべてである。
燃えるような、一世一代の恋を、自分ではない他人にしている。
妻がそうだとして、夫は何をどうして、それをどうこうすることができるのだろうか。
また。
自分が逆の立場だとしたら、何をどうして、それをどうこうすることができるのだろうか。
どちらの言い分も、いや気持ちも、わからなくはないのである。
しかし残念なことに、わたし自身は恋も愛も、自らの感覚としてよりも、物語の中におけるものとしてしか感情を通過する以外にはなく。
だからこそ、やたら共感だのをできてしまうのかもしれない。
ふむ。 しばらくは我が作品内でその妄想力、共感、直感を注ぐのみ、で十分である。
男性には、読んでみるとなかなか面白いと思える作品である。
さて。
とうとう、「自分忘れの旅」出立間近である。
まずは手荷物の準備であるが、なにをさしおいても忘れてはならぬ一式がある。
ノートパソコン及びアダプター等の一式である。
これは毎日、アダプターを除いてだが持ち歩いているので、鞄をバッグに放り込むだけで済むのである。
しかし、これがかさばるのである。
ええい。 着替えは洗濯だ。
これで手荷物の準備はあらかたすむ。 だから、本当の出立間際に支度すればよいであろう。
問題は、留守の宅である。
主婦の方は、ああ、と共感してもらえればありがたい。
食材の処理である。
赤札堂の安売りの度に買いだめするので、とかく傷むまでに使いきればよい、と、たいへんおおらかな具合なのである。
冷蔵庫とにらめっこ、の開始である。
このナスは一週間までは保つまい。 キャベツは、芯を抜いて、保ってくれるであろう。 人参、頑張れ。 ピーマンは、いかん。 納豆は、保存食である、ということにしよう。
今週はとかく、使いきる、そして木曜のゴミの日以降は、生ゴミを出さぬ、極力少量におさめる、に執心したのである。
よし、それもなんとか目処をつけた。
ピークの続く夜、それでも野菜やら刻んで食事を作らねばならぬ辛さは、主婦の方々は普通に毎日やっていることと、奮い立たす。
主婦は、やはり偉大である。
残るは、身支度である。
床屋に、行っトコヤ。
……この不始末。 懺悔も兼ねて、ざっくり切ってきたのである。
2010年08月06日(金) |
RENTたぶるにサンタフェへ |
サンタフェにカフェを開こうぜ。 道は知ってるかい?
頭のなかを、その大部分を、コリンズの朗らかな声で埋めつくされそうに。
よし、休みである。
「自分探しの旅ですか?」
いや違う。探さなくても、嫌でもここにいるのが自分なんだから。
「百万円と苦虫女」の蒼井優の台詞を返してみる。
それだけじゃあ、ただの盗用である。
「自分逃避の旅、ってやつです」 「逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ、って?」
ふむそうきたか。
どうしますか、わたしが休み明けに席でパソコンに向かってそう呟きつづけてたら。 え……、無視する。
あいたた。
ごめんなさい、こんなとき、どうすればいいのかわからないんです、って、じっと見上げてもですか。 うん。 しどいっ。なんて冷たいしとなんだぁっ。 ええいっ、「笑えばいいんじゃ」なんて言ってくれるひとを、自分でどこかで勝手に見つけてきなさいっ。俺は知らんっ。
わたしよりちょい年上の太郎さんとの、寸劇である。
こののりがわかって、かつ、見事ねらい通りに落としてくれるのは、なかなか嬉しいものである。
ピーク二日目を、寸劇で癒される。
暑気払いの宴が社内のあちこちの打合せスペースや会議室で催され、無論我らもその一角を確保し、いそいそそわそわし始めているものもいるのである。
もっぱら社長の助さんであったりするところが、微笑ましいところである。
しかしわたしにはそれに加われる余裕などないのである。
その日、BIMの物件を、社内の二件の内のその二件を、設計部として受け持つことになったのである。
ひとつは推進室の方がやっていたのだが、これ以上は設計部でやってくれ、との業務上のことであり、それは断れないのである。
盆休み明けから同僚の大分県が加わる話はどうやら伝えられていないようで、推進室のなぎさくんは、まったく知らないようすであった。
「早くシェルパのひとにきてもらって、なんとかしないとヤバイですよね」
ウン、ソーダネー。
棒読みでわたしは答えたのみである。
本来のこの業務をやるのは推進室ではなく、設計部である。
推進室は、社内のシステムなどインフラを手掛けることこそが本分なのである。
設計部では、啓蒙教育にまだまだ不足過ぎている状態てあり、結果、出向であるわたししか、まだまともにいじれる者がいない始末というわけである。
アナログなわたし、である。
やってくる大分県に右から左へと受け流せるよう、交差点の交通整理前の、通行車両制限・規制等の下準備が必要なのである。
とにかく、休みである。
閉じかけるまぶたを引っ張り上げ、エレベーターの下りボタンを押して待つ。
セキュリティゲートをピッと抜け、拳を突き上げる。
Viva! La Vie Boheme!!
