僕は禿げる。(中略)それでも歌を聴いてくれますか?
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2004年01月28日(水) CD-Rが壊れた?(しばし嘆きをお読み下さい)

 必ずエラーが出る様になりましたよ。メディアだっていつも使ってたものだし、何かした後の不具合でもないはず。ドライバを入れなおしてみたが変わらず。色々検索しても分からず…。ライティングソフトを変えても駄目だった。無力な僕。

 PC触って一年半、少しは出来るようになったつもりがなんて井の中の蛙な僕でしょう。神様、こんな僕を蹴って!

 今までかなり頑張ってくれたからな。ねぎらって土に埋めてやろうかな。今月末予定でBUFFALOが出すDVD-R/-RWドライブが前評判良い様で気になる。8,800円位で出るとか。一気にこれに行っちゃうかな。それも良いな。でもメディア高いな。

お酒飲んじゃおうかな。
叱られるな。
もう少し待とうかな。
そうしようかな。
ふふふ。

 あ、天理教の人がなにやら唱えて「だいじょうぶだー教」みたいな太鼓(金魚すくいのポイみたいなの)を「ドンツクドンドン」と叩きながら通っていった。夜中にご苦労だな。

どうしようかな。ふふ。


2004年01月17日(土) 意見好きな自分の絵を描いてみました


こんなに穏やかな顔をしてません。はい。

 それはさておき、最近この日記(本人は連載気取り)で扱う内容が重めなためか「やはり力の入った連載なので更新もおいそれとは出来ないですよね」的な声を頂きました(掲示板に書いて欲しいんですが、危ない人と思われたくないらしく書いてはくれません)。しかし別段力を入れているわけでもなく、取材をしている訳でももちろんなく、連載が滞っているのは別な事ばかりをしているからです。酒も飲まなきゃいけないし忙しくて…。内容に関しても力を入れて重く書いているのではなく、むしろ軽く書いて下さいと言われる方が力が入る位で、いかに私が野暮な男かが分かるかと思います。

 別に根が真面目だと言われたいんじゃないんです。ただの能書きたれなんですよ。みんな考えている様な事をさも自分だけ考えている様な口ぶりで話している気違いです。そして酔払いなだけです。それでもね、言いたいんですよ。

 江戸後期に林子平というヒゲの濃い男がおりました。三奇人のうちの一人でこの国において国防の意識をかなり早くから持った仙台人です。この人の存在を中学生の頃漫画「風雲児たち」で知り(この漫画についてはいつか書きたいです。大変素晴らしい。おそらく存在意義の深さとしては「寄生獣」とも並びます)、それ以来ずっと好きな歴史上の人物なんですが、この男がとてつもなく意見好きだった様で、最後は意見をしすぎて幕府に睨まれて死んで行きます。この人と自分を比べるのもおこがましいですが、意見好きの人は相当頭を強く打たない限り変わらないんでしょうね。


2004年01月05日(月) クリスマスと正月

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 正月気分も抜けて街に人ゴミが増えてきた昨日今日ですが、去年から今年にかけてもよく聞いたフレーズがありました。
「クリスマスの数日後には正月で神社に初詣に出かけるなんてまったく日本人は…」というのがそれです。テレビでもコメンテータみたいな人が言っていたし、新宿で信号待ちをしながらショウウィンドウを見ていたカップルもそう言ってました(僕は立ち聴きが趣味な訳ではありません)。一部の人は季節の挨拶のように毎年言っているのかも知れません。この「節操がない」と一部に評判の悪い日本人の行動って本当に愚かなだけなんでしょうか。



 日本人でこのフレーズを口にする人は大概「自分は民衆とは違い、気づいている存在」と思っている方が多いようで、信仰を日常的にされている方や特別な考えを持っていらっしゃる方はあまりこのフレーズを口にされない傾向にあるようです。僕も昔よく言っていましたが、どこかで聞いた事を自分の意見として言っていたような気もします。




