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アンチ恋愛至上主義 - 2002年04月22日(月) これまで、というか三十代なかばで結婚するまで、ずいぶん数多くの女性のことを好きになったものの、僕は基本的には「恋愛至上主義者」ではない。 むしろアンチだ。 僕にとって一番理想的な恋愛のありようは、ドン・ジュアンのような、あるいは石田純一サンのような(笑)「死ぬまでさまざまな女性に恋し続ける」パターンとは正反対。 つまり、 「いっとう最初に理想そのものの女性と知り合い、彼女とだけ恋をしてすんなり結ばれ、その後はいっさい他の女性には恋をしない」 というのが、望ましいと思っている。 世の中には 「恋をすればするほど自分が磨かれていく」 なんて、お目出度い思想を持つひとが多いが、必ずしもそうはいかないのが現実。 ひとりひとりの人間が「エゴ」のかたまりであり、恋愛とはいってみれば「エゴ」と「エゴ」のぶつかりあいなのだから、そうキレイ事ですむわけがない。 昨日の日記に登場した女性たちのように、「恋をすればするほどボロボロになる」ということも少なからずあるのだ。 ならば、恋することによって経験するもろもろの「イヤな事」を出来るだけ味わうことなしに、一番最初に恋した女性とストレートに結ばれれば、どんなにか心安らかなことだろうと思ったのだ。 しかし、そういう願いもむなしく、現実の僕の恋愛は「失敗」の連続だった。 自分が本当に好きになった相手には、ほとんど全員に拒絶され、しかたなく、自分を相手にしてくれる女性と、不完全燃焼な「恋ともいえない恋」を繰り返すのが常であった。 ずっと「結婚」に興味がなかったのに、三十代になって結婚をしたのも、甲斐のない恋愛の繰り返しにある意味疲れて、 「結婚すれば恋愛のもろもろの駆け引き、ゴタゴタから解放されるだろう」 と思ったのが、実は大きい。 正直言って、「恋愛は楽しい」と思ったことはほとんどない。常に相手から値ぶみされ、選別されているように感じていた。 だから僕は、恋愛至上主義者ではまったくない、そういうことである。 「恋愛なんてやめておけ」という題の本が、著者は松田道雄氏であったか、書かれていたように思うが、まさにこのタイトルはわが意を得たりという感じだった。 一生に一度だけ、本物の恋をすれば、ほんとうはいいのだ。 ニセモノの恋の繰り返し、これはひとをダメにする。 しかし、そうはいっても、本物の恋であるか、相手がほんとうに自分にとっての「運命のひと」なのか、それは相手と恋をしてみないことにはわからない。 なんとも皮肉なことだが。 かくして、多くのひとびとは、数多くのムダな恋を繰り返すはめに陥るのである。ああ…。 ...
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