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少年少女。 | 2005年10月18日(火) |
夜明けの兆しが見える街の中を、ひとりの少女が早足で過ぎていく。 路地裏の粗末な二階建てのアパート。 その建物の中でも最も安くて狭い小部屋がアリーチェの住まいだ。 仕事場である酒場から歩いてすぐなのが唯一と言ってもいい長所であるが、彼女はその小さな住まいがお気に入りである。 教会の孤児院育ちであった彼女からしてみれば、自分だけの空間が持てることは小さな頃からの夢だったのだ。 「ただいま」 習い性で誰もいない部屋に声を投げる。しかし、何も動くもののないはずの暗く静まり返った室内で、何かが動いた。 びくりと身構えた彼女に向かって、それはへらりと笑ってぶんぶんと手を振ってきた。 「おかえりー遅かったねー」 「……ルーカ?」 聞き覚えのある少年の声に、アリーチェは眉をひそめた。 「うんそう。おひさしぶりー。でもさぁ、ちゃんとした鍵くらいかけておこうよ、オンナノコなんだし」 「別にこんなところに盗みに入る泥棒なんていないわよ。金目のものも何もないし」 「そういうモンダイじゃなくてね」 何で分かんないかなぁ、と彼は首を傾げる。アリーチェからしてみれば、何も惜しいもののない部屋に高い鍵をつけなくてはならない道理の方が分からない。 「まぁいっか。俺が入れなくなっても困るし」 その手に握られているのは細い針金で出来た鍵破りの道具である。 「まさか壊してないでしょうね」 「俺の腕を疑ってる? だとしたら心外だねェ」 「……もういいわ。――で、何の用なのよ今度は」 「二、三日でいいから匿って」 にっこりと笑ってとんでもないことを言い出す彼を、アリーチェは呆れたように見た。 アリーチェとルーカの出会いは一年ほど前に遡る。 いつも通り仕事を終えて帰ってきた彼女が、部屋に入って最初に目にしたのが、彼女のベッドですやすやと眠っているルーカだった。 即座に警察に連絡しようとしたアリーチェを引き留めて何だかんだと言い訳を始め、その狼狽ぶりと無害そうな外見にほだされた彼女が一日だけ家に置いてやったのだ。 何をするともなくただ居るだけなのだが、二度三度と繰り返されるうちに、アリーチェは彼のことをふらりとやってくる野良犬か猫のように思い始めた。 気を許し始めたことを敏感に嗅ぎつけたのか、今では数週間に一度程度のペースでルーカはアリーチェの家にやってくる。 「それで、一体何から匿えばいいの」 さっさと二人分の朝食の支度を始めたアリーチェは、何ともなしに彼に問う。 食事代ぐらいは自分で用意してちょうだい、と二度目に転がり込まれたときに怒鳴ってから、彼はそれなりの金額を持ってくるようになった。 おかげでふたりでいるときはひとりで生活しているときより裕福ですらある。 「んー、色々やらかしちゃったせいで多すぎて分かんない」 「……」 何をしたの、とは怖くて聞けない。 その代わりに、頭からつま先まで、彼の姿をじっと検分して怪我や返り血の類が一切無いことを確かめた。 平民にしては割と上質な部類に入る布を使った簡素な衣装と、それに不釣合いな豪奢な剣。さすがに外へ出るときは布を巻いて隠しているようだが、どう見ても彼のような格好の人間が持つものではない。 「ねぇ、その剣って何?」 それさえなければ、ルーカは普通の少年に見えるのだが。 「あーコレ? 別に置いてきてもいいんだけどねー、やっぱり武器は手に馴染んだものが一番でしょ」 「……」 金や銀こそ使われていないものの、細かな細工の施された鞘と鋭く美しい刀身は十分に鑑賞に値するものだとアリーチェは思う。 それをあっさり武器と言い切るルーカの正体は、誰なのだろうか。 「あんた一体何者なの」 出来上がった食事を狭いテーブルに並べたアリーチェがぽつりと零すと、ルーカの纏う気配がすっと冷えていく。 その目は冷たい氷のように輝いてアリーチェを見つめていた。 「――知りたい?」 「知りたいって言ったところで、どうせ教えてくれないでしょ。別にいいわ、この家に厄介ごとさえ持ち込まなければ」 平穏さえ崩されなければアリーチェはそれでいいのだ。彼が誰かを知ることで壊されるくらいなら、知らないでこのままでいた方がずっと良い。 「だからアリーチェは好きだよ」 にっこりと残酷な言葉を吐いてルーカはいそいそと椅子に座る。 「……だからわたしはあんたが嫌いよ」 溜息交じりの呟きは、どうやら彼の耳に届く前に空気に溶けて散っていったようだ。 ****** ファイルを発掘したら書きかけの話が出てきたので上げてみました。去年の8月というとえーと……100題挑戦してた頃のあれかなあ。 自分の好きな王道設定をちょっと詰め込んでみた記憶があるので白道終わったら続きでも書こうかなあと思います。短編。書くもの山積みですね。 |