15's eyes
- 2003年04月16日(水) 成長のスピード
きょうはしごとのはなしなんで、
こどもと仕事に興味ない人はつまんないかも。
春から久しぶりにちびっこの担任をやっている。
ちびっこほど物の分別と、
日常生活の物事ができる子とできない子の差が激しい。
ちびっこほど人間の核がむき出しになっている年齢はない。
だからまいにち手取り足取り一緒にやっているんだけど、
おもしろくてゆかいなことをやらかす分、
楽しくて仕方ないけど、くたくただ。
こどもと親をみてて最近思うけれど、
こどもも親といっしょに成長しているのかなぁと思う。
まぁ、例外ももちろんあるけれど。
子どもの成長にともない、
親がどのくらい自分の子どもを客観しした上で
わが子を認めていくのか。
やっぱり大抵の親は自分の子が一番で、
自分の子が一番可愛い。
それはあたりまえのことだ。
恋人と同じで、
アバタモエクボなのだと思う。
おおかたのそういう見方は、
こどもを冷たく突き放すよりも全然いい。
また、隣の芝は青く見えるときだってある。
自分のかわいい子どもでも
「もっと」かわいい「もっと」りっぱなわが子を夢見る。
友達の恋人が羨ましく思えることだってあるように、
おうちの人は時々、
「○○ちゃんは何でもできてうちの■■はこれができないなぁ」
となげく。
事実、
日本人独特の謙遜する表現のせいなのかなんなのか
わからないけれど、
親と面談していて、「あれができない。これがもうちょっと。」
とまず口走る人が多すぎる。
きっと、
他人の子と自分の子を比べたり、
自分の経験とか、
兄弟との差とか、
教育書とか、
いろいとなものさしではかってそう言っているんだろうな。
この「ものさし」ではかりだすと、
「できない部分」「足りない部分」が明確になってくる。
「できない部分」「たりない部分」がとっても気になってくる。
ものさしではかって、満たしている部分は、
あたりまえだと思うようになってしまうのだ。
私が以前受け持った子の話を時効だからするけれど、
●くんは苦手な食べ物がたくさんあった。
おうちの人はこまっていて、
「あれがたべられない。これがたべられない。」と嘆いていた。
私が、「じゃぁ、もりもりたくさん食べられる好きな物ってなんですか?」
ときくと、
おうちの人は、ぴたりと口を閉ざし、
「うーん なんですかね〜」と言った。
これはホントにささいなことだけど、私は驚いた。
嫌いな食べ物は紙を見なくてもたくさん言えるのに、
わが子のにこにこ笑顔がみられる好きな食べ物が1個も言えないなんて!
おうちの方、
これがふつうなんですか?
だれだって、「できない」よりは「できた」ほうがいい。
それはこどもだって同じだ。
嫌いな食べ物をわざわざふやしてる子なんていないし、
わざと勉強が嫌いになる子なんていない。
心の底からいじめっ子になりたい子もいないし、
好きで忘れ物を毎日するわけじゃない。
だから、お願いだから、
自分の子どもにマイナス評価をたくさんするよりも、
1個でも多くのプラス評価をしてほしい。
恋人のだめなところもよいところも客観視し、
恋人自身をそのまま受け入れていくと、
恋人と長続きするという秘訣のように、
子どもだって同じなんじゃないのかなぁと思う。
おうちの人がその子のありのままを受け入れなかったら、
恋人のように破局を迎えることはなくても、
こどもの心はちょっとずつ破けていく
子どもは小さいながらも破けるのを防ごうとして、
のりでくっつけたみたいに仮面をかぶろうとしたり、
反対に自分を痛めつけてこころをびりびり破いていってしまうのだ。
確かに自分の子は45分間座っていられなかったり、
いつも友達をたたいていたり、
いつもちょっとしたことでしくしく泣いていても
それが、その子。
●歳くらいならこれくらいできる。
○○ちゃんができるからうちの子だってできなきゃいけないって
思ってても、出来ない子だっている。
仕方ないよ。
そんなの。
ひとには成長のスピードがあるんだから。
でも
健康な子なら、
人間らしい最低限の物事は自分でいつか出来るようになる。
学校に行ってれば他人と関わらなきゃいけないことで、
嫌でも成長していかなくちゃいけないものだからさ。
みんな、みんな、波にもまれて、
いずれおとなになるんだ。
だいじょうぶだって。
どうか、自分の子どもの成長のスピードを
わかってあげてほしいな。
もうちょっとで家庭訪問なんだけど、
どうか自分の子自慢をしてほしいな〜
おうちの人がずーっと見てきた、
生まれてたったの何年間で身につけた、
その子のぴかぴかしたよさを教えてほしいな。