人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
日記一覧|past|will
| 2002年12月27日(金) |
白衣の天使と患者さまとの恋 |
一種、恋愛だったのだと思う。
職場で看護師保健師助産師の免許取得状況と就労状況を書く書類が回ってきて、ふと、看護婦時代のことを回想してみた。 私の免許取得時と働いていた頃は『看護師』ではなかった。それ故『看護婦』じゃないとなんか気分出ないので、ここでは『看護婦』表現で。
看護婦時代、実のところ、好意を抱いた患者さまが数人いた。それは性別にこだわることのない、身の内から自然に溢れる好意で。 私が看護婦として勤めていたのは、総合病院の紹介制予約制外来と、その後、8人以上の大部屋しかない老人病院の病棟だった。だから、対象者は常にたくさんいたのに、好意を持ったその人のことだけはとてもとても印象に残っている。
総合病院の外来は、町医者ではちょっと対応しがたくなったケースばかりが来ていた。咽頭がんや喉頭がん、ひどい副鼻腔炎、メニエール病など、手術を必要としたり、抗がん剤や対症薬剤の定期的点滴適応の方が多かった。 毎日毎日、様々な患者さまが入れ替わり立ち代り来る。疾病が異なれば用意するものも異なる。そのたび、カルテを見て患者さまの疾病情報を得、医師の診察セットと点滴セットを用意していた。
点滴は、週1の人もいるし、2ヶ月に1回の人もいる。だから、再び出会う回数は週1の人の方が多いが、必ずしもその人の名前を覚えているわけではない。2ヶ月1回の人でも、その人との関係が成り立っていれば、とても鮮明に印象付いている。
点滴は500mlボトルであれば、大抵2時間かけて落としていた。その2時間、患者さまのほとんどはベッドに横になり、眠っていた。外来者用のベッドのある部屋は、ちょっと冷える、診察室から少し遠い、奥の部屋だった。だから、毛布をかけたり、足元にまた布団を重ねたりと、そういう心遣いがとても必要な場所だった。部屋に様子を見に行き、「もう一枚追加しましょうか?」等の言葉かけは、やはり心が通いあった人がベッドにいるときのほうが多かった。
老人病院でもそうだった。痴呆で、もう家族のことさえ分からない、排泄も自分ではコントロールできない男性でも積極的に対応していた人もいるし、それなりに自立していて、決して話し方も態度も嫌な人ではないのになんとなくベッドサイドに行くことを遠慮してしまう人もいた。
患者さまには平等に接しろとは言うが、こちらもやはり人間なのだ。ある程度のところまでは平等にできるのだが、素の部分で見ると、やはりそれに左右されるところが出てくる。 私が好意を抱いていた人たちは、今頃何をしているのだろう? メニエール病のお姉さんは、咽頭の抗がん治療していたおじいちゃんは、いつも誰かのために泣いてくれた痴呆のおばあちゃんは、童謡が好きだったおじいちゃんは・・・。
一時の、大抵の場合はプライベートで連れ添えぬ好意でも、心に残ったものはとてもあたたかく。 治癒しない疾病や障害を持った人ばかりと接するのは嫌だと、看取ってばかりは嫌だと、看護婦なんか辞めたいと泣いた日々を思い出し、少し前の今より精神的に若かった自分を感じる。たまたま私の勤め先が、治癒して帰っていく人たちの場所ではなかったせいなのだ。
医療・看護・福祉分野から私、逃げなくてよかった。
|