2010年08月05日(木) |
ザ・タンゴ・大森ーン |
束の間、大森である。
田丸さんが前回の記録簿をめくり、
「今度、旅行にいかれるんですか?」
ええまあ、来週からちょいと高知と京都に。
旅先で、やっぱり書いたりするんですか、と、くりくりした目で真っすぐにわたしを見る。
まあその、それしかやることが、ないから。
ゴニョゴニョと途端に歯切れ悪い返答になってしまったのである。 わたしはいったい何をモジモジと照れているんだ、気色悪い、と可笑しくなる。
真っすぐな、くりくりした目で見られると、わたしは弱いのである。
すうっと吸い込まれるように見つめ返してしまうか。 その場合、だいたい気づくと、吸い込まれるにつれて距離も近づいていってしまうので、たいへんアヤシイ、キケンなことになりかねないのである。
そうならぬよう、まるでくりくりに転がされるように、わたしの目もあちらこちらを忙しく転がり回すのである。
しかしそれは残念ながら、キョトキョトオドオド、というのが相応しい、これまたアヤシイ、フシンな動きになってしまうことが多いのである。
お土産に、冷凍カツオ丸ごと一本、送りましょっか。
いやいやいや、いいですって、気を遣わないでください、と、ここまでは想像通りに、田丸さんが笑う。
「でも」
イ氏は喜ぶかも。 喜びますか。 ひょっとしたら。
予想外の田丸さんの悪のりに、愉快な気持ちになる。
「写真たくさん、撮ってきてくださいね?」
カメラ、持ってくんですよね。
言われて思い出したのである。 そうか、旅にはカメラを持って行くものなのである。
「カメラかあ」
じゃあ、脈、はかりますね。 いわれて思わず、机に両手を伸ばして出す。
あわわ、と片手を急いで引っ込めたが、いかん、この動揺で不整脈あり、副作用の兆候か、と勘違いされてしまうではないか。
「なに、坂本竜馬に会いにいくんじゃあないだろうね?」
イ氏が、サクリと釘を刺したのである。
あやや、不整脈が。
もちろん、せっかく土佐にゆくのだから会わない手はない。
十七、八年ぶりの再訪である。 今は名古屋の友、名友と行った以来である。
土佐の本命は、やはりいかんせん、なにはさておき、いかんともし難く「よさこい祭り」なのである。
今月末に原宿表参道で毎年恒例の「スーパーよさこい」があれども、本場をしかと体感してみたかったのである。
ナルコが鳴子を、の洒落ではないのである。
「お祭りって、それだけでおわりじゃないでしょ?」
打ち上げ花火と共に、夜空に散る。
ももももちろん。
室戸岬である。 若かりし頃の大師が智慧を得た地でもある。
それにあやかろう、との安直で甲斐性なしな目論みが、第二の目的でもある。
そして、飛鳥の姿の健気な女性芸人の旅の足跡を、ほんのわずかながら辿ってみよう、とのよこしまな、不埒な、お馬鹿な発想が、第三である。
彼女はいま、鹿児島目指してサイコロと共に旅を続けているところである。
来年は桜島か、指宿か。
「で、京都はどこで竜馬と会うの」
