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2008年11月17日(月)
今週の迷惑メール批評








送信者 まりこ☆ 件名「コメントありがとうございます」
〔以下、メール内容本文を無断転載〕



どうも。初めてメールさせていただきます。
まり子です。
私の参加しているSNSの日記にコメントして
くださいましたよね?
初めてコメントもらえたのですっごくうれしいです!
アドレスも書かれていたのでこうして返信させていただきました!
こちらで合っていますか?

私が参加しているっていうSNSのURLも
念のため載せておきますね。
http://●●●●●.com/gomeiwaku/

ここmixiみたいなサイトなのでログインしないと
わからないですが「マリモリ」が私です。
日記のコメントの内容が内容だったので
こうして念のためにメールさせていただきました。
本当にわたしみたいな女でもかまわないんですか?

では、またコメントの返信を楽しみに待ってます!

P.S.
ちなみに質問にあったサイズの件はFカップです(*~v~*)



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今週もさっそく、メールボックスに届いたスパムメールのなかから
一件拾って読んでみる。
文章作成技術上の文字面な部分をまず見てみると
このメールが漢字、ひらがな、カタカナのバランスを
絶妙な均衡として保った一品であることが分かる。
改行、リズムの取り方は飽くまで読みやすさにこだわり
読み手の眼球移動すら不要、という具合に構成され
「!」「?」の順序、配置も、文書が「ことば」という音として心地よく
聴こえるように、といったような配慮すら見受けられる。
これらの書き手の気遣いとは最早、「祈り」にも似た行為であるのだから。と
改めて教えられているかのようですらある。
恐らくはこの筆者に代表されるような21世紀型メール必須世代が
日常の円滑な文章コミュニケーションに対して如何に真摯に取り組み
心を砕いて青春を過ごしてきたのか、と
推測するに足る文面に仕上がっていると言えるだろう。
(スパムメールという作品ジャンルに於いては
その殆どがセキュリティソフトによって振り分けられ、排除されてしまう。
稀に人間の目に触れることがあったとしても一瞥で
即座に無視されてしまうわけだ。
だからこそ、その「一瞥」の一瞬間に読み手を惹きつけなければならない。
読みやすさへの心配りは最重要の課題であって、その一点が良作悪作を
まず分かつ、と言って過言ではないはずだ。)

しかしながら内容に目を移すと、幾つか苦言を呈し
猛省を促さねばならないことは実に残念である。
まず、設定上、「マリモリ」が語りかけている相手は
同じSNSの利用者らしいので。SNSについての解説、それに伴うURLへの
誘導の理由は強引且つ矛盾しているので、訂正されなければならない。
又、SNSや日記、コメント、とSNSを利用したことのある人間ならば誰にでも
当てはまりそうなテーマを用い、目を惹かせようとしているにも関わらず
最後の一文で極端に対象を限定してしまっている事も気になる。
これではせっかく心当たりがあるかも、と目を止めた人間がいてもすぐに
ただのスパムだとタチドコロに気付いてしまう。
スパムにありがちな猥雑な表現を、ソフトに抑えてきた意味すらも失ってしまうのだ。
Fカップが答え、になる問いかけをSNSコメント欄でする輩など
ネット史上何人いただろうか?けっこういるの?それはともかく。
更に一人称の使い方に至っては、苦言を通り越し、文句をつけねばならない。
一文のなかでは大抵、一人称は固定されるのが自然なのであって
まりこなら「まりこ」、まり子なら「まり子」と統一されて然るべきだ。
「私」「わたし」に関しても微々たる違いのようで同様である。
前述した、ことばの美しさを目指したものであったにしても
不自然さが残ってしまっては結果、本末転倒なのだから。

ではあるが、さて。この名前と一人称の不統一に関しては
あまりに不自然すぎるミステイクである、とも言えるのである。
スパムメールというジャンルであるとはいえ、
果たして仕事で文章を書いている人間がこんな初歩的な間違いを犯すだろうか。
つまり、これが筆者の意図的な非統一であったらどうか。
文芸作品には必ずと言っていいほどその作者の名前が付いてまわる。
それによって読み手は、常に作者の名前にまず目を奪われたのち
「これは誰それが書いたもの」と意識しながら文章を読むことになるわけだ。
当たり前の事ではあるが、だがしかし、その先入観は
作品を読む、という行為にとって都合の良いことなのだろうか。
作者を知らずとも良作は良作のはずであり
本や頁の先頭にかならず付く作者名はつまり、
作り手の宣伝用ラベルに他ならない。
「この文章を書いたのは男か、女か、若いのか、年寄りか」
そのような情報は又、文章作品を楽しむ際の先入観となり
読むという行為を純粋に突き詰めるなら、余計なこととも言えるのではなかろうか。

スパムメールは例え、送り主名がまり子とあったにしても
実際にまり子なる人物が書いたのではないことは常識であって
作者不在の文章なのだ。
筆者はその常識を逆手に捉え、皮肉めいた形で、
名前付きの文学が当たり前となり過ぎている風潮に
一石を投じようとしたのではないだろうか。
「名前表記をついまちがっちゃった。てへ。」という姿を装いつつも
スパムメールという大凡、文学とは懸離れている存在に潜ませ、
匿名のまま広大なネット社会へ大量送信され続けている
文学界全体へのひとつの提言である、のかもしれない。





以上、「今週の迷惑メール批評」でした。
先週分はコチラ http://●●●●●.com/gomeiwaku/

読んでみてね♪
byまりこ☆