 僕の実家では毎朝神棚の水を替えて仏壇にお経を読む事が決まりでした。毎年クリスマスツリーも飾っていましたが父親の育てた盆栽のでかい松の木を無理に使っていて父は枝が傷むと嫌がっていました。綿や電飾、オモチャをさげてもやはり松の木は松の木でした。七面鳥とまではいかなかったけど、母に鶏のもも肉をこんがり焼いてもらい手に持って食べるのが楽しかった想い出もあります(��(高)山家は手に物を持って食べる事など他にはあまりなかったのです)。そんな環境で暮らし僕だけは教会に通っていた事もあったので、��(高)山家はかなり積極的にごった煮な宗教行動をしていたと言えると思います。




 そういう暮らしをしてきた中で前出のクリスマスと初詣発言をする子供になった訳ですが、今はそういう批判的な考えばかりではなくなっています。むしろ「楽しめるものならクリスマスも初詣も楽しめば良い」と思うのです。メディアが仕組んだ大量消費のマヤカシに疑いもなく乗ってしまうのは切ないけど、日本人の多くはキリストより血液型を信じているし(この方が問題だと思います)、その神社にどんな神様が奉られているかなんてほぼお構いなし。要するに積極的に信仰している人はほとんどいないんだと思うのです。そんな事をしなくても普段どおり生活は回ると思っている。大半の人々にとって宗教は積極的に行うものではないんですね。





 よく「自分は無宗教だ」と言う人がいます。この発言も「自分は面倒くさがり屋だ」と近いニュアンスを含む場合もある気がしますが、「日本人のほとんどがある特定の根強い信仰を持っていて、それに縛られている。そしてそれに大半が気づいていない」という考え方をしている人もいます。井沢元彦という作家(「逆説の日本史」等の著者)がその人で、僕もこの考え方は日本人を読み解く強力なヒントを含んでいると思います。因みに聖書を拠り所にするある宗教の方にもこの信仰の影響が色濃く見られた時にはかなりいとおしく思いました。その考え方を僕なりに述べるとこうです。




 例えば自分の身内が飛行機に乗る機会があるとして友達に「あの飛行機は落ちる」といわれたら気分が悪くなる。そしてその発言の後、実際にその飛行機が落ちたとしたら「お前があんな事言うから落ちたんだよ」と責める。この感覚が大半の日本人に共有できてしまうという事実がある。これを井沢氏は日本人が「言霊信仰(言葉が力を持ち、発した言葉は現実になろうとする力を持つという考え方)」を持っており、それに縛られているからだと言うんです。どうでしょう。まさか神道が日本の国教だと言う人はいないでしょうが(そんな時代は今までもこれからもこないと思いますが)この感覚なら心あたりがある方も多いのではないでしょうか。そしてこの感覚が「晴れ男」「雨男」と同じ位根拠のないものだと気づくのではないでしょうか。





 キリスト教も仏教も、その他の宗教も日本に入ってきた時点でこの言霊信仰の洗礼を受けたり土着の山岳信仰や村の決まり等が入り組んで元のモノとは似て非なるものに変化しているのは天草四郎が島原の乱の戦火の間「歯にはおはぐろを入れ(中略)額に十字架を立て、白衣を着て、手に御幣を持つなどかなり呪術的ないでたちをしていた」という事などにも顕著に顕われていると思います。キリスト教にこんないでたちをさせる教えはないはずですから。今考えると八墓村みたいなキリスト教とはかけ離れた姿だと思うんですが、その当時はキリスト教が不自然でなくその姿をさせていたんでしょう。どうであれ日本風味にして飲み込む力の強さはある意味評価していいと思います。





 「世界中の人が日本人のような宗教の対するスタンスを持っていればどれだけ戦争が少なくてすむだろう」と最近強く感じるんです。中国は宗教ではないですが、イデオロギーがチベット人を虐殺させるし、アメリカは見てのとおり。他の存在を一切認めない考え方をする方々は殺し合いも大好きです。だったら無関心の方が良いのかと言えば微妙ですが。

 本当は僕らが「特定宗教にひざまずかない日本人ですが何か?」と宗教戦争に介入して解決できると一番良いんですが、なにせ積極的ではない事が生んだと言っても良い位の長所ですから…ね。


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