イ氏が続ける。 いやまあ、別にそれはまったく本命ではないのだけれど、と言い淀んでいると、いつの間にか西郷さんの島流し話にすり変わっていたのである。
わたしは毎夜、上野の西郷さんに見下ろされながら帰路についているのである。
ないがしろにはできないのである。
「おっと、今日はここまで」
まるで紙芝居の尻切れ加減である。
「なんだ、まだずいぶん余ってるじゃない」
残薬をみて、今日は要らないね、というイ氏に慌てて食らい付く。
いや、旅にゆくのですから、その間しっかり飲んでなくちゃあならんのですから。
そっかそっか、と間際のところで思い直してもらえたのである。
いったい何のためにわたしが来たのか、忘れてもらっては困る。 ただ雑談しにきただけではない。 いや、もはや今では雑談のついでに、となってしまっているのは否めないのである。
「車とか、気をつけるんだよ」
止むを得ない室戸の辺りは車を借りるが、それ以外は自分ひとりのときを除いてハンドルを握るようなことはしないつもりである。
どうかご安心を。
そんなわたしを案内し付き合っていただける御人がおられ、たいへん有難く、そのご厚意に今から深く感謝している次第である。
出立まであと数日。
もろもろの準備を万端整えてゆかねばならないのである。
竹くん、ちょっといいかな?
助さんがわたしの右肩の上から話し掛けてくる。
うおっと、と左肩に自分の頭をのけぞらせて、斜めに首を捻りながら助さんになおり、大丈夫ですよ、と答える。
ふうん、と画面を眺めていた助さんは、わたしがデータの上書き保存の「はい」ボタンをクリックすると顔を上げ、その隙にわたしは椅子を押して立ち上がる。
小柄で愛敬のある助さんはアライグマのようだが、その実、我が社の代表である。
ちょこちょことその後ろをついて行くと、我が社の面々が集う、同じ階の反対側のエリアに入って行き、
「ちょっといいですか」
と火田さんにも声をかける。 主婦にして部門長を務める、いわばわたしの上司でもあるお方だ。
いいですよ、と、これは待ち構えていたかのようにすっくと席を立ち、助さんに次いで会議室に入って行く。
「まま、どうぞどうぞ」
丁重に、ドアの前で立ったままのわたしに座るように手招く。
そうして、後ろ手にドアを閉めようとドアノブを腰の後ろをあたりをまさぐっていると、
「すいません」
と、大分県が割り込んできた。
おうっと。 ども。
市川海老蔵のような力ある目で、わたしを見る。
さあさあ、と助さんはわたしたちに椅子を勧めている。
なんだ、いったいなんのはなしだ。
「わっはっはっ」
ようこそ、こちらへ!
助さん火田さんの前で、バシバシと大分県の背中をはたきまくる。
体面と内情と、建前と本音がとうにかけ離れてしまい、それでもなんとかせねばらないわたしの関わっている業務に、新たに大分県が、出向というかたちで加わることになった。
本来のスペシャリストが加わることになっていた話に、さらに大分県が加わることになった、という話ではないらしい。
「彼」の他にもう一人、という話じゃあ、ないんですね?
