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よりにもよって、他にやらなければならないことが山ほどある時に、突如として発動し始める創作エネルギー。多分それは、現実逃避と同義です。 *** 古本屋に行った帰りに、猫を拾った。名前を、ミケと言う。 しかし、何と陳腐な呼び名を付けるものか、などと思われては困るのだ。猫の名ひとつを種に文学性感性を疑われるようでは、こちらの沽券にも関わるのである。 ミケとはただの略称、もしくは愛称に過ぎないのであって、正式な名はミケランジェロと言う。ただし、毎度毎度こんな大層な名で呼称されては本人―本猫、か―とて決まりが悪かろうし、いくら名付け親とは言えど呼ぶ方も些か気恥ずかしい。双方の事情を鑑みた上で、通常は略称で呼ぶことにしたのだ。そんじょそこらのミケとは訳が違うのである。 とはいえ、当の本猫は、どこからどう見ても「そんじょそこらの猫」に相違ないだろう。猫の手ながらに美術をものするわけでもなければ、芸術家が創作対象に望むような美猫でもない。少々頭の小さな狸かと見紛うほどずんぐりとしている上に、毛色と見れば往来の端に凝り固まった残雪のごとく薄汚れている。こんな風采の上がらぬ生き物に、何故ミケランジェロなどという大仰な名を与えたのかと言えば、何も深遠な思惑があったからではなく、ただ古本屋の店主の口車に乗せられたことに端を発するのである。 *** 乱雑に包んだせいで、本の角が出鱈目に飛び出し、巨大な松毬のように歪な風呂敷包みを、そこだけ妙にハイカラなレジスターの置かれた木机にずしりと置くと、ずり落ちた丸眼鏡越しに、店主のぎょろりとした目玉だけが動いてこちらを見た。 「米かい? それとも味噌か?」 古本屋で交わすにはいささか突飛に聞こえるが、その実これがいつもの挨拶なのである。 ここを訪ねる時といえば、大抵はその日の食い扶持にすら困窮するほど手元不如意な場合が多く、つまり店主の言葉は、慢性的に閑古鳥の鳴くこちらの懐具合―あるいは、台所事情と言うべきか―に言及しているというわけだ。 しかし、今日は米にも味噌にも用は無い。そう答えると、店主は珍しく眉間の三本皺を伸ばして、おやという顔をした。 *** 二度目の秋(もしくは三度目か)を迎えることになった猫と善哉の話。 このまま逃避願望が持続すれば、ことによると仕上がるかもしれません。 前向きなのか後ろ向きなのか良く分からない展望であります。 ![]() ![]() ![]() ![]() |