僕は禿げる。(中略)それでも歌を聴いてくれますか?
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2004年10月19日(火) 才能とお告げ

 「この人才能があるなあ」だとか「この人気がきいてるなあ。頭いいなあ」と思う人がいます。しかし、これがその人の魅力につながらない場合が多い。それは何故なのかを考えた時、結局は「『上手く』より『よく』生きる」という僕の「教育」という曲の歌詞にも出てくる言葉が結論に出てきます。それは音楽を作ったり歌ったりする面でも強く僕を支配している。

 僕にとって「歌上手いですね」というのは褒め言葉ではありません。だからって嫌な訳ではないですよ。でもそう言われて慢心してはいけない。なぜかというと「上手い」というのは相手の理解の域を出ていない気がするからです。「良いですね」と言われた時、相手は思考する事を放棄していることがあります。これがもっとも好ましい。うれしいんです。

 つまりはテクニックはツールで、それは何かをするための手段に過ぎず、それを使って伝える物ややることがないと始まらないということなのでしょう。

 テクニックや才能、技能を持っている人は意外に多いです。しかし、その人たちの大半が路頭に迷っている。それは進む理由が見つからないからのように思えてならない。昔は情報が少なくて偏った環境が多かったせいか「おら、医者になるだ!」とか「俺は歌うために生まれてきたばい!」とか強く思いやすかった気がするんですが、気のせいでしょうか。現在理由は情報が多すぎるだけじゃないと思うけど、勘違いがしにくい。思い込むことが難しい(思い込みすぎて差支えがある方はそれはそれでいるようですが…)。生きる意味だってそういう人生の目的だって要は思い込みですから、そこを謎解きしてしまうと生きてなくてもよくなってしまう。ヒステリックに「この子はわたしがいないと駄目なの!わたし、この子が大人になるまで死ねないっ!」でもいいと思うんですけどね。

 「スキルをつけたいんですよ」と話している若い子も多い。なぜかと聞くと大概「やりたいことが決まるのを待つ間にできることをする」という様な一見建設的な事を言う。しかしまて、建物を建てるとき何に使うか決めずに建てるのは変ではないか?…と「建設的」の「建設」から安易かつ無理に疑問をひねり出してみましたが、若者の律儀な感じになんだかさびしくなってしまったのです。

 「その理由」というのは「森でお告げを受けた」などで上等、そこを疑うのは無意味でしょう。だってその理由はすべての人が共感できたり、存在を証明できたりするものではないのだから。大半の魅力的な人ってコンプレックスが歪な形にした心が突き動かしている事が多い気がするけど、見た感じまっつぐな心でワシワシやっている人も稀に見かけるんだよな。

 自分の子がもし生きる理由や目標を持てないようなことがあったら、父としてきちんと幻覚剤を投与、「滝に打たれる」、「火の上を歩く」、「バンジージャンプ」等試練を与えて勘違いさせる所存です。

 モチベーションという言葉が僕の小さい頃には日本になかった気がするんですが、これって皆さんどういう意味でつかってるんでしょう。


 そのロボットには燃料がない。性能はそこそこいいのにね。


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