わたしは笑顔で、助さんに確認を求める。
いやぁ、彼だけ、です。
洗っている最中にリンゴを川に落として、どうしていいのかわからなくなったようなアライグマの表情に、助さんの顔が変わっている。
あっはっはっ、となんでもないように笑い飛ばしているわたしは、その実、かなり頭の中はフル回転していたりする。
話が違う。 誰の、どこまで、どんな風に、この話は伝わっているのだろうか。 そして納得されているのだろうか。
委細はつかめない。だからこそわたしは、おおよそ悪い事態のほうを思い浮かべておく。
「あっはっはっ。よろしくっ」
がっしと、改めて大分県の肩を叩く。
悪い事態のときは、無駄に足掻いても仕方がない。なるようにしかならない。
「ソフトの講習もすぐに受けられるよう手配するから」
助さんと火田さんのチャンスを掴むために意欲的な声の影に、そっと慰めをこめる。
「ま、頑張ろう」
そんな、まあ、やりますけどぉ。 涅槃のようにせめて微笑むわたしに、大分県は渋々頷く。
「ひどいよっ!」
私の周りの人を、一人ずつ奪ってゆくなんてっ……。 バカバカバカぁっ。
馬場さんに、訴えられたのである。
かつては馬場さんの左にわたし、右に大分県、という席の配置だったのである。 大分県は馬場さんの仕事も手伝いつつ、自身の仕事もやってきていた。 それのしわ寄せが、自然彼女にきてしまうのであった。
彼女は幼い一児の娘を持つ母である。先日、三歳の誕生日を迎えたらしい。 従って、残業はできない前提で勤務しているのである。
さぞ、仕事が不安であろう。
「誰が私のボケにツッコンでくれるのっ?」
……。 わたしがいたときは、彼女こそツッコミだったはずである。 役割は変わる、ということであろうか。
いや、そんなことではない。 しかし、
「リョウくんがいるじゃない」
リョウくんはだって、冷ややかに笑って、流して。
「五回に一回くらい、ボソッとツッコンでくれるでしょう?」 「そうだけどぉ」
仕事の不安を、どうやらこのことで誤魔化そうとしているのは、わかる。
そこに、大分県が合流した。
「もうっ、上がなにがしたいのかわかんなくなってきましたよっ」
わかってはいるのである。 だからこそ、大分県は苛立ちを隠せないのである。
そうだよ、もうっ。
馬場さんも、同じくこぼす。 えぇいと、まあ、自分らの責任じゃあないんだから、ダメなときはパッと手ぇあげてさぁ。 わたしの重さもない慰めが、ふたりの襟足を駈け登ろうとするも、つるんと足を滑らせ、いつまでもふたりの耳にはとどかず、肩の辺りで円陣を組んだり、助走をつけようと引っ張り合ったりしている。
「ところで」
馬場さんの肩が揺れた。 うぎゃぁぁぁ、と一匹が悲鳴をあげて肩から落ちて行く。
「そろそろ私、トイレにいってもいい?」
あっけない幕切れである。
否応はずもない。 どうぞどうぞと、大分県と頷き合う。
かくして、盆休み前にひと騒動。それは休み明けに本騒動となるのだが、ここでは一旦、なりをひそめることになったのである。
とりあえず、休みはすべて忘れて過ごすつもりである。
あともうひとふんばり。
しかし頭はすでにお休み三日目あたりに差し掛かっているのである。
2010年08月02日(月) |
とめられるものはなし |
「竹くん」
課長の、わたしの勤務管理の長でありまた大学の先輩でもある二木さんに、呼ばれたのである。
夕方から会議があってさぁ。 はあ。 BIMの社内のやつ。一緒に出てよ。 はあ。
社内の、ひいては、グループ会社全体に行き渡らせるための、BIMモデリング作成要項のたたきができたらしく。
実際にモデル作成をやってる人間としての、意見とかをいって欲しいからさ。 はあ、いいですよ。
たしか二木さんはBIM推進室の参加者から、直接責任もってやるのは面倒くさいから、と外れたはずであった。
口は出すけどね。
うむ、その一環か。 と、ほいほい付いていったのである。
わたしだって、責任だとか義務だとか、面倒なことはなるだけ避けて、おいしいところだけをつまみ食いしたいものである。
