ぼよっちは京極夏彦と言う作家の作品が好きである。 読んでて面白い。 妖怪だとかって、全然信じてなくて、信じると言うか、 それ自体「いた」のか「いる」のか「ウソ」なのか 「まやかし」なのか良くわかんないけど、見たことも 会った事も、話した事も、食べた事も無いのでそういう 観点から見ても面白いなって思った。 なまじ想像力が乏しいから逆に本を読んでて面白い。
ぼよっちは会社の昼休み、 お弁当を食べながら本を読んでいる。 はっきり言って、 子どもの頃からマンガ以外の本を読む 習慣がなかったぼよっちは余り本を持ってない。 本って年々値段が上がっているから、 結構な出費になるんだよね。 かといって図書館に行く時間もないし、 読みたいときに読めない、 あるいは読む時間が決められている というのが嫌で、 更に ”誰が読んだものか”すら判らないモノを 借りるのが嫌。 これは本に限らずCDでもビデオでもそう。 だからレンタルなんて全く利用しないのがぼよっちです。
だもんで。 当然、家にある本は直ぐに読み尽くし、 何度でも読むハメに。 新しいものを買おうかとも思うのだが、 パパさんが入院すれば病院までの交通費が 掛かったりするので余り贅沢も出来ない。
で。 今、読んでいるのがミステリー作家「横溝正史」氏の 作品で「七つの仮面」という短編集を読んでいる。 横溝作品といえば、ご存知、”金田一耕助”シリーズ。 この短編集もこのキャラが出てくる。 ぼよっちは小説よりも映画を先に見たので、 このキャラが、俳優の古谷○行とダブってしまう。
このキャラが出てくる作品は、京極氏と同じで 昭和の始め頃の設定。 読んでいて「あれ?」と思う個所もある。 例えば、余談なんだけれども 「猫館」という短編集に収録されている作品の中に 「幼稚園の保母」と出てくる。 これは間違いで、現在は幼稚園は文部科学省の管轄、 保育園は厚生労働省の管轄なので、 幼稚園の先生は ”幼稚園教諭” 保育園の先生は ”保母”である。 厳密に言うと、保母は先生ではないので、ぼよっちが書いた 「保育園の先生」というのも間違っている。
細かい事なんだけれども、「あれ?」と思うわけです。 まぁ、話自体には影響がないからいいけど。
でね。 小説だから当然「そんな馬鹿な」とか 「そんなことはまず起こらない」とか思っちゃうわけです。 読んでても笑っちゃうくらいに古臭かったり あり得ない、あるいは余り起こりえない状況があるんです。 ただ、この横溝氏の小説はそれなのに、ぞっとする事が多い。 これは京極氏では味わえない感覚です。 どちらかというと京極氏の作品の方が現実にありえそうな 作品が多い。 「魍魎の匣」の加奈子のような状態は別としても 雨宮が加奈子をいとおしく思う事、 加奈子を連れて行ってしまう行動や考え方、 久保の言動や木場の行動も。 ああいう人って実際に今生活している中にも確実にいる。 でも、横溝氏の作品はキャラや内容がマッチしすぎていて 上手く言えないんだけれども「ぞっとする感覚」を 読んでいて覚えるわけ。 最初は「こんな話がそう上手くあるわけないじゃん」とか 「こんな展開にこんなところでこんな急に?」って 思いながら読んでいるくせに、終盤に差し掛かったり 読み終えた時に「・・・こういうの、あるかもしれない」 っていう気になっちゃう。
この横溝氏は小説家になるべくして生まれて来ちゃった 人なんだね。 ・・・もう他界してるけど
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