2002年11月23日(土) |
一言の代償は・・・。 |
自分のしたことが、どんなに愚かな事だったのかは、結果が出た時点でしたか解からない。 例えばこの位ならいいだろうと思ってしたこと。 あるいはこれが正しいと疑わずしたこと。 もしくは、他の人なら許されて、私であるから許されないこと。
結果を予測して大体は言動を行うものだが、それはあくまでも予測なのである。結果がよければいいのだが、意に反した結果が出てしまったら、どうするか・・・。 修復や修正がきくものならそうする。もし出来なかったら?結果が出てしまった後ならもう遅いのである。 反面、思いもせず良い結果になればとてもうれしかったりする。しかし、得てしてそうはならないものです。
何もかも全て正直でありたいというのはおこがましいことなのかも知れない。自分の尺度で行動を取ることはある意味危険なのかもしれない。
仕事でもそうである。私の仕事はすぐに結果が出ない。 子供たちが成長して、5年後あるいは何十年たった後、私の仕事の成果が出てきたりする。 今していることの成果がよいか悪いかは今すぐに解からない。 子供たちが、幸せになりましたと報告に来てくれれば良かったなと思い、ぐれてしまったみたいだと風の便りに聞けば、何かがいけなかったのだろうか?と反省をする。 すぐに結果が出ないからこそ、今を大切に仕事をする。 もちろん、近い将来子供たちに幸せで、普通に生活を送れるようになってもらいたいと、結果を予測というか、希望を思い描きながら日々お世話をする。 明らかに間違っていると思われるときは周りからも指摘がある。 でも、一体何が良くて何がいけないのかは、結果が出てみないと解からないのである。 幼稚園の先生に言われた一言を今でも覚えている。母親に言われた一言一言も私の中にある。 たった一言が、他人のその後の人生を変えてしまうことは確かにある。それは身をもって知っているはずなのに・・・。
さて、私はもしかしたら地雷を踏んでしまったのかもしれない。取り返しのつかない事をしてしまったのかもしれない。 結果がはっきり出ていない今、私はおろおろするばかり・・・。 自分の思いを、意見を正直にぶつける事が全て正しいとはいえないのかも知れないのだ。時には必要なことかも知れないが。 人を思いやること・・・しているようで出来ていなかったようです。
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