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2004年08月05日(木) 入院、そして

おひさしぶりです。るるです。
7月は一度も書けませんでした。
というのも、私の父が入院してしまったからです。

父は所謂がんを患っていて、すでに告知もされています。
「あと半年」と言われた期限をとっくに過ぎていても、なぜだかそんな気がまったくしなくて、父がこの世からいなくなるなんて考えられなくて、
親不孝者の私は、ただただのほほんと毎日を送っていたのです。
でも、父は確実に体力気力とも衰えていきました。
今回の入院は、その限界にあると感じての緊急入院でした。

その日から私は毎日、病院に通いました。
父の手を握るなんて、何十年ぶりのことでしょう。
点滴の管をつけられて、うつろな目をして、ベッドに横たわっている父は、私の知ってる大きくてバイタリティーあふれ、厳しく温かい父とは別人のように見えました。
強いお薬の影響なのか、意識もはっきりしない父。
でも、時々すごくはっきりするようで、苦しそうな顔をして父は

「おれは、一体なんの役に立っているんだ」

と言いました。
父は歯がゆかったのだと思います。
家族を大事にし、仕事に励み、常に正直に懸命に生きてきた父にとって
退職し、病気をかかえ、一人で身動きできない体になりつつある自分自身が
歯がゆく辛かったのだと思います。

私は
「お父さん、いてくれるだけでいいのよ。
家族なんだから。家族ってそういうものよね?」

そう答えるのが精一杯でした。
父は悔しそうとも泣きそうともとれる表情をして、そして、またうつろな表情に戻ってしまいました。

父の気分がよさそうな時に、私は父の伸びた髭を剃ってあげました。
頬骨の出てしまった頬に生えた、白髪のたくさん混じった髭。
いつのまに、こんなにおじいさんになってしまったの?

父の容態は少しずつ良くなっているように見えました。
ところが先月末、急変。危篤状態になってしまったのです。
その日は母、私、兄、弟が一晩中ついていました。
翌日は続々と、まさに最期のお別れを言いに親戚や知人が訪れました。
そしてその晩も私たちは一晩中、父のそばにいました。
それからも交代で必ず誰かしらが父のそばにいるようにしました。
入院の日から毎日ずっといる母のことも心配でしたが
母は父のそばから離れることはありませんでした。

そして、父は奇跡的にもその危篤状態を脱したのです。
とは言っても、「これから一週間は予断を許さない状態」と言われ、
私も母と一緒に病院に泊まって、通じてるかどうかわからないけれど、父を励まし話し掛け、体の向きを変えたり、痰をとったり、足をさすったり、思いつくかぎりのことをしました。
そして、昨日でその「予断を許さない一週間」も終わったのです。

昨日、主治医が、「とても落ち着いた状態にまで戻りました。ご家族の皆さんのお力です。」と言ってくださいました。

もちろん、末期がんには変わりはないのですが。。
父はすごくがんばってくれているのです。
私たち遺されるであろう家族に、こういう時間を作ってくれようとがんばってくれているのです。
私自身、少し落ち着いたので、近況報告をさせていただきました。
今回、ほんとに思うところ、たくさんあって、
一つ一つ、言葉にしていきたいと思ってはいるのですが、
それはまた、ゆっくりと。。






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