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2013年05月24日(金) 二兎を追うもの一兎を得ず

5月23日、日ハムのドラフト1位指名選手、大谷翔平投手が公式戦一軍に初登板(対ヤクルト戦)した。投球内容等の詳細については、当コラムでは省略する。ここでは、一軍初登板の印象と、大谷における「二刀流」起用法の是非について言及する。

今回の印象は、3月のオープン戦初登板のときの当コラム「大谷(日ハム)は超逸材だ」(2013.03.10)のときに書いた内容と変わっていない。重複して書くが、難点の第一は、リリースポイントが一定せず、体重が乗り切らずにリリースが早くなった場合は、ボールが抜けること。反対に体重が乗り切って指がボールにしっかりかかったときのストレートは伸びがあって、打者はまず打てない。

第二の難点は、緩い変化球(カーブ)を投じるとき、投球フォームが変わること。今回はほとんどカーブを投げていないので、印象としては薄いが。スライダーは、ストレートのフォーム(腕の振り)と変わらないし、ブレーキも鋭い。

さらに明確になったのが、クイックが全然できていないこと。3月の登板では回が短すぎてわからなかったことだが、5回投げて明確になった。走者を背負う投球ができていない。

フィジカル面では、TV映像でしかもユニフォームの上からなのでわからないが、印象としては、投手に必要な下半身の筋肉が全然ついていないように見えた。これは心配だ。しかも、3月より体重が減っているような印象で、絞ったというよりも、筋量が減った感じ。プロ選手としてはこれまた、心配だ。

結論を言えば、3月上旬から5月下旬のおよそ2か月半、大谷は投手としてはまったく成長を見せていない。この間、どのような練習をしてきたのか、どのようなフィジカルトレーニングをしてきたのか不明だが、日ハム球団は、大谷の才能を伸ばそうとする努力をしていないように見受けられる。なにが「二刀流」だといいたい。

一軍公式戦初登板の大谷を見た印象の総括としては、持って生まれた才能、天分だけで投げたということだ。大谷は5回で目いっぱいだった。つまり、天分、素質、才能だけではこれ以上は無理。しっかり投手としての練習をしなければ、壊れる。

「二刀流」の是非を論ずることにおいて、「二兎を追うもの一兎を得ず」の諺で十分結論付けられるということが、初登板の印象から明確になった。栗山日ハム監督もしくは日ハム球団首脳人が追及する「二刀流」は誤り。その理由を以下に記す。

まず、投手と野手とでは使う筋肉が異なる。すなわち、打者で生きていくためには、打者に必要な筋肉を鍛えなければならい。このことは投手においても同様だ。打者に必要な筋肉を鍛錬することは、投手にはマイナスに働く。ここが重要だ。

第二に、投手と野手のメンタル面の違いを指摘しておく。野球は「投げて」「打って」「走る」スポーツだといわれる。しかし、野手の場合は、内野手であっても「投げる」機会は、最多で理論上27回。たとえば、三塁手の場合、相手打者が三塁ゴロを27回放って9回終了する。もちろん、実際には起こり得ない。

野手の場合の「投げる」に求められる機能は、いろいろな条件で飛んでくるボールを捕え、そのうえ、一塁等へ投げる一連の動作の機敏さ、正確さにほかならない。それでも野手の「投げる」回数は、1試合において最多で理論上27回を超えない。外野手の場合は、外野フライを一人でとったとしたら、送球回数はゼロと理論上はなる。

一方、投手の場合、スターターならば、1試合で概ね100球程度は投げなければならない。しかも、野手とは異なり、ベース盤の隅をめがけて相手打者のタイミングを狂わせるような多彩な投球を求められる。野手に求められるコントロールといえば、せいぜい、一塁手等が捕球できる範囲というアバウトなものだが、一方、投手の場合は、野手に比べれば、投球の繊細さについて比較できないほど過酷なものだ。その過酷さを克服できる者のみが、スターターの位置を確保できる。それがローテーションというシステムだ。そこでは肩の休養も必要だが、メンタル面の静養もはたされる。

では、投手のほうが野手より優れた存在なのかというと、そういう比較そのものがナンセンスなのだ。野手には野手の過酷さがあるわけで、両者は役割の違い、同じ野球というスポーツに属しながら、まるで異なる存在だと理解することが正しい。サッカーにおけるフィールドプレイヤーとGKの違いとほぼ等しい。

もちろん、草野球やハイスクールベースボールのレベルの場合、投手と野手の違いはプロ野球ほど明確ではない。だから、「エースで4番」はいくらでもいる。高い身体能力をもった者が「二刀流」で活躍できる。しかし、年間150試合程度を消化する日本プロ野球(NPB)においては、フィジカル、メンタルの両面において「エースで4番」はあり得ない。MLBよりは下とはいえ、グローバルな規模でフィジカルエリートが集まるNPBのレベルでは、「二刀流」でやれるほど甘くはない。「二刀流」を実現する、という発想自体が狂っている。

では、大谷の場合、投手、野手(打者)のどちらで行くべきなのか――ということになるが、もちろん投手だ。初登板を見る限り、大谷の投手としての才能はダルビッシュに勝るとも劣らない。NPBで5年程度投げて、ポスティングでMLBに売れば、日ハムはダルビッシュで稼いだ程度の収入はまちがいない。投手ならば、MLBでも一流だが、打者では無理。「イチロー」「松井」にはなれない。良くて「福留」程度だろう。

繰り返して言うが、投手と野手とでは練習方法、調整方法が異なる。それを両立させようとするならば、肉体的にも精神的も中途半端なまま、プロ野球選手として壊れてしまう。つまり、大谷ほどの才能をNPBは失うことになる。

そうなった場合の責任は、栗山監督及び日ハム首脳陣にある。2012年ドラフトで日ハムは大谷を密約まで交わして(筆者の「持論」だが)強奪した。あれだけのことをしておきながら、大谷を、責任をもって育成しようとしないとはどういうことか。まったく呆れる。

大谷がすんなりメジャーに行っていたら、いまごろ、MLBで勝ち星を上げていたかもしれないと思うと残念でならない。日ハム球団が大谷を壊して潰したとしたら、日ハムはどんな責任を取るつもりなのか。大谷自身のみならず、NPBファン、NPB関係者にとって大きな損失となる


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