斯く斯く然々で。 はい。 ああでこうで。 え、それはちょっと難しいんじゃあ。 そうなの? それなら、ああでこうで。 そっかぁ。
遠慮会釈なしに、しかも、慇懃なよそおいで、チクチクと刺し放題のひとときを過ごす。
実際に具体的にいじくっているのは、なんたることかわたしともうひと方の、たった二人しか、いなかったのである。
わたしをとめるものはなし。
やれ終盤に差し掛かり。 作図要領などの策定を受け持っているテルマさんに、二木さんが、ニコリと微笑む。
竹くんを連れてきたのは、テルマくんの手伝いもしてもらおうと思って。
つとわたしをニヤリと見る。 テルマさんは、おおっ、とほころばせる。
……よろしく、お願い、します。 うん、よろしくね。
発言は、後々を考えて、慎重にすべきである。 とはいえ、わたしは立場上、そう深いところまで立ち入ることには支障が生じるのである。
日陰のとかげ。
幸い、二木さんはもちろんテルマさんら周りの方々はくだけたよい方たちである。
おいしいところだけをつまんで、タッパーに詰めて、お持ち帰りをせねばならない。
「ねぇ、もう誰かに教えたり、バリバリ使いこなせてんの?」
アライグマのように黒目をクリクリさせて、わたしに訊ねてくる。 我が社のボス、助さんである。 隣には、どうなの、と腕組み慎重に、しかし満腹で昼寝あけの熊のような顔で、日熊さんが顔を向ける。
まあ。そこそこ必要なところは問題なく。そこそこってところが、全体の方針が決まらないと、爪先深さの水溜まりなのか、肩まであるプールなのか、溺れてしまう海なのか。
溺れないでよぉ。
あっはっはっ、とヒグマとアライグマと一緒になってわたしも笑う。いや失礼。
修三さんの悲鳴を聞いた。
うっそぉ、まぁじぃっ?
はまぐりさんの肘を掴んで聞いてみる。
もう、変わり続けてとまらなくて、どうしよっか、て感じなんだよぅ。
お偉いさんが多くいる組織は、大変である。 どうか理不尽なしわ寄せがこちらにこないことを祈ろう。
2010年08月01日(日) |
「小さな命が呼ぶとき」「ちょんまげプリン」「ハングオーバー」 |
本日は一日、映画サービスデーです。 もちろん、はしごしてきました。
まずは。
「小さな命が呼ぶとき」
をシャンテ・シネにて。
実話に基づいた物語です。 ハリソン・フォードが、またいい役を演じてますが。
シャンテ・シネにかかる作品は、やはり侮れません。 筋ジストロフィーの一種であるポンペ病にかかった娘と息子を抱えた父は、平均寿命が八年、といれているなか、その娘が八歳の誕生日を迎える。
なんとか助けたい。
やがて治療研究において最先端だが治療実績がない医師と、製薬会社・研究所を立ち上げ、新薬の開発に取りかかる。
我が子たちだけではない。 同じ子をもつ親たちにも。 しかし、やはりなによりも我が子が笑っていられる明日を。
軽いジョークのやりとりや洒落や、駆け引きやジレンマや。
できれば是非。 観てもらいたい作品です。
至るところで、うるっと、そして胸が詰まりそうになりました。
だけどそこで軽快なやりとりで気持ちを引き上げてくれて、だけどやはり辛い、切ない現実は忘れさせず。
子をもつ親としては、痛いほど、共感できると思います。
苦しみ続ける明日しかないのならいっそ神の祝福を。 と思ってしまう気持ち。
だけど、「わたしは負けない」と、翌朝もちなおした幼い娘に告げられたときの、娘の今日があることへの神への感謝と娘の強さと、自分の弱さと腑甲斐なさ。
とにかく、名作です。
さて、次は。
「ちょんまげプリン」
をヒューマントラストシネマにて。
江戸時代の侍が神隠しにあい、現代にタイムスリップ。 偶然出会ったシングルマザーの久美のところに居候するうちに、菓子作りの意外な才能を発揮し……。
ベタでお約束な物語ではあるが、舐めてはならない。
切り捨て御免
もしくは、
切腹もの
の、なかなか面白い作品です。
時代錯誤の、しかし正しさが、爽快に愉快痛快に肚にスパンっとくる。
悪いことをしたら怒られるのは当然でござろうっ。
男はそう簡単に泣くものではござらん。
詫びに返礼もなしとは、無礼でござろうっ。
云々、でござる……です。
とりわけ、子どものわるさを怒鳴りつけた場面が、なるほどと思わされる。
母親の久美が、怒るのにもエネルギーがいるし、簡単なことじゃないのよね、ともらす。
叱ることと怒ることの意味のちがいは今はおいといて、叱り方、について戸惑っている親が多いのが現代社会の問題にもなっています。
わたしは、しょせん無責任な立場からの発言になりますが。
もちろん、単純なことではなく、ある程度のものが必要ですが。
叱れなくても、怒っていいのです。 理不尽だとしても、親だって人間です。
だけど、親なんです。
子どもに必要なのは、自分を育ててくれた友達ではなく。
親なんじゃあないでしょうか。
正論やテストで及第点の答えを与えられても、だからなんだっていうのでしょうか。
親だって人間なんだ。
ということを知らずに育てられた子どもは、なんだかとてもかわいそうな気がします。
もちろん、親自身も、です。
親子のあり方はもちろん、親子の数だけ、あります。
親が怖い子どもはいても、子どもが怖い親があったら、悲しいです。
ただでさえ、子どもは親の感情に無意識に反応するもの、だったはずです。
親自身のイライラやストレスのはけ口に怒鳴る殴る放棄する、ことは、問題外です。
友達のような親はあっても、友達、でしかない、親のいない家庭はあってはいけません。
じゃあ、子どもはどこに、親を求めたらよいのでしょうか。
いうのとやるのとは、全然違うんだよ。
ごもっともです。
育て方を間違えた、だとか、失敗した、だとか、どうか、決して思わないでください。思っても、できれば墓場まで持っていってください。
子どもは親の子であっても、親だけのものではなく。 子ども自身のものでもあり。 だけど親あってこその子どもでもあります。
ちょいと自分を振り返ってみましょうか。
自分は親とそっくりなところがありませんか?
教科書にでているような立派な大人像、ではありませんよね。
完璧な親であるのではなく。 人間としての親であれば、子どもには立派な親なのです。
人間としての、というのがまた、難しかったりするのかもしれませんが。
ちょんまげプリン。
なかなか深いことまで、考えさせられる作品でもありました。
続いて、
「ハングオーバー」
を同じくヒューマントラストシネマにて。
これはもう、おばかで涙が溢れて笑いがお腹が痛くなって、男はとことん楽しめる作品です。
結婚式を三日後に控えて、新郎と友人二人とおまけに新婦の弟の四人が、独身パーティーにラスベガスへとでかけます。
目覚めると、部屋がめちゃくちゃになっており、記憶がさっぱり、ありません。
それどころか、新郎のダグの姿が見当たらず、連絡もとれず。
バスルームにはなんとマイク・タイソンの飼い虎が。 クローゼットには赤ちゃんが。 ベンツだったはずの車が盗んだパトカーに。
結婚式は明後日。
ダグを無事にみつけ、結婚式までに皆で帰れるのか。
とにかく、ハチャメチャです。
新婦の父親が新郎の耳元でつぶやきます。
ベガスの思い出は、ベガスに置いてきなさい。
なんて素晴らしいお義父さんなんでしょうか。
ええ、お下品なジョークも盛りだくさんです。
思い出は置いてきても、ヘルペスは置いてこれないけどな、はっはっー。
これは友人のツッコミです。
わたしの隣は初老の親父さん、反対隣は若い女性。
どちらも、
あっはっはっ! きゃはははっ!
老若男女問わず、お腹を抱えて笑える作品でした。
休日に映画サービスデーが重なったとはいえ、充実させ過ぎた感がある週末でした。
夏のよき思い出、充実した休日の本番は来週からです。
ゴールデンウィークの二の舞を演じるつもりはありません。
アイドリング、そしてクールダウンをしっかり、します。 この作品名「ハングオーバー」つまり「二日酔い」のような尾をひくことにならぬように……。
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